蜀犬 日に吠ゆ

2013-01-12

[][][][][]冬のうた を読む(その28) 19:31 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その28) - 蜀犬 日に吠ゆ

55

 篠(ささ)の葉に 雪降りつもる 冬の夜(よ)に 豊(とよ)の遊びを するが愉しさ

                          神楽歌


 古代、宮中で神楽を奏するのは多く冬だったのでこの歌詞がある。「豊の遊び」は他に用例のないごと言うが、神楽をさすとみられる。左右に分れた楽人の、本方(もとかた)がこれを歌うと、末方は「瑞垣(みづがき)の 神の御代より 篠の葉を 手(た)ぶさに取りて遊びけらしも」と唱和した。古代から、神おろしのため神前で乱舞し、神がかりになるとき、笹を手に踊ることが多かった。右の歌詞で「篠」が出るのは、そのことと関係があろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 七夕は笹の葉をささげて星を祭ります。神おろしに使う、というのは平将門に神託を下した巫女が何か枝を振っていましたね。のちには幣帛や榊の玉串が使われ、現代の神道では笹はあまり使われていない印象です。


56

 つぎねふ 山城川(やましろかは)に 蜻蛉(あきつ) 嚔(はな)ふく 嚔(はな)ふとも 我(あ)が愛者(はしもの)に 逢はずは止(や)まじ

                     琴歌譜(きんかふ)


 『琴歌譜』は宮中の大歌所に伝来した古歌謡の譜本で現存する日本最古の楽譜。宮廷の歌だが、農耕民的な恋歌が多い。右は冬の歌とはいえないが、前作とあわせ見るため掲げた。「つぎねふ」は山城の枕詞。「はなふく」「はなふ」はクシャミする。古代人はクシャミを吉兆と考えたらしいが、この歌だと蜻蛉(とんぼ)のクシャミは逆だったようだ。だがそれでも、と男はいう、おれは川を渡って可愛い女の所へいくぞと。蜻蛉がクシャミをするとどんな顔になるのだろうか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 というより、どういう状態を、「蜻蛉が嚔した」と見立てるのでしょう。清原選手が大好きな永渕氏の「とんぼ」でも、「しあわせのとんぼが ほら 舌を出して わらってら」(うろ覚え)などと歌われますが、どういう状況なのかわかりません。

 「ゆうやけこやけの赤とんぼ」とか「とんぼのめがねはみずいろめがね」など、トンボの歌はいい歌が多いですね。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2013-01-11

[][][][][]冬のうた を読む(その27) 19:31 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その27) - 蜀犬 日に吠ゆ

53

 万法一如(マンポウイチニョ)トミル時ハ 谷ノ巌(イハヲ)モ花ノ色

                         中古雑唱集


 「南都興福寺延年唱歌」の一節。「延年」は東大寺、興福寺他の大寺で、大法会(だいほうえ)の後余興に演じられた諸種の芸能。平安中期に興り鎌倉期に盛んだった。今も少々は残存する。「万法一如」は宇宙の物ことごとく仏法のもとでは平等無差別という思想で、その目でみればけわしい巨岩も花の色を湛えているという。世阿弥が『風姿花伝』で、鬼を見事に演じるためには、巌に花が咲くようであれ、と言ったのが思いおこされる。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 仏道からすれば「巌」だの「花」という分別すらないように思われます。ましてや、「色」が存在するなんて。南無南無(みなみがない)。


54

 あはれ。 あなおもしろ。 あなたのし。 あなさやけ。 をけ。

                     古語拾遺(こごしゅうい)


 古代から伝承された旧説を録した平安前期の歴史書『古語拾遺』に、天照大神が身を隠していた天の岩戸から再び世に立ち現れたとき、闇に再び光が戻ったのを喜んで神々が歌い舞った曲として録される。この歌の語句はすべて、歓喜の情を盛った単純率直なはやし詞に近い。「おもしろ」は大神の出現で明るくなり、互いの面(おも)が明白(しろ)くなったことと同書は説く。面状の明るみのよみがえりを「面白い」として喜び祝った古代の心。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 最後の「をけ」は何でしょう。現代語に、類する語彙はありましょうか。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2013-01-10

[][][][][]冬のうた を読む(その26) 19:31 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その26) - 蜀犬 日に吠ゆ

 一年ぶり。

51

 いくたびも雪の深さを尋(たづ)ねけり

              正岡子規


 子規自筆稿本『寒山落木』巻五(明治二十九年の巻)所収。「病中書」と前書きある四句の一つ。この年、子規は腰痛でほとんど病床を離れ得ぬほどの重症だった。同時作に「雪ふるよ障子の穴を見てあれば」があるが、何といっても掲出句が出色。珍しいほどの大雪が降ったという戸外の景色を思いえがきつつ、何度も看護の母や妹に積雪の状態をたずねたのだ。俳句の省略された語法が、病人の心躍り、空想、憧れを表現し得て、言うに言われず深い。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 うまい俳句です。子規はさすがとしか言いようがありません。


52

 今はには何をか言はん世の常にいひし言葉ぞ我(わが)心なる

                    伴信友(ばんのぶとも)


 若狭(わかさ)国(福井県)小浜藩士。藩務で江戸や京に勤めること多年に及んだ後、辞して学問一本に専心、和漢の学を深くきわめた文化文政期最高の学者の一人。本居宣長を慕い近世考証学の雄となった。著作百余に及ぶが、平安から室町に至る神事歌、舟歌、田歌その他の雑唱を収録した『中古雑唱集』もその一つ。右はそういう大学者の辞世の歌である。辞世にもいろいろあるが、この歌の心のごときを本来の平常心というのだろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「鳥の将に死なんとするや、其の鳴くこと哀し。人の将に死なんとするや、其の言うこと善し。」(『論語』泰伯篇)の逆ですね。つねづね慎重な発言をしているので日常の現行で十分。機会を見てドラマチックにことだてする必要はない、と。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2012-01-09

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49

 かなしみのきわまるときしさまざまに物象顕(た)ちて寒(かん)の虹ある

                       坪野哲久(つぼのてっきゅう)


 『碧巌』(昭四六)巻頭歌。昭和初年代渡辺順三らと共にプロレタリア歌人として活躍した。能登生まれの一徹な気性は、孤高、詰屈たる歌の調べにも鮮やかだが、その中から孤愁がにじみ、浪漫的な郷愁が流露する所に独特の魅力がある。思いなしか作者には虹の歌が多いように思われる。かなしみの極みのとき立ち顕われるさまざま物象とは、おそらく、物である以上に、溢れる心の姿であろう。だからこそ自然界もそれに感応するかのごとく、寒の虹が立つ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「虹の歌」。よりにもよって寒の虹ですか。


50

 豊年(とよとし)のしるしは 尺に満ちて降る雪

            中古雑唱集(ちゅうこざっしょうしゅう)


 平安以来の声曲の家、綾小路家の秘説中にしるされた短詩形の歌。朝廷の五節(ごせち)の儀式と宴の折にうたわれた歌詞の一つ。今の都会生活では、たとえ大雪を喜ぶ人でも、この歌のような寿ぎかたはほとんどしなくなってしまった。大雪の年必ずしも豊年とはいえないが、かつては四季の風物の実感も、農作物の豊凶への予測といった切実な関心と切り離せなぬものだった。景色を見る目は今も同じだなどと、軽々しく言うことはできない。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2012-01-08

[][][][][]冬のうた を読む(その24) 19:58 はてなブックマーク - 冬のうた を読む(その24) - 蜀犬 日に吠ゆ

47

 冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆

                    与謝野晶子


 遺歌集『白桜集』(昭一七)の「星」連作より。晶子は夫寛の没後七年して昭和十七年五月に亡くなったが、遺歌集に収める多くの亡夫追慕の歌は、数においても質においても和泉式部の帥宮(そちのみや)挽歌を除けば他に比肩するものがない。思えばあなたは夜空の一つ星というののではなかった。すべての星だったのだという。冬の夜空に澄んで光る満天の星にうたれたことのある人なら、この歌に溢れている亡き人への賛美愛慕の心をまっすぐ受けとめることができるだろう。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 和泉式部クラスか。


48

 骨を埋(うづ)むる 豈(あ)に墳墓(ふんぼ)の地を期せんや

 人間(じんかん) 到(いた)る処(ところ) 青山(せいざん)有り

                       村松香雲(むらまつこううん)


 幕末の志士。十五歳で故郷伊勢を出る時壁に書いて残したという七言絶句の転結。起承部は有名な「男児志を立てて郷関を出(い)づ 学もしならずんば死すとも還らじ」。「人間」は世間の意。「青山」は木の茂る山をいうが、ここでは墓。骨を埋める場所をなんで家代々の墓(「墳墓の地」)とだけ決める事があろう。世間どこにも、いざとなれば死場所はある、至る所が家郷なのだ。従来僧の釈月性の作とされてきたが、研究によって誤伝であることが明らかにされた。

大岡信『折々のうた』岩波新書

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2012-01-07

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45

 去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの

              高浜虚子


 『六百五十句』(昭三〇)。昭和二十五年十二月二十日、新春放送用に作ったという。当時七十六歳。「去年今年」は、昨日が去年で今日は今年という一年の変わり目をとらえ、ぐんと大きく表現した新年の季語。虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、去年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いを歌う。「貫く棒の如きもの」の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「去年今年」。やはり、宇宙の雄大さを詠むときは大和言葉でないとしっくり来ないのでしょうね。俳諧における漢語は滑稽成分ですから。音読みで虚勢を張りたい自分としては悔しい。

 「怪作」という大岡先生の批評はすばらしい。この句の魅力は雄大な宇宙の中での、闇の部分を表現している所にあると思います。言葉ではなんだか説明できないけれども、なんだか分かってしまうたぐいの。

 「新春放送」がなんなのか興味ありますね。




46

 渓(たに)の水汝(なんぢ)も若しよき事の外にあるごと山出でて行く

                    与謝野 寛


 かつての「明星」指導者の最後の主宰誌「冬柏」昭和九年十月刊の号にのった「四万(しま)の秋」より。秋の歌だが、新春にふさわしい風趣もある。四万温泉に旅した折、そこで見た四万川の渓流を歌ったものだろう。渓流の清冽な若々しさをたたえつつも、「よき事の外にあるごと」と、若さのもつ定めないあこがれ心を揶揄してみせることも忘れない。寛自身そういう若さを最もよく知り、生きた人だった。軽やかにだが思いは深い。半年後の十年三月に死去。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 単に袂を分かつ後進への恨み節なのではないでしょうか。今後も「晶子の旦那」以上の評価は得られないでしょうし、本人もそれを感じていたからこそのこの歌。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)