蜀犬 日に吠ゆ

2017-09-04

[][][]スンナ派の四学派について 17:40 はてなブックマーク - スンナ派の四学派について - 蜀犬 日に吠ゆ

 ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派、ハンバル派。

 現在の私の理解。

  • 四学派
    • それぞれがイスラーム各国で共存している。
    • 学派によってシャリーアは異なる。法官はおのれの学派に基づいて判断を下す。
    • コーランに全ての状況が網羅されているわけではないので、ムスリムは常に判断を迫られる。その基準の違いが学派をうみだした。
  • ハナフィー派
    • 地域の慣行や個人的見解(ラーイ)を広く採用し、商業活動による富の獲得にも寛大な理解を示す。
    • セルジューク朝やオスマン朝では積極的に取り入れられた。
  • マーリク派
    • ハディースよりもマディーナの慣行を重視する。
    • 穏健ではあるが、慣行を逸脱した背教者に容赦しない。
  • シャーフィイー派
    • 類推(キヤース)を法源とする理論を確立。
  • ハンバル派
    • ハディースの厳密な解釈、合意(イジュマー)の範囲の限定、イスラーム神秘主義の厳しい批判.
    • マムルーク朝で重要視され、ワッハーブ運動につながる。

 とりあえず、佐藤先生のまとめを読んでおきます。

イスラーム法の形成

 八世紀から九世紀へかけて、法学者たちはクルアーンやハディースを典拠にして、それぞれ独自のイスラーム法(シャリーア)をつくりあげていった。体系化の過程では、クルアーン、スンナ(預言者の言行、つまりハデイィース)、イジュマー(学者たちの合意)を基礎にキヤース(類推)*1も方言として採用されたが、これ以外に各地に固有な慣行(アーダ)も考慮された。これらのいずれを重視するかによって、法解釈の違いが生じ、さまざまな法学派(マズハブ)が誕生することになった。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 各地の慣行もまた重視されるあたりが、イスラームの柔軟さをあらわしていますね。八世紀から九世紀というのはウマイヤ朝(661~750)によるアラブ帝国が領域を拡大*2した時期から、アッバース朝(750~1253)の衰退期。イスラームとは何か(ウマイヤ朝(西カリフ国)やシーア派をどうとらえたらよいのか)が課題として出された時期なのかな、と考えずにはおれません。


イスラーム法の形成

 シャリーアの書には、食生活や沐浴・礼拝・断食などの宗教儀礼、結婚と離婚、葬儀、遺産相続、裁判、刑罰、租税、戦争の問題など、信者の生活に関わる事柄全般があつかわれている。したがってシャリーアは、信者に生活の指針を示す倫理の書であると同時に、裁判官(カーディー)が拠り所とする実定法としての性格も備えていたといえよう。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社
イスラーム法の形成

 大事なことは、一つの国家に一つのシャリーアが適用されたのではなく、一つの国家には複数のシャリーアが存在していたことである。裁判は、被告が属する法学派の法規定に従って執行されるのが原則であった。イスラーム世界では、どの国家でも単一のシャリーアが施行されたかのように思われがちであるが、各学派はそれぞれ独自の法体系をもち、個々の法が社会の中で実際に用いられていたことに注目すべきである。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 葦の髄から作り上げた常識が吹っ飛ぶ。裁判官(カーディー)は、四法学派をそろえていて、自分で選べるのでしょうか? もしくは裁判官(カーディー)がそれぞれの学説に通暁していて被告の立場によって判断を変えると言うことなのでしょうか。

 前者であるとすれば、被告人は自分に都合の悪い判決には論争を挑むことができるはず、です。四学派以外で異端でない学派では無誤謬であると言い張ったらどうするのでしょう。

 後者のような法学者は、以下に示すようにあり得ません。いずれかの学派で徹底しなければイスラーム法学を修めることはできないのですから。

 いったい、イスラームの国家と法制はどのようになっているのか。学んだつもりが謎が増えるばかりです。

 つづいて、谷口先生の解説

宗派の形成と学問修得方法の定式化

 九世紀前半の異端審問をともなった論争の末に、ムスリムの多数派の間では伝統主義的な考え方が優勢となった。この流れを受けて、続く十・十一世紀には伝統主義的な立場から神学や法学などの分野で学説が整えられて

いった。他方、シーア派においても十・十一世紀は、基本的な教義が成立していった時期である。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社
宗派の形成と学問修得方法の定式化

(前略)シーア派の活動に対抗するなかで、これらの分派活動に与しなかった人びとは、伝統主義の延長線上に独自の教義を発展させていった。十一世紀以降、神学ではアシュアリー学派とマートゥリーディー学派*3が主流派の位置を占めるようになった。方角においては、シャーフィイー学派、ハナフィー学派、ハンバル学派、マーリク学派の四大法学派が成立していった。こうして、分派に属さない多数派は、独自の教義体系を持つスンナ派という宗派を形づくるようになったのである。このように、イスラームの歴史においては、主流派が形成されてから分派が分かれていったのではなく、まず分派が形成され、そのあとに多数派が宗派と呼べる実態を獲得していったわけである。


 かくして、十世紀から十一世紀にかけて、現在にいたるイスラームの宗派の基本的な枠組みとそれぞれの基礎となる教義が成立していった。言い換えれば各宗派の学問体系が整ってきたということであり、それはさらに学問方法の定式化を招いたと考えられる。このことを間接的に示すのが、この時期以降目立つようになる学問方法を論じた著作物である。このような著作はスンナ派だけでなくシーア派の学者によっても著されており、しかもその内容には共通する点が多い。彼らが学問の方法としてとくに重視しているのは、読誦すること、暗記すること、師につくことの三点である。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社

 まとめますと、「神学と法学は区別される」ということ。「法学派とは、学問体系を異にする」ということ。えーと、四法学派とは、文学と数学や、舎密学と民俗学のように異なっているのでしょうかね。

 「読誦すること、暗記すること、師につくことの三点である。」はなんかかっこいいですが、日本の葬式仏教もそんな感じと言えばそんな感じですよね。

イスラーム法の形成

 ここでは、法学派誕生のようすとそれぞれの派の特徴をまとめてみよう。まずハナフィー派について。この学派の祖となったアブー・ハニーファ(六九九頃~七六七)は、イラク中部のクーファで法学や神学を学び、この州都における法学の第一人者とみなされるようになった。ハナフィー派は他の学派より地域の慣行や個人的見解(ラーイ)を広く採用し、商業活動による富の獲得にも寛大な理解を示した。トルコ人のセルジューク朝(一〇三八~一一九四年)やオスマン朝は、このハナフィー派を積極的に支持したことで知られる。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 699~767でイラクに住んでいると、まさにウマイヤ→アッバースの易姓革命(クライシュ族内のウマイヤ家→ハーシム家アッバス)を目の当たりにし、シリアのダマスカスからバグダードへの遷都を経験した人ですねえ。地域の慣行(アーダ)の重視は、シーア派やマワーリー(周辺民の改宗者)の協力で革命を成したアッバース朝にも都合がよかったのでしょうね。


イスラーム法の形成

 マディーナのマーリク・ブン・アナス(七〇九頃~七九五)は、ハディースに依拠するよりは、マディーナ社会の慣行こそそこの人々の個人的な意見を重視して、マーリク派法学の体系化を推し進めた。その規定自体は概して穏健であったが、慣行から逸脱する過激派には厳しく、またイスラームを捨てた背教者は死に値するとみなしたという。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 穏健と言いますが、マディーナ(メディナ、ヤスリブ)の慣行というのはムハンマド以前(無明時代、ジャーリヒーヤ)を含む「アラブ主義」なのではないでしょうかね。同じようにアッバス朝の易姓革命(750)に立ち会って、アラブ帝国からイスラム帝国への変容に異議を唱える学派なのかもしれませんよ。これは。ただ、背教者って誰でしょう。ここまでイスラムイスラムしているところで、マディーナあたりで背教する人がまだいたのかしらん。

 谷口先生が解説してました。

ハディース学と法学の発展

 アッバース革命は、一部のシーア派勢力と提携し、「ムハンマド家による支配」の実現を旗印に支持を集め、七四九年ウマイヤ朝から政権を奪取することに成功した。しかい、権力を握った一族がシーア派の痛いしたムハンマドの子孫ではなく、ムハンマドの叔父アッバースの末裔であったことから、シーア派の諸勢力はアッバース朝政権の正統性に疑問を投げかけた。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社
ハディース学と法学のはじまり

 このような状況のなかから、八世紀前半には地域ごとに法学についての一定の合意が形成されてきた。これを初期法学派あるいは前法学派などと呼ぶ。代表的な学派としては、ヒジャーズ学派とイラク学派が知られている。マッカ(メッカ)・マディーナ(メディナ)両聖地を擁するヒジャーズ地方では、預言者や教友のスンナなど伝統的な慣習を拠り所として重視する学風が主流であった。一方、征服活動によってイスラームに組み込まれたイラクは自然環境の面でも社会や文化の面においても、ヒジャーズとは非常に異なった地域であった。従ってこの地では、クルアーンや預言者のスンナだけでなく現地の慣習も重視しながら、学者個人の見解による推論を積極的に取り入れる立場が優勢となっていった。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社

 イラクは、もともとササン朝ペルシアですからねえ。アラブの常識だ!で論破は難しかったのでしょう。

 はい次

イスラーム法の形成

 エジプトのフスタートに居を定めたシャーフィイー(七六七~八二〇)は、アブー・ハニーファやマーリクが採用する「個人的な意見」を恣意的であるとして退け、独自の法学書『母の書』(キターブ・アルウンム)を著した。彼のもとには厳密な類推(キヤース)の方法を確立した新法源論に共鳴する弟子たちが集まり、やがて法学派としてのシャーフィイー派が成立する。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 少し遅れて、革命を知らない子供たちの世代。

 折衷案かしら。各地の慣行(アーダ)を法学者の類推(キヤース)で判断してもいいけど、それには一定の手続きが必要。

イスラーム法の形成

 ハンバル派の祖となったイブン・ハンバル(七八〇~八五五)は、「創造されたクルアーン」説を唱えるムータズィラ派神学を断固否定したために、二年間におよぶ投獄生活をよぎなくされた。ハンバル派の特徴は、ハディースの厳密な解釈、合意(イジュマー)の範囲の限定、イスラーム神秘主義の厳しい批判などにある。この思想は、マムルーク朝時代のイブン・タイミーヤ(一二六三~一三二八)をへて、原始イスラームへの回帰を説いたムハンマド・ブン・アブド・アル・ワッハーブへと継承されていく。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社
イスラーム法の形成

 スンナ派の法学派はこれ以外にいくつも結成されたが、主要なものは以上の四学派である。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 あと、神学と歴史学(ハディース学)についても両書に記述がありますが、あとで読む。


イスラーム―知の営み (イスラームを知る)

イスラーム―知の営み (イスラームを知る)

*1:法学者の個人的な見解ではなく、クルアーン、スンナ、イジュマーのいずれかにもとづく厳密な類推をキヤースという。シャーフィイーによって、その方法が確立された。

*2:フランク王国に侵攻したトゥール・ポワティエが732年

*3:9・10世紀に中央アジアのサマルカンドで活動したマートゥリーディーに始まるスンナ派神学の一派。セルジューク朝の勢力拡大とともに西方へ伝播した。

2017-06-10

[][][]家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書 15:50 はてなブックマーク - 家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ユースフ・アッラワーティー・アッタンジーによる『Tuhfat al-Nussar fi Ghara'ib al-Amsar wa 'Aja'ib al-Asfar(諸都市の新規さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物)』、あるいは『Rihlat Ibn Battuta(イブン・バットゥータの旅(リフラ)』、普通はイブン=バットゥータの『三大陸周遊記(大旅行記)』で知られる書物を、日本語訳した筆者自らが解説。

 本編『大旅行記』は平凡社の東洋文庫で全8巻なので、とても読めないとして、まあ新書でお手軽にその旅行をなぞってみようという本であります。

 冒頭から、ウォーラーステインが提唱した「近代世界システム」と、そこから始まる論議の一つとしてアブー・ルゴドが打ち出した「前期的世界システム」の話で、懐かしい。私もてっきりウォーラステインにハマった口でして、ただこれを考察するには、学際領域の広範な知識と、各文化文明圏における多様な政治経済システムへの理解がなければ成らないため、挫折したのです。

 名著、臼井隆一郎『コーヒーが廻り、世界史が廻る』中公新書は、それをテーマ史としてわかりやすく落とし込んだ作品で、その後たくさん登場した「モノの世界史」の視点を切り開きました。それを方法論の本として読み取れなかった不明の日々よ。

閑話休題。その内容について、目次を引用。

『イブン・バットゥータの世界大旅行』 目次

  • はじめに … 9
  • 序章イ スラームと旅、移動 … 15
    • 1 旅の原点は何か … 16
    • 2 イスラーム教徒にとっての移動観 … 19
      • ヒジュラ/リフラ/ハッジ(メッカ巡礼)
    • 3 出会いの接点としてのイスラーム都市 … 33
  • 第一章 拡大する一三・一四世紀のイスラーム世界 … 39
    • 1 「前期的世界システム」の形成 … 40
      • 八つのサブ・システム/イスラーム世界と「パクス・モンゴリカ」の統合
    • 2 モンゴルの衝撃(インパクト)とディアスポラ(人間拡散) … 48
      • モンゴルの衝撃(インパクト)/人の移動と地域再編
    • 3 マムルーク朝経済圏の拡大 … 53
      • マムルーク朝の成立/国際間に生きるカーリミー商人
    • 4 つなぎの場としての海域世界――インド洋と地中海 … 63
      • インド洋海域世界/地中海世界
  • 第二章 『大旅行記』という書物 … 71
    • 1 巡礼紀行文学の発達 … 72
      • メッカ巡礼書について/イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータの関連
    • 2 『大旅行記』の成立 … 79
      • イブン・バットゥータの生い立ちと生涯/晩年のイブン・バットゥータ
      • 『大旅行記』の編纂/編纂者イブン・ジュザイイについて
    • 3 写本と校訂本 … 94
      • 『大旅行記』の構成/『大旅行記』の研究
  • 第三章 イブン・バットゥータの旅(1)――タンジールからメッカまで … 103
    • 1 故郷タンジールを門出 … 104
      • ふるさとの町タンジール/マグリブ巡礼隊に参加/旅仲間との結婚、そして離婚
    • 2 マムルーク朝統治下のエジプトとシリア … 114
      • 将来の旅を予見する不思議な聖者との出会い/沙漠を貫く緑のベルト、ナイル川の旅
      • パレスティナ海岸の諸都市を経てダマスク明日へ/シリア巡礼道を通過してメディナへ
    • 3 最初のメッカ巡礼 … 128
      • メッカ到着の歓び/四回にわたるメッカ訪問
  • 第四章 イブン・バットゥータの旅(2)――中東世界からキプチャク大草原へ … 133
    • 1 イラクとイランの旅 … 134
      • アラビア半島縦断の旅/イラクのシーア派聖地/船でサワード地方を行く
      • イラン高原の旅/イル・ハーン朝下のイラク地方
    • 2 紅海からアラビア海へ … 148
      • 紅海を南下して/スワヒリ文化圏の形成/乳香木の茂る南アラビア
    • 3 トルコ・アナトリアと黒海沿岸 … 166
      • インドまでの大迂回ルートを探って/アナトリアの群小イスラーム侯国
      • 黒海を越えてクリミア半島へ/キプチャク・ハーン国とブルガールの旅
      • ビザンティン皇女とともにコンスタンティノープルへ

  • 第五章 イブン・バットゥータの旅(3)――中央アジアとインド … 181
    • 1 ヒンドゥー・クシュを越えてインドへ … 182
      • アジアの心臓部を行く/雪深いヒンドゥー・クシュを越えてインダス河畔に
      • インダス川流域の旅/デリー滞在の八年
    • 2 インドの南西海岸に沿って … 190
      • デリーを離れる/最大の危機に遭遇/海上交易で栄えるマラバール海岸
      • カーリクート港での惨劇
    • 3 南海の女王国を訪ねて … 201
      • 環礁の連なる島じま/群島の支配をめぐる抗争
    • 4 スリランカ、南インドを経てベンガルへ … 206
      • 宝石の国スリランカ/マァバル地方のマドゥライ・イスラーム王国を訪ねて
      • 黄金の三角地帯ベンガル
  • 第六章 イブン・バットゥータの旅(4)――東南アジアと中国 … 219
    • 1 ジャンクに乗って中国へ … 220
      • アンダマン海を行く/マラッカ海峡を制したスムトラ・パサイ王国
      • 南シナ海を北上し、一路泉州へ
    • 2 元朝支配下の中国 … 228
      • 泉州に上陸/運河を通ってハーン・バリークへ
    • 3 故郷モロッコへの帰還のたび … 234
      • 巨鳥ルフとの遭遇/インド洋横断の航海/四度目のメッカ巡礼の旅
      • 帰国を決意して地中海を渡る
  • 第七章 イブン・バットゥータの旅(5)――アンダルスとブラック・アフリカ … 245
    • 1 アンダルスの栄華 … 246
      • ジブラルタル海峡を渡る
    • 2 サハラ砂漠を越えてブラック・アフリカへ … 252
      • ブラック・アフリカ旅行の目的は何か/首都ファースを経てサハラ砂漠に踏み入る
      • マーッリーの王都はどこか/ニジェールの川旅
      • タッシリ・ナッジェールの高地を越える/ファース帰還
  • 結び イブン・バットゥータの旅の虚像と実像 … 271
      • 『大旅行記』の信憑性をめぐる議論/イブン・バットゥータの見た世界像
      • 旅の本来の目的は何か
  • あとがき … 285
  • イブン・バットゥータの旅の年譜 … 289
  • 参考文献 … 293
家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書

 と、読んでいて、晩年のイブン・バットゥータがサハラ縦断するくだり。地図の中に、

f:id:mori-tahyoue:20170610150412j:image

 14世紀なのに、「カカオ」って書いてあるー!*1

 本文にはカカオのことなどまったく出てきませんから、これは編集スタッフが用意した地図が19世紀以降のものだったのでしょう。ちょっとびっくりして「ヨーロッパに伝わってなかっただけで、イスラム圏ではもはや?」とかググってしまいました。

*1:カカオ豆、およびチョコレート・ココアは侵略者コルテスが新大陸アステカから持ち帰った

2014-11-24

[][][]バートン版大場正史『アラビアンナイト千夜一夜物語拾遺』角川ソフィア文庫 18:59 はてなブックマーク - バートン版大場正史『アラビアンナイト千夜一夜物語拾遺』角川ソフィア文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 千夜一夜物語は長大なので手を出しづらい。かといって怖じ気づいて触れずに済ますわけにもいかない。ということで、このくらいを知っていればいいという基準を学ぶために読み始めたら、いきなりシェヘラザードの物語がない。これでいいのでしょうか。

アラビアンナイト
目次
  • アラジンと不思議なランプ 5
  • アリ・ババと四十人の盗賊 185
  • 道化者アブ・アル・ハサン 239
  • 賢者と三人の息子の話 303
  • 強盗と女の話 309
  • 三人の男と主イサの話 317
  • 王座と財宝をとり返した王の話 323
  • ふさぎ屋とペテン師の話 331
  • ふたりのいかさま師の話 335
  • いかさま師と両替屋と驢馬の話 351
  • 解説 西尾哲夫 357
バートン版大場正史『アラビアンナイト千夜一夜物語拾遺』角川ソフィア文庫

 なんといいますか、いかさま師の跳梁跋扈ぶりが「商人の文明」を匂わせますねえ。

2013-09-23

[][][]F・スターク『暗殺教団の谷』教養文庫 社会思想社 19:07 はてなブックマーク - F・スターク『暗殺教団の谷』教養文庫 社会思想社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 ゲームブックみたいな書名ですが、ノンフィクションです。

 目次を書き写してみると、ゲームブックみたいだ。

目次

まえがき
1 暗殺教団の谷への旅……11
  • 暗殺教団(アサシン)
  • 出発(たびだち)
  • 私の仲間たち
  • アムラート地方
  • 暗殺教団の谷へ
  • アムラート岩
  • アジーズの故郷
  • ネヴィール・シャー城
2 ラミアサルにある暗殺教団の城……60
  • モンゴルと暗殺教団の城
  • クルド人の村
  • いよいよ城へ
3 ソロモンの王座……81
  • シット・ザイナバルの墓
  • アラムートの医師
  • 村の生活
  • 三つの結婚式
  • 羊飼いの親方
  • 湯治場
  • ソロモンの王座
  • 森林から来た牧夫
  • 湯治場
  • カラール・ダシュトカラールの位置
  • ラーフー
  • チャールース川流域の一夜
  • ビージェノーの領主
  • シオリス峠を越えてターラガーンへ
  • シャー。ルード上流
  • テヘランまで
4 宝探し……210
  • バグダードの苦力たち
  • 財宝
  • 国境通過
  • 水のない山
  • 客人歓待の掟
  • 大山脈(カビール・クー)
  • ガラウでの夜
  • 部族生活
  • 不信心者の谷
  • ラルティー族の谷
  • ヒンディミニー族の谷
  • バニー・パルワル族の墓地
  • 逮捕される
  • 盗賊たちとの優しい出来事
  • ガラウへ戻る
  • アーフターブの森
  • プシュティ・クー地方の首府へ
  • プシュティ・クーの政庁
  • マンダリーへの道
  • ガンギールの谷
  • バグダードでの結末
 訳者あとがき……336
F・スターク『暗殺教団の谷』教養文庫 社会思想社

 なんというか、目次を書き写したら「読んだも同然」の安心感。全然読めません。

 なんで、イランの山中に「ソロモンの王座」?

2012-06-28

[][][]財務官が国を滅ぼす 23:00 はてなブックマーク - 財務官が国を滅ぼす - 蜀犬 日に吠ゆ

第三章 王朝、王権、カリフ位、政府官職

〔三七〕王朝の後期にには商税が課せられる

王朝に関係している税務官僚は莫大な税収を取り扱い、そのために彼らの地位もその重要性を増すので、したがって多くの富を獲得している。それで税金を盗用しているという疑いの的となり、税務官相互の猜疑心や嫉妬のために、ある者が他の者を中傷するということが普通になってくる。お互いに没収や科料によって金を奪いあい、最後には富はなくなり、破綻してしまう。そこで王朝は彼らを通じて維持してきた壮麗さや威厳を失う。

イブン=ハルドゥーン/森本公誠『歴史序説』2 岩波文庫

 失ってしまいました。

歴史序説 (2) (岩波文庫)

歴史序説 (2) (岩波文庫)

2011-08-28

[][][]増税が消費税を狙うのは、王朝が衰退期だから~~イブン=ハルドゥーン『歴史序説』2 岩波文庫 20:51 はてなブックマーク - 増税が消費税を狙うのは、王朝が衰退期だから~~イブン=ハルドゥーン『歴史序説』2 岩波文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 再掲。

第3章 王朝、王権、カリフ位、政府官職

三七 王朝の後期には商税が課せられる

 ところが、やがて王朝は都会生活の風潮に染まって奢侈とその習慣を身につけはじめる。そして前代の王朝と同じ轍を踏む。その結果、王朝の人々の支出が増大し、とりわけ支配者の支出は、側近のための支出や彼らに与える莫大な手当のために極度に増大する。そこで正規の税収入だけではこれらすべてをまかなうことができないので、王朝は税収入を増やさねばならない。というのは、軍隊にもより多くの手当を必要とし、支配者自身も自分の支出を支払うために多くの金銭を必要とするからである。そこですでに述べたように最初は各人に対する割当課税額が増加される。ついで奢侈の習慣と兵士の手当の増大に伴って必要経費が増加するので、ついにはその王朝は老衰病にかかる。その王朝の連帯集団はまったく弱体化し、諸州や遠隔地方から租税を集めることができなくなる。こうして税収入は減少するのに、(お金のかかる)習慣は増える。兵士の俸給や手当もまた増加する。そのために、支配者は新しい税種を導入しなければならず、その税を商品に課すことになる。すなわち支配者は市場で売られる商品の値段に一定額の税を付け加えたり、都市の門で(通過する)商品に税を課す。結局、人々の奢侈が多くの手当を要求することと、加えて軍隊や守備兵の兵員増加とによって、支配者はこの課税を推し進めざるをえなくなる。こうして王朝の後期には、えてして税が過重となり、利益を得る望みがなくなるため、市場が不振となる。

イブン=ハルドゥーン『歴史序説』2 岩波文庫

 ザッピングでチラ見した民主党代表候補者が、あんまりにもあんまりで、まるきり自民党レベル*1だったので日本新党からこっち、この国は駄目になっちまったという印象しかありません。もちろん、宇野とか、海部が立派だったというつもりはないんですけど、財務省(旧大蔵省)の物品税阻止はよかった。

 消費税は地下鉄に毒(自粛)より多くの人を不幸に追いやっている。なーんて嘘に引っかかる、か? 引っかからないね!

歴史序説 (2) (岩波文庫)

歴史序説 (2) (岩波文庫)

*1:民主党がアホばっかりなので自民党という意見には賛同しません。自民党はカスばっかりでしょう。