蜀犬 日に吠ゆ

2014-08-09

[][][]大いなる章を読む(その33) 22:56 はてなブックマーク - 大いなる章を読む(その33) - 蜀犬 日に吠ゆ

第三 大いなる章

六、サビヤ

 そこで、遍歴の行者サビヤは尊き師(ブッダ)の両足に頭をつけて礼して、言った、――「すばらしいことです。尊いお方さま。すばらしいことです、譬えれば倒れた者を起すように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あうりは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。ここでわたくしはゴータマ(ブッダ)さまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいとに帰依したてまつる。わたくしは師のもとで出家したいのです。完全な戒律を受けたいのです。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫
ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2014-07-27

[][][]大いなる章を読む(その32) 19:54 はてなブックマーク - 大いなる章を読む(その32) - 蜀犬 日に吠ゆ

第三 大いなる章

六、サビヤ

 そこで、遍歴行者サビヤは師の所説をよろこび随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、座から起ち上がって、上衣(うわぎ)を一方の肩にかけ(右肩をあらわし)、師に向って合掌して、ふさわしい詩を以て目のあたり師を讃嘆した。

五三八 「智慧豊かな方よ。諸々の(道の人)の論争にとらわれた、名称と文字と表象とにもとづいて起った六十三種の異説を伏して、激流をわたりたもうた。

五三九 あなたは苦しみを滅ぼし、彼岸に達せられた方です。あなたは真の人(拝まれる人)です。あなたは完全にさとりを開かれた方です。あなたは煩悩の汚れを滅ぼされた方だと思います。あなたは光輝あり、理解あり、智慧豊かな方です。苦しみを滅ぼした方よ。あなたはわたくしを救ってくださいました。

五四〇 あなたはわたくしに疑惑のあるのを知って、わたくしの疑いをはらしてくださいました。わたくしはあなたに敬礼します。聖者よ、聖者の道の奥をきわめた人よ。心に荒みなき、太陽の末裔よ。あなたはやさしい方です。

五四一 わたくしが昔いだいていた疑問を、あなたははっきりと解き明してくださいました。眼ある方よ。聖者よ。まことにあなたは(さとりを開いた人)です。あなたには、妨げの覆いがありません。

五四二 あなたの悩み悶えは、すべて破られ断たれています。あなたは清涼(しょうりょう)となり、身を制し、堅固で、誠実に行動する方です。

五四三 象の中の象王であり偉大な英雄であるあなたが説くときには、すべての神々は、ナーラダ、パッバタの両(神群)とともに随喜します。

五四四 貴い方よ。あなたに敬礼します。最上の人よ。あなたに敬礼します。神々を含めた全世界のうちで、あんたに比べられる人はおりません。

五四五 あなたは覚った人です。あなたは師です。あなたは悪魔の征服者です。賢者です。あなたは煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから(彼岸に)渡りおわり、またこの人々を渡すのです。

五四六 あなたは生存の素因を超越し、諸々の煩悩の汚れを滅ぼしておられます。あなたは獅子です。何ものにもとらわれず、恐れおののきを捨てておられます。

五四七 麗しい白蓮華が泥水に染らないように、あなたは善悪の両者に汚されません。雄々しき人よ、両足をお伸ばしください。サビヤは師を礼拝します。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

第三 大いなる章

六、サビヤ

六十三種の異説――梵網経(Dn.Ⅰ, p.13ff.)に説かれた六十二の異端説に、自己の身体が実在すると見なす見解(身見 sakkayaditthi)を加えて六十三とする(Pj.)。異説を説明していう、――osaranani ti ogahanani titthani, ditthiyo ti attho(Pj. p.434).

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

第三 大いなる章

六、サビヤ

両(神群)――Narada-Pabbata ti te kira dve devagana pannavanto(Pj. p.435).

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2014-07-26

[][][]大いなる章を読む(その31) 19:54 はてなブックマーク - 大いなる章を読む(その31) - 蜀犬 日に吠ゆ

第三 大いなる章

六、サビヤ

 そこで、遍歴行者サビヤは師の所説をよろこび随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに尊師に質問を発した。

五三三 サビヤがいった、「何を得た人を(学識ある人)と呼ぶのですか? 何によって(すぐれた人)となるのですか? またいかにして(おこないの具(そな)わった人となるのですか? (遍歴行者)とはそもそも何ですか? 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

五三四 師は答えた、「サビヤよ、教えを聞きおわって、世間における欠点あり或いは欠点のないありとあらゆることがらを熟知して、あらゆることがらについて征服者・疑惑のない者、解脱した者、煩悩に悩まされない者を(学識のある人)と呼ぶ。

五三五 諸々の汚れと執著のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない、――かれを(すぐれた人)と呼ぶ。

五三六 この世において諸々の実践を実行し、有能であって、常に理法を知り、いかなることがらにも執着せず、解脱していて、害しようとする心の存在しない人、――かれは(行いの具わった人である。

五三七 上にも下にも横にも中央にも、およそ苦しみの報いを受ける行為を回避して、よく知りつくして行い、偽りと慢心と貪欲(とんよく)と怒りと(名称と形態)(個体のもと)とを滅ぼしつくし、得べきものを得た人、――かれを(遍歴の行者)と呼ぶ。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2014-07-25

[][][]大いなる章を読む(その30) 19:44 はてなブックマーク - 大いなる章を読む(その30) - 蜀犬 日に吠ゆ

第三 大いなる章

六、サビヤ

 そこで、遍歴の修行者サビヤは師の所説をよろこび随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

五二八 サビヤがいった、「何を得た人を(ヴェーダの達人)と呼ぶのですか? 何によって(知りつくした人)となるのですか? いかにして(務め励む者)となるのですか? (育ちのよい人)とはそもそも何ですか? 先生! おたずねしますが、どうかわたくしに説明してください。」

五二九 師は答えた、「サビヤよ、道の人ならびにバラモンどもの有するすべてのヴェーダを弁別して、一切の感受したものに対する貪りを離れ、一切の感受を超えている人、――かれは(ヴェーダの達人)である。

五三〇 内的には差別的(妄想とそれにもとづく名称と形態)とを究め知って、また外的には病いの根源を究め知って、一切の病いの根源である束縛から脱(のが)れている人、――そのような人が、まさにその故に(知りつくした人)と呼ばれるのである。

五三一 この世で一切の罪悪を離れ、地獄の責め苦を超えて務め励む者、精励する賢者、――そのような人が(務め励む者)と呼ばれるのである。

五三二 内面的にも外面的にも執著の根源である諸々の束縛を断ち切り、一切の執著の根源である束縛から脱れている人、――そのような人が、まさにその故に(育ちのよい人)と呼ばれるのである。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2014-07-24

[][][]大いなる章を読む(その29) 20:35 はてなブックマーク - 大いなる章を読む(その29) - 蜀犬 日に吠ゆ

第三 大いなる章

六、サビヤ

 そこで、遍歴の行者サビヤは師の所説をよろこび随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

五二三 サビヤがいった、「諸々の目ざめた人(ブッダ)は誰を(田の勝者)と呼ぶのですか? 何によって匠なのですか? どうして(賢者)なのですか? どうして(聖者)と呼ばれるのですか? 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

五二四 師が答えた、「サビヤよ。天の田・人の田・梵天の田という一切の田を弁別して、一切の田の根本の束縛から離脱した人、――このような人がまさにその故に(田の勝者)と呼ばれるのである。

五二五 天の蔵・人の蔵・梵天の蔵なる一切の蔵を弁別して、一切の蔵の根本の束縛から離脱した人、――このような人がまさにその故に(巧みな人)と呼ばれるのである。

五二六 内面的にも外面的にも二つながらの白く浄らかなものを弁別して、清(きよ)らかな智慧あり、黒と白(善悪業)を超越した人、――このような人はまさにその故に(賢者)と呼ばれる。

五二七 全世界のうちで内面的にも外面的にも聖者の道理を知っていて、人間と神々の崇敬を受け、執著の網を超えた人、――かれは(聖者)である。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 ここは久しぶりに註を引きますか

五二三の註

第三 大いなる章

六、サビヤ

五二三 田の勝者――原文には khettajina とあるが、何を意味するかはっきりしない。ブラーフマナ、ウパニシャッド、叙事詩に頻繁に出てくる ksetrajina(田を知る者)にもとづいて、仏教徒がこのように改めたのではなかろうか。つまり訛ったのである。第五二四詩の説は ksetrajina の原意に解することも可能である。註釈は「田」とは「十二処」のことであると解し、それを「知る」はたらきによって無明をほろぼしうるという(vijeyya=viceyya)。なお似た表現として maggajina(84)参照。

中村元『ブッダのことば』岩波文庫

 なるほどつまり訛ったのですか。

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

2014-07-23

[][][]大いなる章を読む(その28) 20:08 はてなブックマーク - 大いなる章を読む(その28) - 蜀犬 日に吠ゆ

第三 大いなる章

六、サビヤ

 そこで、遍歴の行者であるサビヤは、師の説かれたことを喜び、随喜し、こころ喜び、楽しく、嬉しく、欣快の心を生じて、さらに師に質問を発した。

五一八 サビヤがいった、「何を得た人を(バラモン)と呼ぶのですか? 何によって(道の人)と呼ぶのですか? どうして(沐浴をすませた者)と呼ぶのですか? どうして(竜)と呼ぶのですか? 先生! おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

五一九 師が答えた、「サビヤよ。一切の悪を斥け、汚れなく、よく心をしずめ持(たも)って、みずから安立し、輪廻を超えて完全な者となり、こだわることのない人、――このような人は(バラモン)と呼ばれる。

五二〇 安らぎに帰して、善悪を捨て去り、塵を離れ、この世とかの世とを知り、生と死とを超越した人、――このような人がまさにその故に(道の人)と呼ばれる。

五二一 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落し、時間に支配される神々と人間とのうちにありながら妄想分別におもむかない人、――かれを(沐浴をすませた者)と呼ぶ。

五二二 世間のうちにあっていかなる罪悪をもつくらず、一切の結び目・束縛を捨て去り、いかなることにもとらわれることなく解脱している人、――このような人はまさにその故に(竜)と呼ばれる。」

中村元『ブッダのことば』岩波文庫
ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)