蜀犬 日に吠ゆ

2010-10-13

[][][]孫子を読む 勢篇(その6) 16:33 はてなブックマーク - 孫子を読む 勢篇(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

勢に求めて人に責めず

勢篇

故善戰者、求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其戰人也、如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 故に善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず、故に善く人を択びて勢に任ぜしむ。勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静かに、危うければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞の山に転ずるが如くなる者は、勢なり。


 そこで、戦いに巧みな人は、戦いの勢いによって勝利を得ようとして、人材に頼ろうとはしない。だから、うまく(種々の長所を備えた)人々を選び出して、勢いのままにさせることができるのである。勢いのままにまかせる人が兵士を戦わせるありさまは、木や石をころがすようなものである。木や石の性質は、(平坦な処に)安置しておけば静かであるが傾斜した処では動き出し、方形であればじっとしているが、丸ければ走り出す。そこで、巧みに兵士を戦わせたその勢いが、千仞の高い山から丸い石をころがしたほどになるのが、戦いの勢いというものである。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

魏武注                   

勢篇

曹操 総合的な組織力を引き出す術策をもった人物ならば、將軍として指揮権をまかせてよろしい。將軍は、武士である以上に組織指導者の資質と責任が要求されるからである。一人や二人の勇猛の士の個人技に決して頼らないというのは、臨機応変の全面的な戦術変更を優先する場合、自分の個人技を主張したがる武士たちは作戦上の撤退を拒否したり、かえって指揮の妨げになるからである。

中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』朝日文庫

 曹操が美髯公にご執心で、劉備軍二枚看板の燕人トラヒゲには興味をもたないのは、こういう事情もあるのでしょうか。

 しかし、「勇猛の士の個人技」というのは士卒に大きな影響力を与え、指揮能力を大きく左右します。野球選手が、ホームラン王の監督のいうことであれば素直に聞くようなものですね。それでなくても山本五十六元帥の「やってみせ…」のように、兵を動かすということは理窟ではないものですからね。(上杉鷹山でしたっけ?)


 「千仞の山」は「万丈の山」とどっちが高いのか、と気になるのは「箱根八里」のせいですね。

2010-10-12

[][][]孫子を読む 勢篇(その5) 19:51 はてなブックマーク - 孫子を読む 勢篇(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

利を以てこれを動かし、詐を以てこれを待つ

勢篇

故善動敵者、形之、敵必從之、予之、敵必取之、以利動之、以卒待之、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 故に善く敵を動かす者は、これに形すれば敵必らずこれに従い、これに予(あた)うれば敵必らずこれを取る。利を以てこれを動かし、詐を以てこれを待つ。


 そこで、巧みに敵を誘い出すものは、敵に分かるような形を示すと敵はきっとそれについてくるし、敵に何かを与えると敵はきっとそれを取りにくる。(つまり)利益を見せて誘い出し、裏をかいてそれに当たるのである。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 「奪わんと欲すれば、まずは与えるべし」(虎眼流)。たしかに魏武はこんなの好きそうですねえ。


 魏武注

勢篇

曹操 利益をぶらさげて敵を誘導し、敵の防衛陣地から遠く離して、どこからでも攻撃できる丸裸の状態にする。甲羅を捨てた裸の亀、貝ガラを抜け出した裸のカタツムリのっように無防備であれば、あとの攻撃は容易である。敵の不注意、背伸びした足元、指導者の独断癖、その性格や特徴の欠点をうまくとらえて、それらを狙い撃ちするのだ。

中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』朝日文庫

 官渡の時は、逆にとりあえずかき回してから本陣と本隊を引き離したよなあ。

2010-10-11

[][][]孫子を読む 勢篇(その4) 19:20 はてなブックマーク - 孫子を読む 勢篇(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

乱は治に生じ

勢篇

亂生於治、怯生於勇、弱生於彊、治亂數也、勇怯勢也、彊弱形也、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。強弱は形なり。


 混乱は整治から生まれる。おくびょうは勇敢から生まれる。軟弱は剛強から生まれる。(それぞれに動きやすく、互いに移りやすいものである。そして、)乱れるか治まるかは、部隊の編成――分数――の問題である。おくびょうになるか勇敢になるかは、戦いのいきおい――勢――の問題である。弱くなるか強くなるかは、軍の態勢――形――の問題である。(だから、数と勢と形に留意してこそ、治と勇と強とが得られる。)

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 乱治に関して、魏武注

勢篇

曹操 各部隊の役割を定め、芝居の演技のように、全体のシナリオの中で、それぞれの部分で力量を発揮させる。綿密に計画され、分担された戦術であり、外見は混乱を装っていても、整然とした作戦行動に基づいているのである。

中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』朝日文庫

 「乱生於治」を、(よい)乱は治に生ずる、と読むわけですね。混乱した様子を見せているようでも、将帥の統率が利いている状態をつくり出すのだ、と。

 となれば、勇怯・強弱への魏武注も

勢篇

曹操 臨機応変に全軍の集中力を増幅したり、一瞬にして作戦行動を変化させ、戦術を入れ替えることだ。

中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』朝日文庫

 とあり、勇怯は作戦の積極消極、強弱は戦力の集中分散のことでしょうか? 戦闘中の臨機応変が勢であり、形の要点であるということでしょう。

2010-10-09

[][][]孫子を読む 勢篇(その2) 15:39 はてなブックマーク - 孫子を読む 勢篇(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ

勢篇

凡戰者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日月是也、死而復生、四時是也、聲不過五、五聲之變、不可勝聽也、色不過五、五色之變、不可勝觀也、味不過五、五味之變、不可勝嘗也、戰勢、不過奇正、奇正之變、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 凡そ戦いは、正を以て合い、奇を以て勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まり無きこと天地の如く、竭(つ)ざること江河の如し。終わりてまた始まるは、四時是れなり。死して更〃生ずるは、日月是れなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝(あ)げて聴くべからざるなり。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからざるなり。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げって嘗むべからざるなり。戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからざるなり。奇正の相い生ずることは、循環の端なきが如し。孰(たれ)か能くこれを窮めんや。


 およそ戦闘というものは、定石どおりの正法で――不敗の地に立って――敵と会戦し、状況の変化に適応した奇法でうち勝つのである。だから、うまく奇法を使う軍隊では、(その変化は)天地の(動き)のように窮まりなく、揚子江や黄河の水のように尽きることがない。終わってはくりかえして始まるのは四季がそれであり、暗くなってまたくりかえして明かるくなるのは日月がそれである(が、ちょうどそれと同じである)。音は(その音階は宮・商・角・徴(ち)・羽の)五つに過ぎないが、その五音階のまじりあった変化は(無数で)とても聞きつくすことはできない。色は(その原色は青・黄・赤・白・黒の)五つに過ぎないが、その五色のまじりあった変化は(無数で)とても見つくすことはできない。味は(酸・辛(しん、からみ)・醎(かん、しおから)・甘・苦(にがみ)の)五つに過ぎないが、その五味のまじりあった変化は(無数で)とても味わいつくすことはできない。(それと同様に、)戦闘の勢いは奇法と正法と(の二つの運用)に過ぎないが、奇法と正法とのまじりあった変化は(無数で)とても窮めつくせるものではない。奇法と正法とが互いに生まれ出てくる――奇中に正あり、正中に奇あり、奇から正が生まれ正から奇が生まれるという――ありさまは、丸い輪をぐるぐる廻って終点のないようなものである。誰にそれが窮められようか。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

2010-10-08

[][][]孫子を読む 勢篇(その1) 19:51 はてなブックマーク - 孫子を読む 勢篇(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

衆を治むること寡を治むるが如く

勢篇

孫子曰、凡治衆如治寡、分數是也、鬭衆如鬭寡、形名是也、三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也、兵之所加、如以碬投卵者、虛實是也、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 孫子曰わく、凡そ(兵を用うるに、)衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分数是れなり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、形名是れなり。三軍の衆、必らず敵に受(こた)えて敗なからましむべき者は、奇正是れなり。兵の加うる所、碫(たん)を以て卵に投ずるが如くなる者は、虚実是れなり。


 孫子はいう。およそ(戦争に際して、)大勢の兵士を治めていてもまるで小人数を治めているように(整然と)いくのは、部隊の編成がそうさせるのである。大勢の兵士を戦闘させてもまるで小人数を戦闘させているように(整然と)いくのは、旗や鳴り物などの指令の設備がそうさせるのである。大軍の大勢の兵士が敵の出かたにうまく対応して決して負けることのないようにさせることができるのは、変化に応じて処置する奇法と定石どおりの正法と(の使い分け)がそうさせるのである。戦争が行われるといつもまるで石を卵にぶつけるように(たやすく敵をうちひしぐことの)できるのは、(充実した軍隊ですきだらけの敵をうつ)虚実の運用がそうさせるのである。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 石と卵の譬喩。

 しかし、冷静に読んでみると『孫子』というのはあんまり面白くないですね。「部隊の編成をきちんとして、大人数でも整然と動かすのである」とか言われても「ああそうですね」くらいの感想しかない。理論書なので、たとえ話とかエピソードも引用されませんしねえ。

 魏武注もそうで、例えば「奇正是なり」の注は

勢篇

 曹操 まず正攻法で敵軍と衝突し、それによって敵軍主力の動きを止めてから、奇策によって敵陣の弱点を奇襲するのである。

中島悟史『曹操注解 孫子の兵法』朝日文庫

 「ああ、それなら勝てますね」。なんといいますか、この割り切れない感。