蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-20

[][][][]子張第十九を読む(その19) 18:58 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その19) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は一言、以て知と為し、一言、以て不知と為す

 子張第十九(472~496)

496 陳子禽謂子貢曰。子為恭也。仲尼豈賢於子乎。子貢曰。君子一言以為知。一言以為不知。言不可不慎也。夫子之不可及也。猶天之不可不可階而升也。夫子之得邦家者。所謂立之斯立。道之斯行。綏之斯来。動之斯和。其生也栄。其死也哀。如之何。其可及也。

(訓)陳子禽、子貢に謂いて曰く、子は恭を為すなり。仲尼は豈に子よりも賢ならんや。子貢曰く、君子は一言、以て知と為し、一言、以て不知と為す。言は慎まざるべからざるなり。夫子の及ぶべからざるや、猶お天の階して升るべからざるがごときなり。夫子にして邦家を得たらんには、所謂る、これを立つれば斯に立ち、これを道(みちび)けば斯に行き、これを綏(やす)んずれば斯に来り、これを動かせば斯に和ぐ。其の生くるや栄(はえ)あり、其の死するや哀しまる。これを如何んぞ其れ及ぶべけんや。

(新)陳子禽が子貢に言った。貴方は謙遜すぎる。孔子でも貴方より賢いとは言えますまい。子貢曰く、貴殿はただの一言で知者と思われ、また愚者と思われることがありますから、言葉を慎んで頂きたい。先生がお偉かったことは、天の高さにあって梯子をかけて升って行くことができぬようなものでした。もしも先生が一国の政治を自由にする地位を得られたなら、古い言葉に、(人民を)立てようとすればすぐ立ち、導こうとすればすぐ行き、招こうとすればすぐ来る。動かそうとすればすぐ従う、人はみな生きて栄あり、死んでは悲しまれる、とある通りにされたに違いありません。どうして、到底他人の及ぶところではありません。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 理想論。そこが子貢の魅力。


 以上で、学問を志すものが尊ぶ『論語』下論、皆弟子の言を記す。そして子夏が最も多く、子貢がこれに次いで登場し、孔子の門下では、顔子より以下には穎悟なること子貢に及ぶものはなく、曾子より以下には篤実なること子夏に及ぶものはないから特にこれを記すことが詳らかであるすべて二十五章ある「子張第十九」はおわる。

2010-06-18

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仲尼は日月なり。得て踰ゆるなし

 子張第十九(472~496)

495 叔孫武叔。毀仲尼。子貢曰。無以為也。仲尼不可毀也。他人之賢者。丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絶。其何傷於日月乎。多見其不知量也。

(訓)叔孫武叔、仲尼を毀(そし)る。子貢曰く、以て為すなきなり。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり。猶お踰(こ)ゆべきなり。仲尼は日月なり。得て踰ゆるなし。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月において傷(やぶ)らんや。多(まさ)に量の知らざるを見すのみ。

(新)魯の叔孫武叔が孔子を悪しざまに言った。子貢曰く、それは全く無用だ。孔子には悪口が通用しないのだ。世間で賢者といわれている人は、いわば小山のようなもので、歩いて乗りこえることができる。ところが孔子の高さは天上の日月のようなものだ。そこまで上って行く手段がない。さればと言って無視しようとしても、無視された方の日月は平然としていてびくともしない。かえって無視しようとした方が、身の程知らずであったことを暴露するにすぎない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子服景伯から「宮牆の譬え」を聞かされても、叔孫武叔は納得しません。「子貢先生はそうおっしゃるが、あんな孔丘なんてたいしたことないやい」とかなんとか。そこで子貢が出向いて話した話(なのだと思います)。「丘は孔夫子以外の、いわゆる一山いくらの御用学者にこそ譬えられるべきであり、夫子を語るのは日月を語るようなものです」と。魯の大夫だとか言ってみても、日月などからすればほんのちっぽけな存在でしかないですからね。

 夫子リスペクトの子貢に言い合いで勝てるはずもなく、叔孫武叔、二敗。

2010-06-17

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夫子の牆は数仞なり

 子張第十九(472~496)

494 叔孫武叔。語大夫於朝曰。子貢賢於仲尼。子服景伯以告子貢。子貢曰。譬之宮牆。賜之牆也及肩。窺見室家之好。夫子之牆数仞。不得其門而入。不見宗廟之美。百官之富。得其門者或寡矣。夫子之云。不亦宜乎。

(訓)叔孫武叔、大夫に朝に語りて曰く、子貢は仲尼よりも賢なり、と。子服景伯以て子貢に告ぐ。子貢曰く、これを宮牆に譬うれば、賜の牆や肩に及ぶ。室家の好きを窺い見る。夫子の牆は数仞なり。其の門を得て入るにあらざれば、宗廟の美、百官の富を見ず。其の門を得る者、或いは寡なしと、夫子の云える、亦た宜(うべ)ならずや。

(新)魯の叔孫武叔が朝廷で同僚の大夫たちと話している間に、子貢は孔子よりも賢い、と言った。子服景伯がそれを子貢に話した。子貢曰く、それはとんでもない。例えば邸宅の垣根で言うならば、私の垣根は肩の高さにすぎません。誰でも人はその上から、部屋の内部の奥深い所まで窺きこめます。先生の垣根の高さは数メートルもありますから、門から入っていくのでなければ、内部の建物、祖先を祭る宗廟の美しさ、部局に分れた財貨の蓄積の莫大なのを見ることができぬでしょう。かつて先生は、その門に入ることの出来る者は、甚だ少数に限られる、と申されましたが、まことにもっともなお言葉であったと思います。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子貢の言葉はまるで「大器晩成」老子のようです。

 宮崎先生によば子貢の「宮牆」のたとえは先進篇堂に升れり。未だ室に入らざるのみを踏まえた者である由。直接的にこれではなくても、「門を得る者、或いは寡なしと」夫子が言ったということは、こうした譬喩はたびたびにおいてなされたと考えられます。子貢はそれをふまえてこうした説明を行ったのでしょう。


 「数仞」は、中国の度量衡に採録されていないので新字源(角川書店)を引くと、尋とおなじで七尺(一説には八尺)的なことがかいてあります。で、尋を引くと周代では八尺(日本では六尺)とあります。尋、というのは両腕を広げた長さであり、レオナルドによれば人体はその時正方形に内接しますから、ほぼ成人男子の身長に相当すると考えていいでしょう。孔子は背が高かったのですが、それはひとまずおいて、「数仞」はですから、子貢の牆が肩の高さであるのに比して孔子のそれは人の背丈の数倍であった、とこういう風に解釈するのがよさそうです。「数メートル」は間違いでないにしてもすこし杜撰ですぞ宮崎先生


 叔孫武叔は、魯の大夫の叔孫州仇であり、「左伝」では、定公十年に、自己の相続に異議を唱えた家臣公若の立てこもる都市、郈を包囲したという事件で、その名がはじめて見える。この年はすなわちまた、五十二歳の孔子が、同じく魯の重臣の一人として、魯侯の介添となり、夾谷の会見で斉侯をやりこめたことを、「左伝」が記す年である。(略)しからば、武叔は、孔子よりやや年の若い同僚であった。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 とするならば、孔子よりずいぶん若い子貢に心服するというのはあまり現実的ではないので、おそらく分かり易い例として引き合いに出したのでしょう。それで、子貢に「分かりやすい才気などというのは本物ではないですよ」とたしなめられてしまったのでしょう。

2010-06-16

[][][][]子張第十九を読む(その16) 19:39 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

仲尼は焉にか学べる

 子張第十九(472~496)

493 衛公孫朝。問於子貢曰。仲尼焉学。子貢曰。文武之道。未墜於地。在人。賢者識其大者。不賢者識其小者。莫不有文武之道焉。夫子焉不学。而亦何常師之有。

(訓)衛の公孫朝、子貢に問うて曰く、仲尼は焉(いずく)にか学べる。子貢曰く、文武の道、未だ地に墜ちず、人に在り。賢者は其の大なる者を識り、不賢者は其の小なる者を識る。文武の道あらざることなし。夫子焉にかまなばざるあらん。而して亦た何の常師(じょうし)かこれ有らん。

(新)衛の公孫朝が子貢に尋ねた。孔子は誰から学問を受けられましたか。子貢曰く、周の文王、武王が残した道は全く滅びたのでなく、人民の間に保存されています。賢者はその中から大きなものを発見し、劣った者はその中の小さいものしか見出せない、という相違はありますが、どれも文武の道の保存されたものでないものはありません。先生がどうしてそれを学ばずにおくものでしょうか。従って別に誰を師匠と定めた人はありませんでした。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子は文、茲にあらずやと豪語するなど中華文明の正統な継承者であることを誇っていますが、それは、文王武王の礼楽(本当は堯舜禹と言いたいのでしょうけれども)が散逸してしまったのをまとめ直したのは自分であるという自信があったから言えた台詞なのでしょう。ですから、孔子は誰か一人の学説を継承して、次の世代にバトンタッチするだけの存在ではなかったのだと、そういうことですね。

 子貢、やはり孔子先生崇拝が尋常でない。

2010-06-15

[][][][]子張第十九を読む(その15) 19:14 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子の過ちや、日月の食の如し

 子張第十九(472~496)

492 子貢曰。君子之過也。如日月之食焉。過也人皆見之。更也人皆仰之。

(訓)子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過てば人皆なこれを見る。更むれば人皆これを仰ぐ。

(新)子貢曰く、諸君は過失を犯した時には、日月の蝕のようにしてもらいたい。過失があれば万人がそれに気付く。過失を改めた時はまた万人が皆なそれに気付いて尊敬する。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 こそこそしないことが大切だ、ということでしょう。そうしてきちんと過ちを認めて改めよ、と。失敗をしないことなどできないのですから、過失を犯してしまうこと、犯してしまったあとのことまで考えておきましょう、というのが儒学の姿勢。

2010-06-14

[][][][]子張第十九を読む(その1421:29 はてなブックマーク - 子張第十九を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

紂の不善

 子張第十九(472~496)

491 子貢曰。紂之不善。不如是之甚也。是以君子悪居下流。天下之悪皆帰焉。

(訓)子貢曰く、紂の不善は、是の如くこれ甚しきにあらざりしなり。是を以て君子は下流に居ることを悪む。天下の悪、皆なこれに帰すればなり。

(新)子貢曰く、紂の暴政といっても、実際は世間で言われるほど甚しいのではなかった。だから諸君も吹き溜りのような場所を避けておらぬがよい。天下の悪名がみなそこへ集ってくるかもしれぬ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 権力をもった人の悪行よりも、それに取り入る人の方がよりタチが悪い、というのはよくある話ですが、だからこそ、君子たるものはその地位にすり寄ってくる者を見極める能力をこそ磨かねばならず、その権勢を謳歌している暇はないわけです。ダモクレスの剣です。