2010-02-13
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その22) 
善人が民を教うること七年
子路第十三(303~332)
331 子曰。善人教民七年。亦可以即戎矣。
(訓)子曰く、善人が民を教うること七年ならば、亦た以て戎に即かしむべし。
(新)子曰く、善意の人が人民を指導すること七年にもなれば、戦争につれて行ってもぶざまな結果にならない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
「即戎」は「就兵」と解釈するそうです。
「即戎」は、古注の包氏の説に、「即は就く也、戎は兵也」とあり、うち「兵」は軍事の意味であるから、二字は軍事に従事させる意味である。
吉川幸次郎『論語』下 朝日選書
「亦」の字は、戦争に行かせること「もまた」できるよ、他のことをいろいろさせることもできるよ、という意味に単純にとりましたが、吉川先生ならびに仁斎はさらに解釈を深めます。
ところで目をとめて読みたいのは、「亦た以って戎に即く可し矣」の「亦」の字であって、善人が人民を七年間教育すれば、戦争をさえ、させることができる、という語気のように、読める。もしその語気であるとするならば、戦争は原則として肯定されない反価値的な行動であるけれども、それにさえ、人民を従事させることができる、というふうに読める。少なくとも仁斎は、そう読んでいる。
吉川幸次郎『論語』下 朝日選書
戦争という事態に陥っても取り乱さないように教育を行うことができる、ということでしょうか。
「善人」は知者、賢人などと共に、仁者に次ぐ人格者であり、国を指導するもののことでしょう。善者とはすこしニュアンスを異にするようです。善人が国を治める、のではなくて民に教う、というところが、教育と政治を一体のものと見なした孔子の考え方が現れている部分だと思います。
しかし、善人であっても、民を教えるのに七年をかけるというのですから、凡骨が民に教えるなどというのは、「民を知らしむべからず」で、できっこないほどに遠い道ですね。
教えざるの民を以いて
子路第十三(303~332)
332 子曰。以不教民戦。是謂棄之。
(訓)子曰く、教えざるの民を以(ひき)いて戦う。是れ、これ棄つと謂うなり。
(新)子曰く、訓練しない人民を戦争に狩り出すのは、殺されにやるようなものだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
前章を受けての言葉であろうと思いますが、331と332をひとつながりにしている訳本がないことから、分けて考えるべきなのでしょうか。
宮崎先生は、そのへんのところに思いをいたしたのか、前章で教うは教育のことでしたが、この章では軍事的な訓練のことと解釈しています。と思ったら、加地先生、吉川先生も軍事訓練の解釈でした。金谷先生は普通に教育のこととします。宇野先生は、少し言葉を増やしてですが、
戦いは民の生死に関することであるから、平日これを教えて勇気あり且つ向う所を知らせておかなければならぬ。
宇野哲人『論語新釈』講談社現代文庫
軍事訓練というよりは、軍国教育のような状況が想定されるようです。
加地先生の説明。
従来、「不教民(教えざる民)」を「教育のない民」と解釈してきた。しかし、前節の文との関係を考えると、この「教」は一般的教育ではなくて、軍事教育と解する。そうなると「民に戦いを教えざるを以てす」(民に軍事教育をしないことを政策とする)と訓(よ)んでもいい。
宇野哲人『論語新釈』講談社現代文庫
戦争は、ない方がいいのですが現実には存在してしまう。教育の場で、そうしたことを避けてはいけない、という風に解釈することもできそうですね。
しかしそうすると、前章の「善人民を教えて」というのも、さかのぼって軍事教練の話にできませんかね。善人が軍隊を仕上げるのには七年かかる、しかしファシストなら1年で精鋭を鍛え上げる、とかそういう風に。
以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』下論、前の十八章は多く政(まつりごと)を言い、十九章以後は多く学を言い、末の二章は政(まつりごと)をいう「子路」という第十三章は終わる。
2010-02-12
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その21) 
切切、偲偲、怡怡如たらば、士と謂うべきなり
子路第十三(303~332)
330 子路問曰。何如斯可謂之士矣。子曰。切切偲偲。怡怡如也。可謂士矣。朋友切切偲偲。兄弟怡怡。
(訓)子路、問うて曰く、何如(いか)なれば斯にこれを士と謂うべきか。子曰く、切切、偲偲(しし)、怡怡如(いいじょ)たらば、士と謂うべきなり。朋友には切切、偲偲たり。兄弟には怡怡たれ。
(新)子路が尋ねた。私どもはどのようにすれば求道の学徒たるの名に恥じないものといえましょうか。子曰く、きびしく、思いやりがあり、仲良くすれば、学徒というに値いする。朋友に対しては、厳しいうちにも思いやりがあり、兄弟に対しては、理窟ぬきに仲良くすることだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
これは子路に不足している点を孔子が指摘したのでしょうね。子貢が士を問うた時とは、必ずしも整合せずとも構わないわけです。
孔子門下の長老に近い子路は肝腎なところで後輩に甘かったり、厳しくするつもりが逆に冷淡なだけであったり、また兄弟や親類たちにも孔子の道を吹いてまわって煙たがられたりしていたのかもしれません。
2010-02-11
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その20) 
君子は事え易くして説(よろこ)ばし難きなり
子路第十三(303~332)
327 子曰。君子易事而難説也。説之不以道。不説也。及其使人也。器之。小人難事而易説也。説之雖不以道。説也。及其使人也。求備焉。
(訓)子曰く、君子は事え易くして説(よろこ)ばし難きなり。これを説ばすに道を以てせざれば説ばざるなり。其の人を使うに及んでや、これを器とす。小人は事え難くして説ばし易きなり。之を説ばすに道を以てせず雖も説べばなり。其の人を使うに及んでや、備わるを求む。
(新)子曰く、教養ある君主の下で働くのは働きやすいが、気に入られるのはむつかしい。気に入られようと努めても、道理に叶うのでなければ気に入られないからだ。しかし人を使うときには適当した仕事だけをやらせるから働きやすい。小人物の下では働きにくいが、気にいられるのは容易だ。取りいろうとすれば道理に叶わなくても、すぐ説ぶ。しかし人を使う時には何でもかでも見さかいなく用事を命(いい)つけるから、その下では働きにくいのだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
さいごの「求備焉」を、宮崎先生は意訳して解釈しますが、普通は「完全さを求める」、つまりその人の特徴や能力を見極めず、与えた仕事に合わせて能力を発揮するように要求する、というふうに意味をとるようです。
この章句も、前章と同じように逆から意味をとって、「下らないおためごかしでいい気になるかどうか、部下の資質を見極めて仕事を割り振ることができるかどうか」で君主の能力が分別される、という風に考えることが出来ます。加地先生は「小人」を知識人ととりますが、この場合は「君子」「小人」はどちらも君主のことであるようです。
君子は泰くして驕らず
子路第十三(303~332)
328 子曰。君子泰而不驕。小人驕而不泰。
(訓)子曰く、君子は泰(やす)くして驕(おご)らず。小人は驕りて泰からず。
(新)子曰く、教養ある君子は自信があって而も謙虚だ。小人物は傲慢でありながら自信がない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
「泰」は「自信がある」でしょうか、金谷先生は「落ち着いていて」という解釈で、まあ近いと言えばそうなのでしょうけれども、一方は内面、他方は外見上のことを指ししめしています。「泰然」などの語意から考えると、外見的に「落ち着いている」という方がすんなり理解できます。
何故「落ち着いて」もしくは「自信があって」堂々とした態度なのか、実力がともなっているからなのでしょうね。
剛、毅、木、訥なるは仁に近し
子路第十三(303~332)
329 子曰。剛毅木訥。近仁。
(訓)子曰く、剛、毅、木、訥なるは仁に近し。
(新)子曰く、かたい背骨がとおり、粘り腰がつよく、田舎風まるだしで、口数の少いのは、そのままで仁に通ずるものがある。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
もちろん、巧言令色鮮矣仁と対にして考えるべきなのでしょう。(巧言令色足恭というのもある。)仁を行う人というのは、ふだんこんな風な様子である、と。
ところで、「剛毅木訥」のうち、「剛」と「毅」は一文字で名前になったりしますが、二文字で「剛毅」くん、というのは会ったこと無いです。居そうではありますが。しかし、「木」くんや「訥」くんというのはいそうにありませんね。不思議?
2010-02-09
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その19) 
君子は和して同ぜず
子路第十三(303~332)
325 子曰。君子和而不同。小人同而不和。
(訓)子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
(新)子曰く、諸君は互いに仲よくしてもらいたいが雷同してもらいたくない。大ぜい集ればすぐ雷同するが、必要な時に協力できぬ人間の多いのは困りものだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
君子は和を貴しとします。宮崎先生の解釈ですと、時には妥協も必要だよ、と。妥協するのは雷同とどう違うのかというと、周礼の理想を実現するという目的意識のもとに、穏やかな人間関係を築くことの重要性を説いたのでしょう。
単純に人間関係であれば、君子は周して比せず、仲のいい人と派閥を作ったりしない、ということが大切になるでしょう。
郷人皆なこれを好しとせば何如
子路第十三(303~332)
326 子貢問曰。郷人皆好之。何如。子曰。未可也。郷人皆悪之。何如。子曰。未可也。不如郷人之善者好之。其不善者悪之。
(訓)子貢、問うて曰く、郷人皆なこれを好しとせば何如。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人皆これを悪しとせば何如。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人の善き者これを好しとし、其の善からざる者これを悪しとするに如かず。
(新)子貢が尋ねた。町内の人が皆な揃って賞めるような人間がいたら何如ですか。子曰く、それでよいとは限らぬ。子貢曰く、町内の人が皆な揃ってけなすような人がいたら何如ですか。子曰く、それでよいとは限らぬ。町内の善い人が賞め、悪い人がけなすのでなければ本物でない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
子貢の質問は既に語られた孔子の言葉を前提にしているので、すこし複雑。
「郷原は徳の賊」ですから、地元で誉めそやされている者は、駄目なのだとわかった上での、この質問なのですよね。ですから、孔子も、「まあまだまだだね」と応じます。では逆に、まわりの者がみなけなす時はどうでしょうか。それも、その事だけで人物を判断は出来ません。善い人が賞め、悪い人がけなすようではじめて判断できる、というわけ。
孔子のこの言葉は、人物評価の基準どうこうというよりも、むしろ「他人のことをあれやこれや言う時、評論家ぶったその人こそ、人物が量られている」ことを暗に示しているように思います。前章ではありませんが、雷同して世間の雰囲気にのって人に毀誉褒貶を与えたり、自分の損得で人物を判断したりする人たちの偏見に、君子は惑わされないものなのです。
2010-02-08

■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その18) 
人にして恒なければ、以て巫医を作すべからず
子路第十三(303~332)
324 子曰。南人有言曰。人而無恒。不可以為巫医。善夫。夫恒其徳。或承之羞。子曰。不占而已矣。
(訓)子曰く、南人言えることあり、曰く、人にして恒なければ、以て巫医を作(な)すべからず、と。善いかな。其の徳を恒にせざれば、或いはこれに羞(はじ)を承(すす)む、とあり。子曰く、占わずして已まん。
(新)子曰く、南方で行われる諺に、バランスを失った人間は神意を伺う巫(みこ)や医者にかかっても益がない、とあるが、まったく同感だ。易経に、行動原理に中心点を欠く人間の将来を占えば、必ず悪い結果が出るのが常だ、とある。子曰く、全く占い以前の問題なのだ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
易経は「恆」ですね。卦としては「巽下 震上」。
その九三の爻辞(下から三本目の卦が陽であることの説明)に、こうあります。
下経
恆 恆久性、恆常性
九三。 不恆其徳。或承之羞。 貞吝。
象曰。 不恆其徳。无所容也。
九三は、その徳を恆にせざれば、あるいはこれが羞(はじ)を承(う)く。貞(ただ)しけれど吝(りん)。
象に曰く、その徳を恆にせず、容(い)るるところなきなり。
九三は剛爻剛位、「正」を得てはいるが、反面、剛に過ぎる。それに「中」(二)を外れている。自分の場所に満足し切れないで、上六(応)につき従おうとする。正しい居場所に恆久的におれないということは、その徳に恆常性のないこと。だからその徳を恆にせずという。恆のない人は、人に受け容れられない(象伝)。恥辱を受けることがあろう――或いはこれが羞を承く(或の字、有とおきかえて見よ)。占ってこの爻が出たら、貞なれど、吝。つまり、意図は貞しくても、恆常性がなくふらふらしているのでは、恥ずかしいこと(=吝)があろう。重ねて占者を戒める言葉である。『論語』子路篇、孔子の言葉の中に不恆其徳、或承之羞の二句が見える。易曰とはいわないが、易のここの文を引用したのだとされる(魏の王弼、宋の程氏による)。
本田濟『易』朝日選書 p281-
2010-02-07
■ [書留][儒教][子路第十三][宮崎市定]子路第十三を読む(その17) 
今の政に従う者は何如
子路第十三(303~332)
322 子貢問曰。何如斯可謂之士矣。子曰。行己有恥。使於四方。不辱君命。可謂士矣。曰。敢問其次。曰。宗族称孝焉。郷党称弟焉。曰。敢問其次。曰。言必信。行必果。硜硜然小人哉。抑亦可以為次矣。曰。今之従政者何如。子曰。噫。斗筲之人。何足算也。
(訓)子貢、問うて曰く、何如(いか)なれば斯(ここ)にこれを士と謂うべきか。子曰く、己を行うに恥あり。四方に使いして君命を辱めず。士と謂うべし。曰く敢て其の次を問う。曰く、宗族、孝を称し、郷党、弟を称す。曰く、敢て其の次を問う。曰く、言うこと必ず信、行うこと必ず果。硜硜然(こうこうぜん)として小人なるかな。抑も亦た以て次と為すべし。曰く、今の政に従う者は何如。子曰く、噫、斗筲(とそう)の人、何ぞ算(かぞ)うるに足らんや。
(新)子貢が尋ねた。私どもはどのようにすれば求道の学徒たるの名に恥じないことになりましょうか。子曰く、自己の行為に全責任をもつ。外国に使いを出されて立派に使命を果すだけの力量をそなえる。それなら学徒と言ってよい。曰く、もう少し程度の低いところを教えて下さい。曰く、親族が口をそろえて孝行だといい、町内が一様に骨惜しみせぬと賞める人になることだ。曰く、もう一つ下の所を伺いたいと思います。曰く、言ったことは必ず守る。行うべきことに愚図愚図しない。大局的に見れば見識の狭い人間にすぎないが、それでもまだましな方と言えよう。曰く、現在の政治当局者はどの程度のでしょうか。子曰く、聞くだけ野暮だ。揃いも揃って小粒な帳面つけ役人で、問題にならぬ。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
儒教は、若者達への教育を重要視しますから、身近で簡単なところから説明を始めて高尚な所へ向かいますが、この問答では、先に完成型をあげておいて卑近な方へ下がっていくという形式をとります。子貢が絡むとすこしひねった対話になるというのは、いつもの通り。
廉恥心を持ち、外国でも君命に恥じない立ち居振る舞いができる、というのが士(というのは、君に事える立場の者、ということでしょうか)たるものの条件。それができないならば、せめて自分の家族や町内での評判のいい者、それでも無理なら、せめて約束を守り、自分の仕事は最後までやり、硜硜然(かたくるしい)のは小人と同じ、といったあたりを目指してはどうか、と。
最後の床屋談義は、だからして「ワシを登用せんかい」ということになるのでしょうけれども、若い人たちがしっかりしていれば落ち着いて教育に腰を据えることも出来ましょうに、孔子お気の毒です。
必ずや狂狷か
子路第十三(303~332)
323 子曰。不得中行而与之。必也狂狷乎。狂者進取。狷者有所不為也。
(訓)子曰く、中行なるものを得てこれに与(くみ)するにあらずんば、必ずや狂狷か。狂なる者は進んで取り、狷なる者は為さざる所あるなり。
(新)子曰く、欠点のない常識的な人間を見つけて仲間になることができなかったら、つむじ曲りか潔癖屋をさがすことだ。つむじ曲りは勉強するものだし、潔癖屋は欲望のために誘惑されることがない。
宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫
孟子による解説
巻十四 尽心章句下
三七
万章問いて曰く、孔子陳に在(い)ませしとき、蓋(なん)ぞ帰らざる、吾が党の士は狂簡にして進取、其の初(志)を忘れずと曰(のた)まえり。孔子陳に在ませしとき、何ぞ魯の狂士を思いたまえる。孟子曰く、孔子は中道(中正の道をふむ人)を得て之に与(交)わりえざるときは、必ずや狂獧か。狂者は進んで取り、獧者は為さざる所あるなりと(曰まえり)。孔子豈(あに)中道を欲せざらんや、必ずしも得べからざるが故に其の次を思えるなり。
小林勝人訳注『孟子』下 岩波文庫
つまり、中道の人などというのは滅多に会うことができないから狂狷をいうのであって、別に狂狷を褒めるとか、みなさん狂狷の人生を歩みましょう、とすすめているわけではない、とありがちな誤解に予防線をはります。というか、放縦な行いの言い訳にこの「狂狷」を使う人も、いたことでしょうね。
巻十四 尽心章句下
三七
敢えて問う、如何なれば斯(すなわ)ち狂と謂うべき。曰く、琴張(きんちょう)・曾晳(そうせき)・牧皮(ぼくひ)の如き者(ひと)は、孔子の所謂狂なり。何を以て之を狂と謂うか。曰く、其の志嘐嘐然(こうこうぜん)たればなり。「曰く、何を以て是れ嘐嘐たるか。(曰く)言(げん)行(おこない)を顧みず、行言を顧みずして、則ち古(いにしえ)の人古の人と曰うも、行何ぞ踽踽涼涼たる」。其の行を夷考(かんが)うれば(其の言を)掩(覆)わざる者なり。狂者又得べからずんば、不潔(不義の行ない)を屑(いさぎよ)(潔)しとせざるの士を得て之に与わらんと欲す。是れ獧なり。是れ又其の次なり。
小林勝人訳注『孟子』下 岩波文庫
狂というのは、言っていることは高尚だが行動がそれに伴わない人間のことで、古の聖賢を慕っているものの、実際には踽踽涼涼(人に親しまず、人から親しまれない)ような人間のこと。獧は、不義の行いをしない子とだけに汲々とするような人間。そういう人間でも、まだ見所はあるし、自分が何をしているのかの自覚もないままのんべんだらりと人生を過ごしている人間よりはずっとましで、つきあう意味もある、ということでしょう。
たしかに、この「一般人よりもまだまし」というニュアンスは難しいですね。狂とか狷とか、普通に迷惑な人たちもいますし、昨今では狷、つまり「悪いことをしない」ことに人の注目が高まりすぎて、いいことが出来ないような状態にある状況も、よく見受けられますから。