蜀犬 日に吠ゆ

2009-04-01

[][][][]学而第一(その12)。 10:41 はてなブックマーク - 学而第一(その12)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

人を知らざるを患うる

 学而第一(1~16)

16 子曰。不患人之不己知。患不知人也。

(訓)子曰く、人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり。

(新)子曰く、人が自分を知らないことは困ったことではない。自分が人を知らないことこそ困ったことなのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ここでいう「人」とは、たんに顔見知りという意味ではなくてその能力や資質なのでしょうね。なんだかんだといっても人間がそのもてる実力を遺憾なく発揮するにはあるていどの立場につき、予算や組織をうごかせることが必要ですから。

 意図的であるかどうかは分かりませんが、このテーマはくり返し『論語』に登場します。孔子自身が「素王」すなわち無冠の帝王であり、後世の評価など知るよしもない夫子は生涯出世することを希望していました。その実力は多くの人が認めるところでありながらそれを発揮することができないことへの屈託は、当然折にふれて口から出たのでしょう。

 同じように、孔子の弟子たちもまた青雲の志をもっていたことでしょうが、就職が思い通りであった者たちばかりでもなかったでしょう。『論語』の、他者に認めてもらえなかったときの君子のふるまいにかんする章句は、失望にとらわれた弟子たちへのなぐさめの言葉であったと考えることもできます。


 学而第一の1「人知らずして慍(いきど)おらず。」とも共通します。

 学而第一??宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫 を読む。 - 蜀犬 日に吠ゆ - 片割れ星第1号



 憲問第十四

 子の曰わく、人の己れを知らざることを患(うれ)えず、己の能なきを患う。

金谷治訳注『論語』岩波文庫

 衛霊公第十五

 子の曰わく、君子は能なきことを病(うれ)う。人の己れを知らざることを病えず。

金谷治訳注『論語』岩波文庫

 人に知られなくてもよい理由を述べた章句もあります。いつものように夫子が愚痴っぽく言葉をだしたところ、一座に子貢が混じっていました。この俊英はたちまち夫子に斬りこんでゆきます。

 憲問第十四

 子の曰(のたま)わく、我れを知ること莫(な)きかな。子貢が曰(い)わく、何為(なんす)れぞ其れ子を知ること莫からん。子の曰わく、天を怨みず、人を尤(とが)めず、下学(かがく)して上達す。我れを知る者は其れ天か。

金谷治訳注『論語』岩波文庫

 自分のことをきちんとやればそれでいいのだ。人は知らなくても天が知ってくれているよ。と孔子がおっしゃるわけですが、これはちょっと質問と返答が噛み合っていない気もしますね。「なぜ人は夫子のことを認めないのでしょう?」「天は知ってるよ」……憲問篇に対する私の感想は、後述。


 学而篇を通してみれば、「仁」は十六章中三度の登場。「孝悌は仁の本」、「鮮し仁」「仁に親しむ」。三番目は徳目としての仁ではなくて仁者(誠実な人)のことですから、仁とはなにかの説明にはなりませんね。『論語』においては、「仁」そのものよりもその根本である「孝悌」や、その表れである「礼楽」に重きがおかれているように感じます。

2009-03-30

[][][][]学而第一(その11)。 22:57 はてなブックマーク - 学而第一(その11)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

道を楽しみ、礼を好む

 学而第一(1~16)

15 子貢曰。貧而無諂。富而無驕。何如。子曰。可也。未若貧而楽道。富而好礼者也。子貢曰。詩云。如切如磋。如拓如磨。其斯之謂与。子曰。賜也。始可与言詩已矣。告諸往而知来者。

(訓)子貢曰く、貧にして諂(へつら)うなく、富みて驕るなきは何如(いかん)。子曰く、可なり。未だ貧にして道を楽しみ、富みて礼を好む者に若かざるなり。子貢曰く、詩に云う、切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し、と。其れ斯れの謂いか。子曰く、賜や、始めて与に詩を云うべきのみ。これに往くを告げて、来るを知る者なればなり。

(新)子貢曰く、貧乏だからといって金持に諂うことなく、金持になったからといって貧乏人に驕ることがないならば如何でしょうか。子曰く、それはそれでよい。しかし貧乏人が貧乏を意識せずに人間の生き方を求めて満足し、金持が金のことを忘れて謙遜な暮しに心がける方が、もっと望ましい。子貢曰く、詩経の中に、(人生勉強は)玉や象牙をば切断したあと金剛砂でみがきだす如く、彫刻したあと砥草で滑かにする如く、という句がありますが、いま仰ったことでこの詩の意味が分りました。子曰く、賜や、お前はどうやら詩経を勉強する資格があるらしいぞ。一度つれて往ってやっただけで、その道筋をすっかり覚え込んでしまう才能がある。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 夫子Loveの子貢(端木賜)は、しばしば孔子に議論を挑みます。それは、極端な仮定をもとにした抽象論だであったり、実例をあげた具体論であったりと自由自在です。ここにも、子貢の明晰さと、それを理知に走りすぎると思いつつ議論を楽しむ孔子の関係が表れているのではないでしょうか。

 子貢の問いかけ、「貧にして諂(へつら)うなく、富みて驕るなきは何如(いかん)。」というのは、憲問第十四にあります。

 子の曰わく、貧しくして怨むこと無きは難く、富みて驕ること無きは易し。

金谷治訳注『論語』岩波文庫

 子貢が孔子の言葉に挑戦するような質問をしたことから、この「貧富」における話題がしばしばでていたと考えるのが普通でしょうね。で、質問します。「簡単難しいと仰いますが、それがきちんとできればそれでいいのでしょうか」。

 孔子の教条は、封建主義の原則に則って段階を踏んだものであり、「貧しいからと世間を怨むな、豊かだからと天狗になるな」というのは、君子ではなくて匹夫までふくめたすべての人がもつべきこころがまえであり、子貢のように君子たらんとしている若者にとっては、スタートラインに過ぎないのでしょう。


 切磋琢磨は詩経?未確認です。

2009-03-29

[][][][]学而第一(その10)。 21:26 はてなブックマーク - 学而第一(その10)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

学を好む

 学而第一(1~16)

14 子曰。君子食無求飽。居無求安。敏於事而慎於言。就有道而正焉。可謂好学也已。

(訓)子曰く、君子は食に飽くを求むるなく、居に安きを求むるなし。事に敏にして言に慎しみ、有道に就いて正す。学を好むと謂うべきのみ。

(新)子曰く、諸君は、食事なら是非満腹まで、暇さえあれば安佚(あんいつ)を貪るというのではなく、仕事にはまっ先に手を出し、口に言うことはなるべく控え目にし、徳のある経験者に意見を求めて反省の材料にするがよい。それができたら学問好きだと言ってやろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 逆に言えば、おなかいっぱい食べていたり、春の日うららでまったりしたり、なんにもしないで口ばっかり達者だったり、立派な人を軽んじたりする人は、学問をすると、口が裂けてもいえないわけですね。納得。;

 ……私だ。orz

2009-03-28

[][][][]学而第一(その9)。 21:26 はてなブックマーク - 学而第一(その9)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

信は義に近ければ

 学而第一(1~16)

13 有子曰。信近於義。言可復也。恭近於礼。遠恥辱也。因不失其親。亦可宗也。

(訓)有子曰く、信は義に近ければ、言うこと復すべきなり。恭は礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因にて其の親を失わざりければ、亦崇(たっと)ぶべきなり。

(新)有子曰く、朋友との付合いにおいては、正義を外れなければ、その言葉は信用できる。目上の者に対しては、礼儀を外れなければ、恥辱を与えられることがない。因循と見られようとも、古くからの交際を絶たないでいるのは、また賞められる価値がある。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 信は平等な立場での交際の道、恭は目上の権力者に仕える道をさす。復の字は恐らく履の字の尸が落ちたものと思われる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

2009-03-27

[][][][]学而第一(その8)。 21:06 はてなブックマーク - 学而第一(その8)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

和を以て貴しと為す

 学而第一(1~16)

12 有子曰く、礼之用。和為貴。先王之道斯為美。小大由之。有所不行。知和而和。不以礼節之。亦不可行也。

(訓)有子曰く、礼をこれ用うるには、和を貴しと為す。先王の道も斯(これ)を美と為せり。小大に之に由(よ)らば行われざる所あればなり。和を知りて和するも、礼を以て之を節せざれば、亦行うべからざるなり。

(新)有子曰く、礼を実行するには、妥協性が大切だ。三代の政治が立派だというのも、こういう点で最高であったからだ。物事を一から十まで礼の規則ずくめでやろうとすれば、行きづまることが出てくるためだ。(これに反し)妥協が大事なことだけ知って、もし融通無碍に流れて、礼の規則でけじめをつけることがなければ、これもまたきっと行きづまるものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「和為貴」はどこかで丸パクリしている人がいましたよね。パクリは「尚古」の観点からすれば貴い態度なのですが、パクった人のオリジナルと勘違いして「調和を大事にするのは日本の美しい伝統で云々」とかいう人がいる事もあったりして、微苦笑を禁じえません。


 孔子にあっては、礼が大切なのはその外形よりもむしろその意味するところのもの、内容にあった。礼の精神においては和が大なる位置を占めている。いま礼の外形を従来のまま礼なる言葉を用い、礼の意味するものの代表者として和なる言葉を用いて両者を対立させ、礼を実際に運用する場合の教訓を述べたものとすれば、この章はすらすらと理解することができる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「礼」がその本来の意味をはなれて細かなきまりを守らせることに重点を置いたら、生活指導に熱心な先生のように、守らせるほうも守らされるほうもピリピリと緊張を強いられてしまいます。それは、結局両者にとってよいことではないでしょう。なぜ「礼」が存在するか、それは「和」のため、お互いが気持ちよく過ごせるためのもののはずである、というのが有子のお言葉。

2009-03-26

フレディ・マーキュリー

[][][][]学而第一(その7)。 21:01 はてなブックマーク - 学而第一(その7)。 - 蜀犬 日に吠ゆ

夫子は温良恭倹譲

 学而第一(1~16)

10 子禽問於子貢曰。夫子至於是邦也。必聞其政。求之与。抑与之与。子貢曰。夫子温良恭倹譲以得之。夫子之求之也。其諸異乎人之求之与。

(訓)子禽、子貢に問うて曰く、夫子の是の邦に至るや、必ずその政を聞く。之を求めたるか、抑(そもそ)も之を与えられしか。子貢曰く、夫子は温良恭倹譲にして以て之を得たり。夫子の之を求めしや、其れこれ、人の之を求むると異なるか。

(新)子禽が子貢に尋ねた。孔先生はある国へ行くと、必ずその国政に参与される。いったい先生の方から求めたのだろうか、それとも他人の方から頼んだのだろうか。子貢曰く、先生は温厚で善良で恭順で倹素で謙譲な人柄であるから、自然にその地位を得たのだ。もし先生の方から求めたとしても、その求め方は他人のやり方とは全く異なっていると言うべきものだろうね。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 いよいよ、教条の紹介も一段落して、弟子たちの言行録が入ってきました。孔子大好き人間の筆頭である子貢の登場です。朱子による「論語序説」『集注』から引用します。

孔子全書 1: 論語 1

孔子全書 1: 論語 1

十六年壬戌四月己丑、孔子卒(しゅっ)す。年七十三。魯の城北泗上に葬る。弟子(ていし)皆心喪に服すること三年にして去る。惟だ子貢のみ冢上(ちょうじょう)に廬(いおり)すること凡そ六年。

吹野安・石本道明『孔子全書』1 明徳出版社

 たった一人だけ、通常の倍の喪に服したのです。孔子との問答では、しばしば軽薄をたしなめられることもあった子貢ですが、孔子先生への尊敬は深く、また、子禽などと話すときにはこのように孔子の偉大さを具体的に説明します。

 それにしても「温良恭倹譲」は褒めすぎかもしれませんが、その辺りは愛を感じますねえ。夫子亡き後の問答かもしれません。


孝と謂うべき

 学而第一(1~16)

11 子曰。父在観其志。父没観其行。三年無改於父之道。可謂孝矣。

(訓)子曰く、父在(いま)すときは其の志を観、父没すれば其の行を観る。三年父の道を改むることなし。孝と謂うべきなり。

(新)子曰く、父の在世中はその意向を尊重し、父がなくなった後は生前の行為を思い出す。三年間は父が行ってきたレールを守って改めない。それができたら孝といってよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「孝」というのは、儒教に定義されるまでもなく中国人に重要視される徳目です。いわれなくても当然守るべきである「孝」をどのように位置づけるのかが、儒教の特徴を分かりやすくしてくれる部分もあるのではないでしょうか。

 子は親(もちろん家父長のこと)に仕えるもの、というのが「孝」の常識ですが、孔子は、ただ親のいうことをハイハイ聞くのが孝ではないぞ、と言ってのけるわけですね。

 中国ではこの時代から既に子は、父の存在中には行動の自由を持たなかったと見える。ただ父から命ぜられたままに動くのであるが、孔子は更に一つの注文を出した。それはただ外形に忠実なばかりでなく、父の命令の意味をよく察して、その意向にそうように努めねばならぬ、というのである。父が死ねばもう命令を出す者がなくなるから、始めて自己の意志で行動するが、その時にも、父はこういう場合にどう行動したかを思いながら実行する。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 なんだか自由がないというと窮屈な感じがしますが、これは「斉家」を守ることによって「治国」すなわち仕官して君主に仕えることになったときの「忠」の態度の根本を養うために必要な段階なのでしょう。


 ところで、三年というのは、足かけ三年。だそうです。

「三年」というのは、前にも触れたように、父の喪にこもっている期間であるが、足かけ三年であって、実は二十七か月、もしくは二十五か月とするのが、礼の学者の説である。

 ところで、父の死後、二十何か月か、父の方法を変えないという教えは、君主交替の場合など、いろいろ差支えの生ずる場合がある。そのため父の道を改めないというのは、無条件にそうせよというのではない。父の道が、妥当でない場合は、必ずしも、そうする必要はない。どしどし改めるがいい。そういう説が、諸注釈家の間に、意外に多い。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 わたしもよく、困ったときには(父ではありませんが)あの人ならどうしただろうと考えることがありますね。お手本になるような立派な人というのは、得てして若死にしてしまうものでございます。(多分先進篇第十一でもこの話題が出ると思います。)

NO-ONE BUT YOU

(ONLY THE GOOD DIE YOUNG)

*1

A hand above the water

An angel reaching for the sky

Is it raining in Heaven -

Do you want us to cry?


And everywhere the broken-hearted

On every lonely avenue

No-one could reach then

No-one but you


One by one

Only the Good die young

They're only flyin' too close to the sun

And life goes on -

Without you...


Another Tricky Situation

I get to drownin' in the Blues

And I find myself thinkin'

Well - what would you do?


Yes! - it was such an operation

Forever paying every due

Hell, you made a sensation

You found a way through - and


One by one

Only the Good die young

They're only flyin' too close to the sun

We'll remenber -

Forever...


And now the party must be over

I guess we'll never understand

The sense of your leaving

Was it the way it was planned?


And so we grace another table

And raise our glasses one more time

There's a face at the window

And I ain't never sayin' goodbye...


One by one

Only the Good die young

They're only flyin' too close to the sun

Cryin' for nothing

Cryin' for no-one

No-one but you

NO-ONE BUT YOU

 くり返しになりますが、子貢の孔子好きは止まるところを知らないことがここでも分かりますね。実の父でも3年の喪。「孝」以上の結びつきを、子貢は夫子に感じていたのでしょう。

 子貢は夫子よりも31歳年下。子貢の入門がハタチだとすると、孔子は五十二歳で魯の定公に仕え、中都の宰となり、司空→大司空と順調に出世した頃なので弟子が押しよせたと考えても不思議ではありません。((cf.孔子略年表))しかしなんといいますか、浪漫的にハッテンするのはむずかしいでしょうか。夫子の子鯉がすでに子貢より10歳以上年上ですし。(別にハッテンすることにこだわる必要はないのですけれども。)

*1:Written by Brian May Produced by Queen Engineered by Justin Shirley-Smith and Joshua J.Macrae Published by Queen Music Ltd./EMI Music Publishing Ltd.