蜀犬 日に吠ゆ

2016-08-14

[][][]室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その4) 20:13 はてなブックマーク - 室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちと古い問題集ですが、復習していきます。

室町幕府の成立(Ⅰ)

(3) つぎの文を読み(  )に適語を記入し、下線部の設問に答えよ。

 南朝の( 1 *1)が北朝の後小松天皇に譲位することによって、3代将軍義満は、内乱に終止符をうつことに成功した。それだけではなく、義満は長い間公家政権が保持してきた京都の市政権、とりわけ(1)警察権・民事裁判権や( 2 *2)・土倉などにたいする商業課税権などをしだいに吸収していった。また、諸国に課する( 3 *3)の徴収権なども朝廷より引き継ぎ、全国的な統一政権としての幕府を確立した。1378年、(2)京都室町に壮麗な邸宅を構え、ここで政治をとったので、この幕府を室町幕府という。義満は将軍としてはじめて( 4 *4)という朝廷における最高の官職にのぼり、出家したのちも幕府や朝廷に対し実験を振るった。

 幕府の機構は、このころほぼととのい、鎌倉時代の政治機構を踏襲した政所・問注所・侍方や評定衆がおかれ、( 5 *5)がこれらの機関を統轄し、将軍を補佐した。(5)には(3)足利一門の有力守護が交代で任命された。鎌倉時代に比して、政所や問注所が権限を縮小したのに対し、侍所は京都内外の警備や刑事裁判を取扱う重要な機関となり、その長官は(4)四職から任命されるのが慣例であった。これらの有力大名はもっぱら在京して幕府の中枢を占め、重要政務を決定した。また一般の守護も領国は( 6 *6)に統治させ、自身は在京して幕府に出仕するのが原則であった。


設問(1) 公家政権下ではこの権限はどんな機関が行使していたか。令外の官名で答えよ。*7

  (2) この壮麗な邸宅は何とよばれたか。*8

  (3) この有力守護の姓をすべて記入しなさい。*9

  (4) 四職の姓をすべて答えよ。*10

『日本史総合テスト』山川出版社1998
  • 空欄補充

 1 後亀山天皇…全然わかりませんでした。南朝の天皇には「後」がつくのですよね。南北正閏論については以下に。

 2 「酒に関する商人だよなあ、、」まではわかりましたが、酒屋が出ない、、、

  • 設問

 (3)(4)三管領と四職は完全に混同している上に、あわせて4つしか思い浮かびませんでした。応仁の乱に際しての、お互いの関係は、絶望的ですね。


  • 南北朝合一について
室町幕府

南朝の後亀山天皇(在位1383~92)は義満の呼びかけに応じて京都に帰り、北朝の後小松天皇(在位1382~1412)に譲位するという形で南北朝の合一が実現した。和平の条件として将来は両統が交互に皇位につくと約束されたが、実現はしなかった。幕府は南朝の皇族をつぎつぎに出家させ、子孫を絶った。南朝の人々は深くこれを恨み、南朝の子孫や遺臣の反乱は、応仁の乱ころまで繰り返しおきていた。

五味文彦/髙埜利彦/鳥海靖 編『詳説 日本史研究』山川出版社1998

 これが「一休さん」が紅蓮(ぐれ)てしまった原因であり、義満が一休さんを呼び出しては無理難題をふっかける話につながるわけですね。


  • 南北朝正閏論について
南北朝正閏論

 後醍醐天皇が吉野に去ってから江戸時代の初めころまでは、北朝の正統性に疑問をもったり、南朝の存在をことさらに協調する学者は皆無であった。ところが儒学の名文論の進展から、両者の正閏を問題にする動きが現われた。

 当時の常識をくつがえして南朝正統を主張したのは水戸の『大日本史』で、神器をもつ者が即ち正当な皇位継承者、という考え方を提示した。これを受け継いだのが頼山陽の『日本外史』で、この書は明治の元勲たちに大きな影響を与えたといわれる。明治になると学問的な立場から南北朝並立論が現われ、1910(明治43)年制定の『尋常 日本歴史』も喜田貞吉(1871~1939)らによってこの立場で叙述されている。ところが南朝正当論者が国家主義者と結んでこれを問題視し、国民思想涵養上、南朝の正統を教育すべきであるとした。折からおこった大逆事件とも関連してことは政治問題に発展し、政府は翌年勅裁によって南朝正統を決定、教科書は改訂され、足利尊氏は逆賊と定められた。以後、皇国史観の伸展とともに南朝正統論は不動になり、太平洋戦争を迎える。

五味文彦/髙埜利彦/鳥海靖 編『詳説 日本史研究』山川出版社1998

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詳説日本史研究

詳説日本史研究

*1:後亀山天皇

*2:酒屋

*3:段銭(たんせん)

*4:太政大臣

*5:管領

*6:守護代

*7:検非違使(けびいし)

*8:花の御所

*9:三管領--斯波、細川、畠山

*10:山名、赤松、京極、一色

2016-08-13

[][][]室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その3) 19:49 はてなブックマーク - 室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちと古い問題集ですが、復習していきます。

室町幕府の成立(Ⅰ)

(2)つぎの文を読み( )に適語を記入し、下線部(a)~(g)にもっとも関係の深い語句を語群のなかから選んで、その記号を記せ。また、下線部(b)・(c)・(d)・(e)・(g)に関する下記の設問に答えよ。

 1336年、再度の挙兵で京都をおとしいれた足利尊氏は( 1*1 )を擁し、(a)当面の施政方針*2を示して武家政権の再興を目指した。2年後、征夷大将軍に任じられて正式に幕府を開いた尊氏は、具体的な法令の整備にも意を注ぎ、(b)追加法令*3を随時発していった。しかし、京都を逃れ皇位の正統を主張した( 2*4 )は、( 3*5 )に朝廷を開いて対抗したので、ここに南北二つの朝廷が並び立つことになった。


 動乱が(c)南朝側の形勢不利のうちに進行した*6にもかかわらず、約半世紀あまりもつづいた理由は、(d)北朝側の足利一族に内紛が生じ*7、そのときどきの都合に合わせて、一方が南朝と結んで戦ったためであった。他方、この動乱は当時の社会的変動と深くかかわっていた。すなわち、(e)武士団の血縁的結合から地縁的結合への転換*8、地方における中小武士の成長と(f)武力連合*9による荘園侵略や守護との対抗、荘園制の解体と農村の新しい共同体の成立など、これらが動乱の背後にあって対立の様相をいっそう複雑なものにしていた。それゆえ、諸勢力の対立抗争を経て新たな武家政治夫体制が成立するには、いまだ多くの年月を要したのである。(g)動乱が名実ともに収束するのは*103代将軍足利義満の時であった。

(語群)ア.荘園整理令  イ.観応の擾乱  ウ.惣領制の崩壊  エ.一味同心  オ.四條畷の戦い

カ.建武以来追加  キ.成功  ク.重任  ケ.建武式目  コ.受領の没落  サ.南北朝合体

(設問)(1) 下線部(b)について、尊氏が基本法典としたものは何か。*11

    (2) 下線部(c)について、常陸に拠点をおいて対抗した南朝側の武将は誰か。*12

    (3) 下線部(d)の内紛で、尊氏の執事と敵対した人物は誰か。*13

    (4) 下線部(e)の転換のなかで、武家社会の所領相続の形態はどう変わったか。*14

    (5) 下線部(g)の時期を西暦年で示しなさい。*15

『日本史総合テスト』山川出版社1998

 

*1:光明天皇

*2:ケ.建武式目(けんむしきもく)

*3:建武以来追加

*4:後醍醐天皇

*5:吉野

*6:オ.四條畷(しじょうなわて)の戦い

*7:イ.観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)

*8:ウ.惣領制の崩壊

*9:エ.一味同心

*10:サ.南北朝合体

*11:貞永式目(御成敗式目)

*12:北畠親房

*13:足利直義

*14:分割相続から単独相続へ

*15:1392年

2016-08-12

[][][]室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その2) 08:30 はてなブックマーク - 室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちと古い問題集ですが、復習していきます。

室町幕府の成立(Ⅰ)

(1)つぎのA・Bの文を読み( )に適語を記入し、下線部に関する設問に答えよ。

B 幕府滅亡後、後醍醐天皇は京都に帰り、新しい政治を行った。倒幕の論功行賞を行うため、新政府は中央に恩賞事務をあつかう(k *1 )を設置した。また、新政の目標は幕府や院政さらに(l*2 )をも否定して(7)天皇親政の理想を実現することにあった。しかし鎌倉幕府の遺産を無視することはできず、幕府の引付を継承した(m*3 )などを設置し、諸国には(n*4 )と守護を併置するなど公武協調による天皇親政の政治機構をととのえようとした。しかし後醍醐天皇の親政は、その発足の段階から破綻のきざしがあらわれていた。政府内部に足利尊氏と(o*5 )親王の対立がおこり、親王側が奥州に(p*6 )をつくると尊氏側が関東に(q*7 )をつくった。これらはともに小幕府的な存在で天皇の理想とはあいいれないものであった。さらに新政府が土地所有権の変更には必ず天皇の(r*8 )を必要としたことや文書重視の姿勢は(8)当時の武士社会の慣習を無視する結果となり、武士の離反をひきおこした。(9)政務の停滞による社会の混乱がつづくなかで、足利尊氏はひそかに武家政治再興の機会をうかがっていた。(10)1335年(s*9 )が関東で反乱をおこすと、これを機に尊氏はついに新政権に反旗をひるがえした。

「設問」(7) 後醍醐天皇が理想とした時代は、誰のどの時代か。*10

    (8) 武士社会には、土地所有権について、どのような慣習法があったか、簡潔に記せ。*11

    (9) 当時の世相の混乱を風刺した『建武年間記』所収の史料を何とよんでいるか。*12

    (10)この事件名を記しなさい。*13

『日本史総合テスト』山川出版社1998
  • 空欄補充

 k 恩賞事務をあつかう→恩賞方 はサービスかしら。いきなり雑書決断所(m)と間違えて、後ろまで読んで訂正したぜ!

 l 天皇親政のみが正しいというのは朱子学なのでしたっけ? 時事に絡めていうと、ここらへんが皇室典範の思想につながってくると思います。大覚寺統は後醍醐を除いて天皇と認められていないというのは「そういやそうだった。」くらいの感覚

 o 護良(もりよし)親王きました! (「もりなが」とも) この人学研の漫画で一人だけ古代コスプレしていたのですよね。太平記ではどうだったのか、あとで確認しよう。ようするに、聖徳太子の脇の子どもみたいな格好をしていて、そのまま土牢→処刑。

 q 奥州将軍府といえば北畠顕家ですね! 尊皇派! しかし多賀城においたというのはたぶん初めて知りました。

 

  • 設問

 (7) 村上天皇、、、そんなのいたね(不敬)

 (8) へ。なんで20年? あとで調べます。

 (9) 二条河原落書、好き。

 (10)  中先代の乱(北条氏が先代、足利氏が後代なので称された)というあたり、もう鎌倉幕府は北条氏のものであったのだ、という武断政治の感覚がひしひしと伝わってきます。ようするにここで勝利すれば、まったく問題なく鎌倉幕府が再興していたのではないでしょうか。護良親王は、あんまり関係なかったのでは。

*1:恩賞方

*2:摂政関白

*3:雑訴決断所

*4:国司

*5:護良

*6:陸奥将軍府

*7:鎌倉将軍府

*8:綸旨

*9:北条時行

*10:醍醐(延喜の地)・村上天皇(天暦の治)

*11:20ヵ年以上、土地支配の事実があれば、所有権は変更できない。

*12二条河原落書

*13:中先代の乱

2016-08-11

[][][]室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する 08:30 はてなブックマーク - 室町幕府の成立と南北朝の動乱について復習する - 蜀犬 日に吠ゆ

 ちと古い問題集ですが、復習していきます。

室町幕府の成立(Ⅰ)

(1)つぎのA・Bの文を読み( )に適語を記入し、下線部に関する設問に答えよ。

A 鎌倉中期以後(1)皇室は持明院統大覚寺統の2つにわかれて、皇位や院政を行う権利・皇室領荘園をめぐる争いをくりひろげていた。14世紀初め、幕府は、(2)両統が交代で皇位につく方式をさだめ、(3)以前にもまして朝廷の政治を左右した

 このような情勢のなかで、(a*1)統から即位した後醍醐天皇は、大義名分を説く(b*2)学の影響を受けて朝廷政治の刷新を企て、院政を廃止して(4)天皇親政をおし進めた。このころ幕府では執権(c*3)のもとで得宗家の家来である御家人の代表(d*4)が政治をほしいままにしており、御家人の幕政に対する反発が強まってきていた。さらにまた畿内近国の悪党などの動きも依然活発であった。このような上京をみた後醍醐天皇は、倒幕の決意をかため、(5)1324年と1331年の2度にわたって挙兵を企てた

 この計画はいずれも失敗し、天皇は(e*5)に流され、かわって(f((持明院)))統の(g((光厳)))天皇が即位することとなった。しかしこの事件を契機として、討幕運動は全国的なひろがりをみせ(6)畿内の新興武士や地方武士の蜂起があいつぎ、有力御家人の中にも幕府から離反する者が現れてきた。

 (h((1333)))年、幕府軍の指揮官として西上した足利高氏が、京都の(i*6)を攻略し、東国で挙兵した(j((新田義貞)))の軍が鎌倉を攻め落とした。ここに140年にわたった鎌倉幕府は滅亡した。

「設問」(1) この分裂の発端をなした人物で、「治世の君」として院政をとった上皇は誰か。*7

    (2) この方式を何というか。漢字4字で記しなさい。*8

    (3) 13世紀半ばすぎまでに、摂関家は5つに分裂した。5摂家をすべて記しなさい。*9

    (4) 天皇親政のため、再興された政治機関は何か。*10

    (5) それぞれの事件名を記しなさい。*11

    (6) 畿内の新興武士を率いて幕府軍と戦った河内の豪族は誰か。*12

『日本史総合テスト』山川出版社1998

 まずいぞ結構忘れている。

  • 空欄補充
    • (c)は「北条家」? かと思いましたが、ちゃんと高時を名指ししないといけない様です。(d)も「御内人」と答えてみましたが、実際は「内管領(うちかんれい)」?…→「長崎高資・高綱」。解答欄一個に二人か! ひっかけ問題だ!
    • (e)は、「流されるったら隠岐っしょ~~~」で正解。平安末期は薩摩の鬼界ヶ島でしたねえ。
    • (j)六波羅探題って、かっこいい。九州探題はそれほどでもない。しかし、承久の乱で暗躍し、あとは負けてるばっかりですね。
  • 設問
    • 1 後嵯峨上皇かあ。まあ、四条天皇が若くして崩御なされたから、というみかたもあるとは思いますが……「四条天皇 いたずら」「四条天皇 馬鹿」で検索しては不敬ですからねえ。
    • 3 五摂家はなぜか言えた。これをひたすら暗記したのは、なぜだったのか、よくわかりません。よく、「社会に出たら数学の公式なんて~」みたいにいわれますが、「鷹司家」だって、日常会話で出てきたことないです。「近衛」は出ますね。

*1:大覚寺

*2:朱子

*3:北条高時

*4:長崎高資・高綱

*5:隠岐

*6:六波羅探題

*7:後嵯峨上皇

*8:両統迭立

*9:一条、二条、九条、近衛、鷹司

*10:記録所

*11:1324:正中の変、1331:元弘の変

*12:楠木正成

2013-10-04

[][][]小川剛生『足利義満 公武に君臨した室町将軍』中公新書 23:49 はてなブックマーク - 小川剛生『足利義満 公武に君臨した室町将軍』中公新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 もう一つ学びたい日本史の転換点。

 室町幕府の成立って常識的な思考ではありえません。この辺が分かると日本という国が分かると言った内藤コナン先生自体が解説をぶん投げたワケです。

目次

はしがき

  • 序章
    • 室町将軍の履歴書
    • 義満の経歴
    • 室町殿とは
    • 儀式に熱中する室町殿
    • 多彩きわまる事跡
  • 第一章 室町幕府と北朝
    • 父母のこと
    • 播磨への避難
    • 斯波高経の幕政復帰
    • 春日神木の入洛
    • 後光厳天皇の親政
    • 将軍親裁と中御殿会
    • 政務譲与と受衣
    • 頼之の執政
    • 山門の嗷訴
    • 公武交渉のルート
    • 院政の挫折
    • 最初の参内
    • 猿楽流行・世阿弥の登場
    • 日野素子との結婚
    • 二品局宣子――もう一人の「母」
  • 第二章 右近衛大将という地位

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  • 第三章 武家にして内大臣

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  • 第四章 室町将軍の学識

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  • 第五章 寵臣と稚児

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  • 第六章 地域権力の叛乱と掌握

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  • 第七章 応永の乱と難太平記

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  • 第八章 北山殿での祭祀と明国通交

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  • 第九章 太上天皇宣下をめぐる思惑

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  • 終章 妻妾と女房について

  • 参考文献
  • 索引
小川剛生『足利義満 公武に君臨した室町将軍』中公新書
足利義満 - 公武に君臨した室町将軍 (中公新書)

足利義満 - 公武に君臨した室町将軍 (中公新書)

2013-09-22

[][][]ポケットモンスターを始めます 17:12 はてなブックマーク - ポケットモンスターを始めます - 蜀犬 日に吠ゆ

 よく考えてゲームマニヤを自称しているのに「ポケモン」をしたことないのはさすがにまずいですよね。ちょうど積みゲーにポケモンがあったので電源ON!

 天下統一するぜ! 打倒信長!

 「ポケットモンスター」とは、日本の戦国時代を模した国で、平和を求めるブショーの戦いと成長を描く物語(、であってるはず)。

 主人公のブショーは「ポケットモンスター」とよばれる動物(?)を操って「イクサ」に勝利し、敵の城を次々陥落すべし! と、説明書を読んで理解しました。

 なんかサザエさんみたいな髪型の人が出て来ました。

(そして、どーでもいいけどカメラの電池が切れました。買い置きがあったはずなのに、置いてあるべき場所には(当然)ない。)

  1. トヨトミに喧嘩を売られる
  2. 蜂須賀小六と前野長康か。
    • 初戦から強敵じゃねえか。
  3. と思ったらたちまち勝利。チュートリアルされてしまった。
  4. そして「お一の方」が仲間に。
    • ポケモンは「プリン」
      • ビッパとポカブも仲間に。
ポケモン+(プラス)ノブナガの野望 (特典なし)

ポケモン+(プラス)ノブナガの野望 (特典なし)