蜀犬 日に吠ゆ

2010-10-07

[][][]孫子を読む 形篇(その5) 21:58 はてなブックマーク - 孫子を読む 形篇(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

積水を千仞の谿に決する

形篇

勝者之戰民也、若決積水於千仞之谿者、形也、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 勝者の民を戦わしむるや、積水を千仞の谿に決するが若き者は、形なり。


 勝利者が人民を戦闘させるのは、ちょうど満々とたたえた水を千仞の谷底へきって落すようなもので、そうした(はげしさへと導びく)のが形(形勢)の問題である。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 だから逆に庶民は、不満を満々とたたえたりせず、ちょくちょくガス抜きすべきなのですけれどもね。

曹操注解 孫子の兵法 (朝日文庫)

曹操注解 孫子の兵法 (朝日文庫)

2010-10-06

[][][]孫子を読む 形篇(その4) 19:34 はてなブックマーク - 孫子を読む 形篇(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

地は度を生じ、度は量を生じ

形篇

兵法、一曰度、二曰量、三曰數、四曰稱、五曰勝、地生度、度生量、量生數、數生稱、稱生勝、故勝兵者若以鎰稱銖、敗兵若以銖稱鎰、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 兵法は、一に曰わく度(たく)、二に曰わく量、三に曰わく数、四に曰わく称、五に曰わく勝。地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰を以て銖を称(はか)るが若く、敗兵は銖を以て鎰を称るが若し。


 兵法では(五つの大切なことがある。)第一には度――ものさしではかること――、第二には量――ますめではかること――、第三には数――数えはかること――、第四には称――くらべはかること――、第五には勝――勝敗を考えること――である。(戦場の)土地について(その広さや距離を考える)度という問題が起こり、度の結果について(投入すべき物量を考える)量という問題が起こり、量の結果について(動員すべき兵数を考える)数という問題が起こり、数の結果について(敵身方の能力をはかり考える)称という問題が起こり、称の結果について(勝敗を考える)勝という問題が起こる。そこで、勝利の軍は(こうした五段階を熟慮して十分の勝算を持っているから、)重い鎰の目方で軽い銖の目方に比べるよう(に優勢)であるが、敗軍では軽い銖の目方で重い鎰の目方に比べるよう(に劣勢)である。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 本文短いのに、解説は長いですねえ。

 あと、そういえばわたし『魏武注孫子』持っているのでした。全十三章の中でもう四章まで来てしまいましたが、適宜引くこともあろうかと思います。

曹操注解 孫子の兵法 (朝日文庫)

曹操注解 孫子の兵法 (朝日文庫)

2010-10-05

[][][]孫子を読む 形篇(その3) 18:47 はてなブックマーク - 孫子を読む 形篇(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

道を修めて法を保つ

形篇

善用兵者、修道而保法、故能爲勝敗之政、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。


 戦争の上手な人は、(上下の人心を統一させるような)政治を立派に行ない、さらに、(軍隊編成などの)軍制をよく守る。だから勝敗を(自由に)決することができるのである。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 用兵のうまい将軍は、国内の統治もきっちりできる、という話。しかしこれでは「戦争は政治の延長」の反対で、「政治は戦争の準備段階」とかそういうことになってしまいますね。

2010-10-04

[][][]孫子を読む 形篇(その2) 21:21 はてなブックマーク - 孫子を読む 形篇(その2) - 蜀犬 日に吠ゆ

勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め

形篇

見勝不過衆人之所知、非善之善者也、戰勝而天下曰善、非善之善者也、故擧秋毫不爲多力、見日月不爲明目、聞雷霆不爲聰耳、古之所所謂善戰者、勝於易勝者也、故善戰者之勝也、無智名、無勇功、故其戰勝不忒、不忒者、其所措必勝、勝已敗者也、故善戰者、立於不敗之地、而不失敵之敗也、是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 勝をみること衆人の知る所過ぎざるは、善の善なる者に非ざるなり。戦い勝ちて天下善なりと曰うは、善の善なる者に非ざるなり。故に秋毫を挙ぐるは多力と為さず。日月を見るは明目と為さず。雷霆を聞くは聡耳と為さず。古えの所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。故に善く戦う者の勝つや、智名も無く、勇功も無し。故に其の戦い勝ちて忒(たが)わず。忒わざる者は、其の勝を措く所、已に敗るる者に勝てばなり。故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わざるなり。是の故に勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む。


 勝利をよみとるのに一般の人々にも分かる(ようなはっきりしたものについて知る)ていどでは、最高にすぐれたものではない。(まだ態勢のはっきりしないうちによみとらねばならぬ。)戦争してうち勝って天下の人々が立派だとほめるのでは、最高にすぐれたものではない。(無形の勝ちかたをしなければならぬ。)だから、細い毛を持ちあげるのでは力持ちとはいえず、太陽や月が見えるというのでは目が鋭いとはいえず、雷のひぎきが聞えるというのでは耳がさといとはいえない。昔の戦いに巧みといわれた人は、(ふつうの人では見わけのつかない、)勝ちやすい機会をとらえてそこでうち勝ったものである。だから戦いに巧みな人が勝ったばあいには、智謀すぐれた名誉もなければ、武勇すぐれた手がらもない。そこで、彼が戦争をしてうち勝つことはまちがいなく、まちがいがないというのは、その勝利をおさめるすべては、すでに負けている敵にうち勝つからであるう。それゆえ、戦いに巧みな人は(絶対に負けない)不敗の立場にあって敵の(態勢がくずれて)負けるようになった機会を逃さないのである。以上のようなわけで、勝利の軍は(開戦前に)まず勝利を得てそれから戦争しようとするが、敗軍はまず戦争を始めてからあとで勝利を求めるのである。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

2010-10-03

[][][]孫子を読む 形篇(その1) 19:02 はてなブックマーク - 孫子を読む 形篇(その1) - 蜀犬 日に吠ゆ

勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り

形篇

孫子曰、昔之善戰者、先爲不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵、故善戰者、能爲不可勝、不能使敵之可勝、故曰、而不可爲、不可勝者、守也、可勝者、攻也、守則不足、攻則有餘、善守者、藏於九地之下、善攻者、動於九天之上、故能自保而全勝也、

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 孫子曰わく、昔の善く戦う者は先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして必らず勝つべからしむること能わず。故に曰わく、勝つは知るべし、而して為すべからずと。勝つべからざる者は守なり。勝つべき者は攻なり。守は則ち足らざればなり、攻は則ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵(かく)れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。


 孫子はいう。昔の戦いに巧みな人は、まず(身方を固めて)だれにもうち勝つことのできない体制を整えたうえで、敵が(弱点をあらわして)だれでもがうち勝てるような態勢になるのを待った。だれにもうち勝つことのできない態勢(を作るの)は身方のことであるが、だれもが勝てる態勢は敵側のことである。だから、戦いに巧みな人でも、(身方を固めて)だれにもうち勝つことのできないようにすることはできても、敵が(弱点をあらわして)必らずだれでもが勝てるような態勢にさせることはできない。そこで、「勝利は知れていても、それを必らずなしとげるわけにはいかない。」といわれるのである。だれにもうち勝てない態勢とは守備にかかわることである。だれでもがうち勝てる態勢とは攻撃にかかわることである。守備をするのは(戦力が)足りないからで、攻撃をするのは十分の余裕があるからである。守備の上手な人は大地の底の底にひそみ隠れ、攻撃の上手な人は天界の上の上で行動する。(その態勢をあらわさない。)だから身方を安全にしてしかも完全な勝利をとげることができるのである。

金谷治訳注『孫子』 岩波文庫

 こちらの戦力が整っていても、相手もそうなら決着はつかない、ということは分かりづらいんですよね。当事者の中では。