蜀犬 日に吠ゆ

2010-06-01

[][][][]微子第十八を読む(その8) 19:38 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

周公、魯公に謂いて曰く

 微子第十八(461~471)

470 周公謂魯公曰。君子不施其親。不使大臣怨乎不以。故旧無大故。則不棄也。無求備於一人。

(訓)周公、魯公に謂いて曰く、君子は其の親を施(す)てず。大臣をして以(もち)いられざるを怨ましめず。故旧は大故なければ棄てざるなり。備わるを一人に求むることなかれ。

(新)周公がその子、魯公伯禽の赴任を前に訓戒した。お前は親族の者を無視してはならない。大臣たちに意見が用いられないという不満を起させてはならぬ。前から因縁ある者はよほどの理由がない限り、見棄ててはならぬ。ただ一人の人間に何もかも要求してはならない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 確かに、一人の人間にあれもこれもと要求するハードルが高いと、その人を潰してしまいますよねえ。



周に八士あり

 微子第十八(461~471)

471 周有八士。伯達。伯适。仲突。仲忽。叔夜。叔夏。季随。季騧。

(訓)周に八士あり。伯達、伯适、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季騧。

(新)周の一族に八人の立派な人がいた。その名は云云。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「その名は云云。」宮崎先生、手抜きですか?

 これも孔子の歴史の講義の一節であろうが、筆記者がその説明を書き漏らした。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ははは筆記されていたものが、論語編纂の時代には散逸してしまっていたた可能性もありますよ。根拠のない憶測ですが。宮崎先生はなにか根拠をお持ちなら、書いておいてもらいたかったです。



 以上で、学問を志すものが尊ぶ『論語』下論、多く聖賢の出処(仕えると仕えざると)を記し、すべて十一章ある「陽貨第十八」はおわる。

2010-05-31

[][][][]微子第十八を読む(その7) 20:17 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

大師摯は斉に適き

 微子第十八(461~471)

469 大師摯適斉。亜飯干適楚。三飯繚適蔡。四飯缺適秦。鼓方叔。入於河。播鼗武。入於漢。少師陽。撃磬襄。入於海。

(訓)大師摯は斉に適(ゆ)き、亜飯干は楚に適き、三飯繚は蔡に適き、四飯缺は秦に適、鼓方叔は河に入り、播鼗武は漢に入り、少師陽、撃磬襄は海に入る。

(新)(殷が滅びるとき)指揮者の大師摯は斉の国に逃げ、第二奏者の亜飯干は楚の国へ逃げ、第三奏者の三飯繚は蔡の国へ逃げ、第四奏者の四飯缺は秦へ逃げ、太鼓手の鼓方叔は黄河を渡り、鼓手の播鼗武は漢水を渡り、副指揮者の少師陽、拍子係の撃磬襄は海に乗り出して島にかくれた。。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章は恐らく礼楽の師である孔子が、授業の間に弟子たちに語った音楽史の一節であろう。亜飯、三飯、四飯は君主の食事で、その際に楽を奏する係であると言うが、本当のことは分らない。ただ当時の主楽器は琴であったと思われるので、亜飯以下は琴の奏者であったと想像される。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 これも、史書の編集中ではないでしょうか。

2010-05-30

[][][][]微子第十八を読む(その6) 17:15 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

逸民には、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連あり

 微子第十八(461~471)

468 逸民。伯夷。叔斉。虞仲。夷逸。朱張。柳下恵。少連。子曰。不降其志。不辱其身。伯夷叔斉与。謂柳下恵少連。降志辱身矣。言中倫。行中慮。其斯而已矣。謂虞仲夷逸。隠居放言。身中清。廃中権。我則異於是。無可不無可。

(訓)逸民には、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連あり。子曰く、其の志を降さず、其の身を辱めざるは、伯夷、叔斉か。柳下恵、少連を、志を降し、身を辱むるも、言は倫(みち)に中り、行いは慮に中ると謂うは、其れ斯のごときのみ。虞仲、夷逸を、隠居して放言す、身は清に中り、廃は権に中ると謂うは、我は則ち是れに異なる。可とする無く、不可とするも無し。

(新)昔から脱世間の人間には、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連の七人の名が伝えられている。子曰く、自分の理想を低下して妥協することなく、その身を汚すことを許さないのは、伯夷、叔斉のことだろうか。柳下恵、少連のことをば、理想を低下し、身を辱めることはあったが、言うことに道理が通り、行うことと考えることとが一致していた、とひひょうするならば、正にその通りで賛成だ。次に虞仲、夷逸のことをば、隠遁者として無責任な発言をするが、その身の行いは清潔で、世間を棄てたのもやむをえぬ臨機の処置だったと批評するならば、私はそれに異議がある。ただその行為を特に良いとも言わぬし、特に悪いとも言わぬだけだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 朱張はどこにはいるのでしょうかね。この章はおそらく、孔子教団で史書『春秋』を編集していたさいの夫子の発言でしょうね。こうして春秋の筆法が定められていくわけです。

2010-05-29

[][][][]微子第十八を読む(その5) 20:58 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その5) - 蜀犬 日に吠ゆ

道の行われざるは、已にこれを知れり

 微子第十八(461~471)

467 子路従而後。遇丈人以杖荷蓧。子路問曰。子見夫子乎。丈人曰。四体不動。五穀不分。孰為夫子。植其杖而芸。子路拱而立。止子路宿。殺雞為黍而食之。見其二子焉。明日子路行以告。子曰。隠者也。使子路反見之。至則行矣。子(路)曰。不仕無義。長幼之節。不可廃也。君臣之義。如之何其廃之。欲潔其身而乱大倫。君子之仕也。行義也。道之不行。已知之矣。

(訓)子路、従って後る。丈人の杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問うて曰く、子は夫子を見たるか。丈人曰く、四体ありて勤めず、五穀分かたず、孰をか夫子と為すや、と。其の杖を植てて芸(くさぎ)る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、雞(にわとり)を殺し黍(きびめし)を為(つく)りて之に食わしめ、其の二子を見(まみえ)しむ。明日子路行り、以て告ぐ。子曰く、隠者なり、と。子路をして反りてこれを見しむ。至れば則ち行れり。子曰く、仕えざるは義なし。長幼の節、廃すべからざるならば、君臣の義は、これを如何ぞ其れこれを廃せん。其の身を潔くせんと欲して大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行わんとするなり。道の行われざるは、已にこれを知れり。

(新)子路が孔子に従行して、後にとりのこされた。追いかけて行く途で老人が杖に丈の蓧(かご)を下げて荷(にな)っているのに出会ったので尋ねた。貴方は私の先生に遇いませんでしたか。老人曰く、身体の労働をしたことがなく、五穀の見さかいもない者が、何で先生なものか、と言って杖を地面に立てて、草をむしり出した。子路は両手を組んで敬意を表しながら、老人と立ち話を始めた。老人は子路をひきとめ、家へつれ帰って泊らせ、雞を殺し、黍の飯をつくって御馳走をし、二人の子供を紹介した。明日子路は立ち去って孔子に追いついて、このことを話した。子曰く、隠者だな、(それなら言うことがある)と。子路に命(いい)つけて、もう一度たち戻って面会してこいと言った。子路がその家へ行って見ると、もう行方知れずであった。孔子が子路に言わせようとしたのは次の通りであった。曰く、宮仕えしないという主張には何も根拠がない。尊長と卑幼との間の序列は無視することができぬ。(現に子路は貴方を老人の故に尊敬し、貴方はまた二子を年長の子路に引合わせて敬意を表せしめたではないか。)それと同じように、君主と臣下との関係は、無視しようとしても無視できないものだ。貴方は一身を清くしようと思うあまり、無視することのできぬ大事な人間関係を強いて無視しようとなされる。我々の仲間が君主を求めて宮仕えしようとするのは、人間たる者の義務を行おうとするのである。ただその理想がすぐ実現できないものであることぐらいは、万々承知の上だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子路はつづけざまに孔子を批判する隠者との出会いを果たします。子路のなかの夫子に批判的な部分が、呼応するのかも知れません。

2010-05-28

[][][][]微子第十八を読む(その4) 19:36 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その4) - 蜀犬 日に吠ゆ

鳥と獣とは与に羣を同じくすべからず

 微子第十八(461~471)

466 長沮桀溺。耦而耕。孔子過之。使子路問津焉。長沮曰。夫執輿者為誰。子路曰。為孔丘。曰。是魯孔丘与。曰。是也。曰。是知津矣。問於桀溺。桀溺曰。子為誰。曰。為仲由。曰。是魯孔丘之徒与。対曰。然。曰。滔滔者。天下皆是也。而誰以易之。且而与其従辟人之士也。豈若従辟世之士哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰。鳥獣不可与同羣。吾非斯人之徒。与而誰与。天下有道。丘不与易也。 

(訓)長沮と桀溺と耦して耕す。孔子これを過(よぎ)り、子路をして津(しん)を問わしむ。長沮曰く、夫の輿(たづな)を執る者は誰とか為す。子路曰く、孔丘たり。曰く、是れ魯の孔丘か。曰く、是れなり。曰く、是れならば津を知れり。桀溺に問う。桀溺曰く、子は誰とか為す。曰く、仲由たり。曰く、是れ魯の孔丘の徒か。対えて曰く、然り。曰く、滔滔たる者は、天下皆な是れなり。而して誰か以てこれに易(たが)わん。且つ而(なんじ)は人の辟(さ)くるの士に従わんよりは、豈に世を辟くるの士に従うに若かんや、と。耰(ゆう)して輟(や)めず。子路行(さ)りて以て告ぐ。孔子憮然として曰く、鳥と獣とは与に羣を同じくすべからず。吾は斯の人の徒と与にするに非ずして、誰と与にせん。吾は斯の人の徒に非ず。而と与に誰に与(くみ)せん。天下に道あれば、丘は与に易えざるなり。天下の有道には、丘は与し易(たが)わざるなり。

(新)長沮と桀溺とが二人一組になって耕作していた。孔子がそこを通りかかり、(常人でないのを察し、用もないのにわざと)子路に命(いい)つけて渡し場のありかを尋ねさせた。長沮曰く、あの輿(たづな)を握っている男は誰だ。子路曰く、孔丘という者です。曰く、魯国の孔丘だね。曰く、その通り。曰く、そんなら教えないでも知ってる人だ。こんどは桀溺に尋ねた。桀溺曰く、君は誰だ。曰く、仲由という者です。曰く、すると魯の孔丘の仲間だな。曰く、その通り。曰く、滔滔として大勢に順応する者は、天下にいっぱい満ち満ちている。それに逆らおうとするのは誰だろう。君もその一人らしいが、人間ぎらいの孔丘の仲間でいるよりは、いっそこの世間ぎらいの我々の仲間に入ってはどうだ。といったまま、長沮が土を掘ったあとへ種を蒔く手をやめなかった。子路が帰ってきて報告した。孔子はしんみりとしていった。鳥と獣とはいっしょに群をつくることはできない。私はあの人たちと仲間になりたくてもなれない。古い言葉に、而とともに誰の仲間になろうか、とあるが、(私は人間ぎらいどころではない。)天下の有道者からは、私は決して離れて行かぬつもりだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章の従来の解釈は、いずれも意味がはっきりしない。その理由を考えると、次の三つが挙げられる。第一は、

非斯人之徒与而誰与。

の句の読み方であるが、これは、

262 非夫人之為慟而誰為。 夫の人の為に慟するに非ずして誰が為にせん。

と非常に似通った構造なので、つい、

斯の人と与にするに非ずして誰と与にせん。

と読んでしまったが、すると孔子は、斯人之徒、すなわち長沮桀溺の仲間になってしまいそうである。それでは困るから、そこで、斯人之徒を天下の民衆という風に解釈したが、いったい天下の大衆を斯人之徒などと呼ぶことができるものだろうか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 たしかに、「斯人之徒」を金谷先生は「この人間の仲間」、宇野先生は「この人類」、加地先生「この世の人」と、特に説明をせずに解釈していますね。吉川先生は「ほかでもない、この人間、この人間のかたまり」と、「斯」を強調の意にとっています。それが、「孔子を長沮桀溺の仲間に」してしまうのを避けたかどうかはわかりませんが、たしかに直訳とはいえないようです。

私は、斯人之徒を自然のままに長沮桀溺の徒とするために、右の文中、吾れは斯の人と徒に非ず、で一応句を切ってみた。すると次に、与而誰与、の四字が残るが、このように第一字と第四字が同字であるのは、古語の引用である場合が多い。而の読み方が問題であるが、恰もよし、すぐ前に桀溺の言葉の中で而の字を用いて汝と読ませているから、ここでも同じように汝と読んでも唐突の感がない。但しこの箇所は従来のように句読しても、

自分は彼等、長沮桀溺と仲間になることができぬとしたら、誰の仲間になろうか。

と解釈するなら、通じないこともない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 次に有道の二字を従来はいずれも、道あれば、と句にして読んだが、論語の中ではこれを有道者の意味に、名詞として用いることが二回、14297の中に見える。この場合も名詞として解釈すれば通りがよくなる。前文に天下滔滔者とあるのも事実だが、一方天下に有道者がいるのも事実で、それがいる限り、孔子はその仲間に留まるのである。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 更に従来は鳥獣を一群と見て、これに人類を対立させたが、これも文章を不明にする一因である。この場合は鳥が一群、獣が一群と離れているのであって、長沮桀溺と孔子との間に譬えたものである。中国の後世の注釈家はこのような場合、人間を動物に譬えるのは、何か人間冒瀆のような気がして、強いて避けようと努力したらしいが、古代人はそういう点には拘泥しなかったのである。もしこの句の意味をはっきり掴んで、儒家と隠者とが全然別物である立場をとれば、全体の意味をもう少し別の方向へ持って行くことができたであろうと思われる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 第一、第三の解釈では、従来の人たちは自分たちの儒教観をすでにもった状態、つまり先入観をもって論語の解釈に当たったために不思議な翻訳を行わなければならなくなったのではないかという指摘。そういう部分は、当然ありそうに思われます。

2010-05-25

[][][][]微子第十八を読む(その3) 20:06 はてなブックマーク - 微子第十八を読む(その3) - 蜀犬 日に吠ゆ

楚の狂接輿歌って孔子を過り

 微子第十八(461~471)

465 楚狂接輿。歌而過孔子曰。鳳兮鳳兮。何徳之衰。往者不可諫。来者猶可追。已而已而。今之従政者殆而。孔子下欲与之言。趨而辟之。不得与之言。

(訓)楚の狂、接輿、歌って孔子を過(よぎ)りて曰く、鳳や鳳や、何ぞ徳の衰えたる。往きし者は諫むるべからず、来る者は猶お追うべし。已まんのみ已まんのみ。今の政に従う者は殆し。孔子下りてこれと言わんと欲す。趨りてこれを辟(さ)け、これと言うを得ざりき。

(新)楚国の変り者の接輿が、歌いながら孔子の門に立ち寄った。曰く、鳳凰が来たとき、鳳凰が来たとき。こんな衰えた世に、何しに来た。過ぎ去ったことは手直しがきかぬ。これからのことなら、まだ間にあう。よしたがよい、よすがよい。政治などに手出しをすると、ろくなことはない。孔子がそれを耳にし、もっと話を聞こうと、堂から下りて門前に出たが、接輿はもう小走りに足を早めて立ち去ったあとで、つかまらなった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 科挙にこれ出題されたのでしょうか。みんなこれを知っていれば、官僚に腐敗が横行する現実のほうがおかしいと思います。


 接輿の話は『荘子』にも登場します。というか、ほとんど同じ話なんですけれども。

荘子 内篇

第四 人間世篇

 孔子、楚に適(ゆ)く。楚の狂接輿、其の門に遊びて曰く、「鳳や鳳や、何如ぞ徳の衰えたるや。来世は待つ可からず。往世は追う可からざるなり。天下に道有れば、聖人成し、天下に道無ければ、聖人生く。方今の時は、僅かに刑を免かれんのみ。福は羽よりも軽きに、之を載するを知る莫し。禍は地よりも重きに、之を避くるを知る莫し。已みなんかな、已みなんかな、人に臨むに徳を以てするは。殆ういかな、殆ういかな、地を画して趨ることは。迷陽よ、迷陽よ、吾が行くを傷つくる無し。吾が行くは郤曲(きゃっきょく)し、吾が足を傷つくる無し。山木は自ら寇するなり、膏火は自ら煎(や)くなり。桂は食(くら)う可し、故に之を伐る。漆は用う可し、故に之を割く。人皆、有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり」と。

森三樹三郎『荘子』Ⅰ 中公クラシックス

 歌の部分を増やして、孔子が追いかけるシーンをカットすることで、接輿に借りて荘子の意見を述べたのでしょうけれども。