蜀犬 日に吠ゆ

2010-03-24

[][][][]憲問第十四を読む(その31) 19:40 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その31) - 蜀犬 日に吠ゆ

己を脩むるに敬を以てす

 憲問第十四(333~379)

377 子路問君子。子曰。脩己以敬。曰。如斯而已乎。曰。脩己以安人。曰。如斯而已乎。曰。脩己以安百姓焉。脩己以安百姓。堯舜其猶病諸。

(訓)子路、君子を問う。子曰く、己を脩むるに敬を以てす。曰く、斯の如きのみか。曰く、己を脩めて以て人を安んず。曰く斯の如きのみか。曰く、己を脩めて以て百姓を安んぜん。己を脩めて以て百姓を安んずるは、堯舜も其れ猶おこれを病めり。

(新)子路が修養の目標たる君子の如何なるものかを尋ねた。子曰く、己れを正しく保って謹慎を失わぬ人だ。曰く、ただそれだけのことですか。曰く、己れを正しく保てば、自然に周囲の人たちの心を平和にすることができる。曰く、ただそれだけのことですか。曰く、己れを正しくすれば、最後には天下の百姓の心まで平和にすることさえ可能では無かろうか。天下の百姓の心を平和にすることは、堯舜のような聖天子にとってさえ、容易ならざる難事業であったのですぞ

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この条の終の方で、脩己以安百姓の句が二回繰返されるが、初の句は上を受けて、子路の質問に直接答え、次の句は自分の言った言葉に対する補足的説明のためであって下へ続くから、両者の誤記が全く違わなければならない。私の考えではこういう場合、初の句の終に何らかの助詞が必要だと考える。そして助詞を入れるならば焉が最も適当であろう。問い詰められて答える場合にはしばしばこの焉が用いられる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ここではまた子路が「やり過ぎの質問」をしてたしなめられる、という話ですね。「君子になるための条件」という子路の問には「脩己」だけで済むはずなのですが、「以敬」という補足説明をつけたのが、夫子の優しさ。しかし、子路は内省というものからは遠く離れた人間ですので、「脩己」を、気概とか理想に燃える程度のものと考えました。そしてそれくらいならもう出来ている。こうして先生に質問しているのも「修養」の一環じゃあないか、くらいの気持ちでいますから「たったそんな程度のことで君子といえるんですか?」と、おそらく本心から驚いたのではないでしょうか。

 夫子は再び答えて、「脩己」。だけでもよかったのですが、「以安人」とつけ加えます。これは、冷静に考えれば実践はなかなか難しいのですが、子路は案の定、天下平定くらいの答えを期待していますから自分の想定外の解答を理解することが出来ません。「君子なんて、そんなものなのですか?」と聞いてしまい、結局「おまえは王様か?」と言われてしまうのでした。

 こういう絶妙のやりとりが、論語の魅力(のひとつ)ですよね。

 ちなみに、堯舜の悩みは雍也第六「必ずや聖か」にもあります。聖人だって悩みます。


原壌、夷して俟つ

 憲問第十四(333~379)

378 原壌夷俟。子曰。幼而不孫弟。長而無述焉。老而不死。是為賊。以杖叩其脛。

(訓)原壌、夷(あぐら)して俟つ。子曰く、幼にして孫弟ならず。長じて述ぶるなく怵るところなく、老いて死せず。是れを賊と為す、と。杖を以て其の脛を叩く。

(新)原壌がうずくまって孔子を迎えた。子曰く、子供の時から目上のものを敬うことを知らず、成長してからも遠慮会釈することを知らず、老いぼれて死ぬのを忘れた、この穀つぶしめ、と言いながら杖でその脛を叩いた。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 二人のこの会合は路上などで偶然出あって、出あいがしらに喧嘩になったのではない。原壌は夷して俟ったのであるから、俟つべき理由があって孔子の訪問を待ちうけたのである。孔子の方はまた訪問すべき義理があって、儀礼上の訪問をした。孔子のことであるから正装して、威儀を正して出かけたところ、原壌は夷して待ちうけた。夷はうずくまるであるが、よく釣人が岸で腰を下した場合のように、片膝、または両膝を立てた楽な姿勢である。本来ならば直立して迎えるところであった。そこで孔子がその無礼を怒って杖で脛をひっぱたいたのである。だから孔子の方にも暴力を振う理由があったわけだ。

 述の字はほとんど凡ての注釈は、孔子自身の述而不作、の述本来の意味にとるが、おそらく怵の仮借であろう。発音が同じければ文字の偏には拘泥しないで相通じて用いるのが古代の習慣であった。こんな場合、たとえば原壌が先王の道を述べることがなかったにしろ、業績がないなど言って相手を責めるのはどう考えてもおかしい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 たしかに、孔子が体罰(!)をかますのはここだけですからね。対話するわけでもなくて一方的に罵り、杖で叩く。他の弟子たちと接するのとは明らかに態度が異なる、それだけ孔子の憤懣が大きかったということでしょう。


 原壌というのは

 原壌は孔子の友人である。母が死んだ時木に登って歌った人である。蓋し老子の流派の人で、礼法を無視して放逸な行いをしている者であろう。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 母が死んだ時木に登って歌ったというのもおかしな話ですが、孔子は、そうした奇矯な振る舞いに対して違和感を覚えたり距離をおいたりということはあったでしょうが、殴り掛かるというのはどういうことでしょう。

 原壌は、「礼記」の「檀弓」篇にも、顔を出す。その母が死んだとき、孔子は棺おけを施してやったのに、棺おけの上によじのぼって、歌をうたった。孔子は聞かないふりをして通りすぎ、なにぶんあいつは旧友だから、といったという。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 こちらでは棺おけになっていますね。「礼記」をもっていないので元の文は分かりません。旧友だからなにくれと面倒を見てやったために孔子の教団の一人とみなされ、若者に悪影響をあたえ、世間での儒家の評判を下げた人であったのかもしれません。


 この条における孔子の態度は、きびしく、ことに「老いて死せず」とは、何ともきびしい言葉である。ただし、杖で足をたたいたのは、強くぶんなぐったのでなく、おい、その足を引っこめないか、と軽くたしなめたのだと、朱子の新注はいい、徂徠もそれを強調する。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 だからって、杖でねえ。


速に成らんと欲する者なり

 憲問第十四(333~379)

379 闕党童子将命。或問之曰。益者与。子曰。吾見其居於位也。見其与先生並行也。非求益者也。欲速成者也。

(訓)闕党の童子、命を将(おこな)う。或るひとこれを問いて曰く、益する者か。子曰く、吾れ其の位に居るを見る。其の先生と並び行くを見る。益を求むる者に非ざるなり。速に成らんと欲する者なり。

(新)闕なる町内の童子が珍しく取次ぎの見習いを勤めた。あるひとが童子について尋ねた。大へん見込みのある子だからですか。子曰く、私が見ているとあの童子は大人と同じように座席を占領していた。また見ていると先達の大人の後に従わず、並列して歩いていた。本気で勉強する気がない。ただ一日も早く大人の扱いをしてもらいたいだけなのが分った。これではいかんと思って使っているのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 吉川先生は、童子がよその玄関番であり、孔子が「速成を欲するとっちゃん小僧だよ」と批評した解釈になっています。

 たしかに宮崎先生の解釈でも「これではいかんと思って使っているのだ。」は、原文にない部分ですよね。その場合は、玄関番でもさせて仕事で失敗し、まだまだ半人前だと思い知らせる効果を狙っているのでしょうか。宇野先生は、玄関番にすることで「長幼の順序を観せ、礼儀作法を習わせようとする」のだとします。そういう効果も期待できますかねえ。



 以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』下論、原憲が自ら記したものであろうと曰われている、四十七章ある「憲問」第十四は終わる。

2010-03-23

[][][][]憲問第十四を読む(その30) 19:35 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その30) - 蜀犬 日に吠ゆ

高宗は諒陰に、三年言わず

 憲問第十四(333~379)

375 子張曰。書云。高宗諒陰三年不言。何謂也。子曰。何必高宗。古之人皆然。君薨。百官総己。以聴於冢宰三年。

(訓)子張曰く、書に云う、高宗は諒陰(りょうあん)に、三年言(ものい)わず、とあり。何の謂いぞや。子曰く、何ぞ必ずしも高宗のみならん。古の人は皆な然り。君薨ずれば、百官は己れを総べて、以て冢宰(ちょうさい)に聴くこと三年なり。

(新)子張が尋ねた。書経に、殷の天子、高宗武丁は父の喪に服すること三年の間、長い話をしなかった、とありますが、どういう意味でしょうか。子曰く、何も高宗に限ったことではない。昔の人は皆なそうしたものだ。君主が亡くなると、百官は天子から離れて自己の責任で仕事をし、是非必要の場合は最高位の大臣、冢宰の指揮に従うこと三年であった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子張が夫子に質問。おそらく歴史の編修や校訂作業中ではなかったかと思われます。「天子が三年もものをいわない、ということは政治に必要な命令は誰が出したのでしょうか」と。

 引用の「書」の文句は、いま既に伝わらない篇の中のものである。いまの「尚書」では「説命(えつめい)」上篇に似た言葉があるが、この「説命」篇は、魏晋のころの人が、「論語」のこの言葉その他を資料として、偽作したものである。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 なお、三年の喪、というのは

(2)「三年」は、厳密には、満二年に一日を加えると、数え年で三年になる。儒教では、実際の死亡日の一日前日をもって死亡日とするので、実際の満二年目の命日が三年目となる。この三年の喪は、親の死のときの期間であり、最も長い。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 それにたいして孔子は、学而第一三年父の道を改むることなし」や里仁第四三年、父の道を改むるなきは、孝」を引き合いに出して、「百官は従来どおりきっちりと仕事をしたものだ」と教えたわけです。

 子張の疑問は、「ふつうの士大夫であればいざしらず、天子が何も指示しない、というのは国の運営に支障が出ないか」というものですが、孔子は、「天子といえども親の子だよ」という単純なもの、でした。


 ところで、

 おやが死ぬと、三年、じつは二十七か月もしくは二十五か月の、喪に服する、というのは、漢以後、一般人にとっては制度的なものとなり、官吏もその間は休職となるのが、清朝末までの制度であっった。ただし天子は、「論語」のこの教えにもかかわらず、除外例とされ、日を以って月に易え、二十七か月を二十七日ですます、というような便法が講ぜられた。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 とあり、仕方のない面もあるのでしょうけれども、そうやって合理性を追求して礼を簡素簡略化しても良いというのであれば儒教の精神は踏みにじられたことになりませんかね。実際、陽貨第十七の455では、「三年は長すぎる」と意見をもつ宰予にたいし、孔子が「予之不仁也」と、最下級に罵倒しているのですから。



上、礼を好めば、民、使い易き

 憲問第十四(333~379)

376 子曰。上好礼。則民易使也。

(訓)子曰く、上、礼を好めば、民、使い易きなり。

(新)子曰く、為政者が礼を尊重すれば、人民は温順で使いやすくなる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 自然と感化が及ぶ、ということでしょう。ただしこれは、そういう効果のために礼があるという意味ではないとのこと。

 上が礼を好むのはもと民を使おうとするためではないが、民の使い易くなるのは礼を好むための自然の効験である。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

2010-03-22

[][][][]憲問第十四を読む(その29) 19:19 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その29) - 蜀犬 日に吠ゆ

為すべからざるを知りて、これを為さんとする

 憲問第十四(333~379)

373 子路宿於石門。晨門曰。奚自。子路曰。自孔氏。曰。是知其不可而為之者与。

(訓)子路、石門に宿す。晨門曰く、奚(いず)れよりする。子路曰く、孔氏よりす。曰く、是れ其の(為す)べからざるを知りて、これを為さんとする者か。

(新)子路が魯の郭門、石門の外に泊った。翌朝、門を入るときに朝係りの門番が尋ねた。何処の者だ。子路曰く、孔氏の者だ。曰く、ははん、到底実現できない理想をかかげて無理と知りながら、努力してやめられない彼の人のことか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 石門は、魯の場外の門としますが、宇野先生だけは、どこか外国を想定している様子。

 子路が孔子に従って天下を廻り歩いた時に、偶石門という処に宿った。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 石の門なんて何処にでもあるので、どこかに特定したくなかったのでしょうか。


 道家風の隠士から、ちょっとからかわれたという話。どうしてこれを『論語』に入れておいたのかは謎。



為すべからざるを知りて、これを為さんとする

 憲問第十四(333~379)

374 子撃磬於衛。有荷蕢而過孔氏之門者。曰。有心哉。撃磬乎。既而曰。鄙哉。硜硜乎。莫己知也。斯已而已矣。深則厲。浅則掲。子曰。果哉。末之難矣。

(訓)子、磬を衛に撃つ。蕢(ふご)を荷いて孔氏の門を過ぐる者あり。曰く、心あるかな、磬を撃つや、と。既にして曰く、鄙なるかな。硜硜(こうこう)たるや。己を知るなくんば、斯に已(や)まんのみ。深ければ厲(ころもぬ)ぎ、浅ければ掲(すそかか)ぐ、ものぞ。子曰く、果なるかな。これを難しとする末(な)きなり。

(新)孔子が衛において、あるとき磬の楽器を打ち鳴らしていた。蕢を荷って孔氏の門前を過ぎる人があった。曰く、はて、何か意味ありげだな。あの磬の音は。暫くしてからまた言った。なんだつまらない。ぶつぶつ言う不平声だったのか。誰も認めてくれなかったら、自分の方から引っこむまでじゃないか。深い川を渡るには着物を脱ぎ、浅瀬を渡るには裾からげ、という歌のとおりさ。子曰く、そうだ、その果(はだか)になる方だ。此方はちゃんと前からやってるよ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 果哉の果を従来はほとんど凡ての注釈家は、果敢、果断の果と読んできたから、意味が少しも通らない。しかし果にラ音があり、裸に通ずる位のことを知らなかったはずがない。思うにこの章は、どこか道家的臭味があり、殊に裸生活は道家の讃美したがるところなので、儒教派注釈家は殊更に異を立てて、果断の果の意味で無理に押し切ってきたのであろう。ここに訓詁学の限界が見られる。

 深則厲、浅則掲の句は、詩経、邶風、匏有苦葉の中に見えている。末之難矣、は文字どおりには、そんあんことは少しもむつかしいことではない、の意。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 詩経国風

34 匏有苦葉(ひさごの葉はにがい)

1 匏有苦葉 jiap

 濟有深渉 ajiap

 深則厲 liat

 淺則掲 kiat


 匏に苦葉あり

 濟(わたり)に深き渉あり

 深ければ則ち厲し

 淺ければ則ち掲ぐ


 ひさごの葉はにがい

 わたしばの水は深い

 深ければはだかでわたる

 淺ければからげてわたる

白川静訳注『詩経国風』東洋文庫 平凡社

 儒家が、「孔夫子を裸にはできんわなあ」という解釈は面白いですね。孔子自身は、「俺は、裸だよ」と言っているのに。ジャイアンも「おういみんな 服をぬげばいいんだ!」と言ってました。関係ない。

 「孔氏」と書くとき、道家を意識して孔子とその後を継ぐものたち、という含みがあるのでしょうか。

2010-03-21

[][][][]憲問第十四を読む(その28) 20:52 はてなブックマーク - 憲問第十四を読む(その28) - 蜀犬 日に吠ゆ

道の将に行われんとするや、命なり

 憲問第十四(333~379)

370 公伯寮愬子路於季孫。子服景伯以告曰。夫子固有惑志於公伯寮。吾力猶能肆諸市朝。子曰。道之将行也与。命也。道之将廃也与。命也。公伯寮其如命何。

(訓)公伯寮、子路を季孫に愬(うった)う。子服景伯、以て告げて曰く、夫子固より公伯寮に惑志あり。吾が力、猶お能くこれを市朝に肆(さら)さん。子曰く、道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃せんとするや、命なり。公伯寮、それ命を如何せん。

(新)公伯寮が子路のことを魯の大臣、季孫に悪しざまに讒言した。子服景伯が孔子にそれを報告して曰く、大臣は前から気に入りの公伯寮に欺されがちなのです。しかし私はあの男をいつか衆人環視の中で叩きのめしてやる力があります。子曰く、私が昔からの道を復興しようとして成功するなら、それは天命だ。私が昔からの道を復興しようとして失敗するなら、それも天命だ。別に公伯寮が天命を動かしているわけではないだろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 運命論。終わり。


 新キャラが続々登場。

 季孫のお気に入りで讒言をした公伯寮。

 公伯寮は、「史記」の「弟子列伝」に、「字は子周」と見え、しからば、七十二人の弟子中の一人であるが、この条によれば小人である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 当時、子路は魯国の実力者である季氏(季孫氏)に仕えており、公伯寮は同僚であったらしい。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 子服景伯は魯の臣であったため、これを早速報告。

子服景伯は魯の大夫子服何。子服は氏、景は諡、伯は字。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 とされますが、異論も。

 また子路を擁護した子服景伯を、古注は「魯の大夫子服何忌」とし、新注は「子服何」とする。いずれも「左伝」に見えるが、二人は別人であり、子服何は、哀公三年から十三年までに見える。劉宝楠は考証して、新注の方が正しいとする。その名はのちの子張篇にも再び見えるが、そこでも孔子とその弟子たちに好意をもつ魯の重臣である。「礼記」の「檀弓」篇の最初の条に見える子服伯子も、そこの鄭玄の註によれば、同じ人物であり、そこで子游とかわした問答の口吻から見て孔子の学問に敬意を払う教養ある家老であった。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 教養ある、というわりには「吾が力、猶お能くこれを市朝に肆さん」などとなかなか物騒なことを言います。宮崎先生は「衆人環視の中で叩きのめしてやる力があり」などといいますが、

「肆」は処刑したあと、大夫以上は朝(国君の政庁)に、士は市にさらす(『正義』)。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 で、つまり「(子路が処刑される前に)ヤっちまいましょうか?」と、剣呑な提案をしているわけです。こわいよなあ


 この条における孔子は、もっとも運命論者であるように見える。仁斎はいう、(略)いいかえれば、個人的な事柄については、あくまで個人の努力を尊重するが、大きな歴史の動きには、人間の意志以上の天の意志を認めたとするのである。(略)ただ下論における孔子は、上論の孔子よりも、より多く運命論者であるように感ずる。しかしその運命論は、結局において悲観的なものではない。この条も公伯寮という個人が、歴史の運命に逆らえるものか、というのは、歴史の運命がどの方向に向かっているかを、暗黙に語るごとくである。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 述而第七「桓魋ごとき」を相手にしなかった孔子ですから、公伯寮風情など、ますます恐るるに足らず、ほっとけほっとけ、という感じでしょうかね。

 しかし、子路の廻りもだんだんと修羅場となってきたのかもしれませんね。破滅への予兆は、ささいなことから始まって、しだいに誰もが感じ取れるようになってきたころには、取り返しがつかなくなっていたのかもしれません。



賢者は世を辟く

 憲問第十四(333~379)

371 子曰。賢者辟世。其次辟地。其次辟色。其次辟言。

(訓)子曰く、賢者は世を辟(さ)く。其の次には地を辟く。其の次には色を辟く。其の次には言を辟く。

(新)子曰く、(政治が乱れて危険な時には)賢者は世事から遠ざかって隠居する。それでもまだ危険なら、違った土地へひっこしする。それでもまだ危険なら、人相の悪い人間とはつきあわない。それでもまだ危険なら、迂闊なことを言う人間と話さない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 普通に其次以下を、次賢者、次次賢者、次次次賢者という風に解釈するが、それでは最後の次次次賢者とはどの程度の人物か分らない。どうもこういう層序法はあまり例を見ない。こういう際には段階に応じて、別の形容詞を用いるか、少くも最後へ行って、下なる者とか、愚者とかで結ばなければ、たれ流しになってしまう。更に色、言の解釈も君主の顔色、君主の言語では、上とのつながりが悪くて納得しがたい。其次を、次の段階では、と副詞に読めば解釈がつきやすくなる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 まさかの、原典へのダメ出し。「賢→愚」ではなくて、時間的な「其次」で、同じ人が順々にこうしたものを避ける、でもいいと思うのですが、そういう解釈はない模様。

 この章は進退は時の宜しきに随うべきことを示したのである。

 世を避けるのは伯夷や太公が紂を避けた類である。(孟子離婁上篇)地を避けるのは百里奚が虞を去って秦へ行った類である。(孟子万章上篇)色を避けるのは孔子が衛の霊公の飛雁を見て己を忘れたのを見て去った類である。(孟子告子下篇)言を避けるのは衛の霊公が陣を問うたので孔子が遂に行った類である。(衛霊公篇)

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

作(た)つ者、七人

 憲問第十四(333~379)

372 子曰。作者。七人矣。

(訓)子曰く、作(た)つ者、七人ありき。

(新)子曰く、世を避けた人、七人の名をあげることができる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この七人について諸説あるが、恐らく468に見える逸民七人、すなわち、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連のことであろう。もと論語のこの条の下に七人の名があったのを後人が468と重複するため削ったか、あるいは初めから、単に七人と数だけ記録されたものか、今から知ることはできない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

七人――だれをさすか異説が多く不明。微子篇第八章の逸民七人を当てるのは魏の王弼。

金谷治『論語』岩波文庫

 

 古注では、前条とあわせて一章とし、そうした賢明な逃避を作した者は七人ある、とし、七人とは、のちの微子第十八に見える長沮と桀溺と丈人、この篇のすぐあとに見える石門と荷蕢、八佾第三の儀の封人、および再び微子の楚狂接輿であるとする。その説では「作」の字を「為也」と訓ずる。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

新注は、まえと連ねて一章とせず、また「作」の字を「起つ也」と訓じ、「起ちて隠れ去る者、今ま七人」ただし七人の名前は不明とする点、古注と異なるが、前条とつらなった内容であるとするのは、古注と同じである。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 全く別の説として、「作者」とは人間の生活の方法を創作した聖人であり、「七人」とは、伏羲、神農、黄帝、堯、舜、禹、湯、であるとする説が、北宋の張載の語録に見える(「張子全書」第十二)。「礼記」の「楽記」の、「作る者を之れ聖と謂う」がその論拠である。徂徠も、張載の説をよしとする。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 要するに不明、でいいじゃないですか。

 しかし、七人組の元祖がこんな所にあったとは。つまり「七人の侍」は論語のパロディ?

2010-03-20

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我れを知る者は、其れ天

 憲問第十四(333~379)

369 子曰。莫我知也夫。子貢曰。何為其莫知子也。子曰。不怨天。不尤人。下学而上達。知我者其天乎。

(訓)子曰く、我を知るもの莫きかな。子貢曰く、何すれぞ其れ子を知る莫からんや。子曰く、天を怨みず、人を尤(とが)めず。下学して上達す。我れを知る者は、其れ天なるか。

(新)子曰く、私を知る者は世にないな。子貢曰く、どうして先生は世に知られないと言えましょう。子曰く、運が向かぬといって天に愚痴をいわず、社会が悪いといって人に責任を転嫁しない。地味な学問を積み重ねて、精神の向上に努めてきた。こういう点を知ってくれるのは、やはり天の外にはないな。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 最初の子貢との問答は、すでに孔子がひとかどの人物として諸国に知られている、という前提あってのことでしょう。

 後半の、孔子の言葉は、私が知られているというのは、私が知らせたいこととは別であると言うことでしょう。一流は一流を理解する、孔子への評価はいずれも表面的なものにとどまり、本質を見抜くような人物は出てきませんでした。だからといってそれに不満があるわけではない、天が知っていてくださるのだから。ということでしょう。孔子がどれだけ不満をもっていなかったかは、繰り返し出てきたとおりです。

学而第一人を知らざるを患う

里仁第四知らるべき無きを患うるなり

憲問第十四己の能くするなきを患う

衛霊公第十五「君子は能なきことを病う」

学而第一人知らずして慍おらず


「下学而上達」には、諸説があって一定の解釈はない。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 「君子は上達する」とありますが、これは孔子が己の達成した偉業を誇っているのではなくて高い理想をもっていることを、表しているのだと思います。

2010-03-19

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直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん

 憲問第十四(333~379)

368 或曰。以徳報怨。何如。子曰。何以報徳。以直報怨。以徳報徳。

(訓)或るひと曰く、徳を以て怨みに報いたらば何如。子曰く、何を以て徳に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いん。

(新)或るひと曰く、好意を以て怨みに応えたら何如でしょうか。子曰く、それでは何をもって好意に応えようか。平心をもって怨みに対応し、好意をもって好意に対応したい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 前章の、「徳は得」が踏襲されていないことに絶望した! 感心して損した! と、損得で物事を量ってはいけませんね。「利に喩る」ようなことではいけません。

 ここでは、「直」が問われることになりますね。「怨」に対してもちろん「怨」で報いようとしてしまいがちですが、それでは永遠に互いの報復が続くことになってしまいます。

 普通は

まっ直ぐな正しさで怨みにむくい

金谷治『論語』岩波文庫

 と解釈します。


 宇野先生は、

 ある人のいったことは老子の書物にある。「徳を以て怨みに報いる」のと「直を以て怨みに報いる」のとの間に老子の教えと孔子の教えとのちがう所が見える。羅大経は仏教と比較して「徳を以て怨みに報いるのは慈悲広大で高く人に抜け出た行いではあるが、孔子が取らないのは世間に通用しないと思うからである。わが儒の道は必ず通用すべきことを欲する。故に『中庸』とか『人情に近い』とか曰うのである。」といっている

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 という立場から、

公平無私をもって怨みに報い

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 と見ます。人間に出来ることで、常に少しでも良い方策をさぐるという現実論だからこその孔夫子であるという立場ですね。

 しかし「或るひと」が老子であるというのは、老子『道徳経』の成立の方が『論語』よりも遅いとする最近の動向からすると逆で、道家たちがこれを取り入れたとか、あるいは広く巷間で言われる言葉であったとする方がいいかもしれません。或いは道徳経を引用して後世『論語』にもぐり込ませた? わけが分からなくなりますが、孔子と老子の思想比較ではなくて、儒家と道家の比較という点では、重要な章句ですね。


 吉川先生の解釈。順序が前後しますが、やはり道家との比較に言及。

「徳を以って怨みに報ゆ」という言葉は、「老子」の第六十三章にも、「怨みに報ゆるに徳を以ってす」と、同じような表現が見え、「老子」と「論語」と、いずれが先であるかは問題だとして、孔子以前から存在した言葉ではあろう。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 吉川先生はことわざ派。

 さらにこちらは儒家と伴天連の比較。

 孔子。それでは善意に対して、何を報いよというのか。まっすぐなもの、それで悪意にむくい、善意によって善意にむくいる。

 よく「マタイ伝」五・三九の、「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」と比較される条である。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 luke6 にもありますよ。

 マタイ伝は6:38の同害復讐法から引用します。

マタイによる福音書 5

The Gospel According to MATTHEW 5

38 "You have heard that it was said, 'An eye for an eye and a tooth for a tooth.'

38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。


39 But I tell you not to resist an evil person. But whoever slaps you on your right cheek, turn the other to him also.

39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

40 If anyone wants to sue you and take away your tunic, let him have your cloak also.

40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。

41 And whoever compels you to go one mile, go with him two.

41 だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。

42 Give to him who asks you, and from him who wants to borrow from you do not turn away.

42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。

新共同訳『新約聖書』国際ギデオン教会

ルカによる福音書 6

The Gospel According to LUKE 6
敵を愛しなさい。

27 "But I say to you who hear: Love your enemies, do good to those who hate you,

27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。

28 bless those who curse you, and pray for those who spitefully use you.

28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

29 To him who strikes you on the one cheek, offer the other also. And from him who takes away your cloak, do not withhold your runic either.

29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。

30 Give to everyone who asks of you. And from him who takes away your goods do not ask them back.

30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。

新共同訳『新約聖書』国際ギデオン教会