蜀犬 日に吠ゆ

2015-01-12

[][][]吉行淳之介『酔っぱらい読本』講談社文芸文庫 20:43 はてなブックマーク - 吉行淳之介『酔っぱらい読本』講談社文芸文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 三冊まとめて買ってきました。しばらくこれを読む予定。

2013-11-06

[][][]泉昌之『食の軍師』3 日本文芸社 18:14 はてなブックマーク - 泉昌之『食の軍師』3 日本文芸社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 3巻を入手。力石さんと仲良くなったら、結構のりのり。友達とはこういう接し方をするタイプなんですね。

食の軍師(3) (ニチブンコミックス)

食の軍師(3) (ニチブンコミックス)

2012-11-20

[][][]めそ~~内田百閒『御馳走帖』中公文庫 19:39 はてなブックマーク - めそ~~内田百閒『御馳走帖』中公文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 とりあえずメモしておいて、あとでキーワード化します。よく考えるとたくさんあります。

 今日は「めそ」。

御馳走帖 (中公文庫)

御馳走帖 (中公文庫)

めそ

昔は電車が通つてゐる表通が裏神保町で、そこへ電車を敷いたからそつちが表になり、もとの表神保町の通が裏になつて、鈴蘭燈を連ねてゐるから鈴蘭通とも云ふそうだが、そんな名前は方方にあるから意味はない。歩いて行つたらいいにほひがして来て、鰻屋の前に掛かつた。

 河出書房にゐた暑かつたと思ふけれど、鰻屋の前には風が吹いてゐて、少し寒かつた。寒暖の記憶がどうも判然としない。広い鉢の上に小さい細い鰻の焼いたのが列べてある。あまり小さいので泥鰌かと思ふ。さう云へば店先の鏡を抜いて水を張つた四斗樽の中で、生きた泥鰌が浮かんだり沈んだりしてゐる。

 自分でさうは思はなかつたけれど、いいにほひに牽き寄せられたのかも知れない。孟浪と並んでいつ迄もその店の前に起つてゐた。大きな広い鉢の中に列んでゐるのが気に掛かる。

 泥鰌か知らと孟浪に云つたら、店の中から、鰻を焼いている男が、怒つた様な大きな声で、鰻ですよと云つた。

 めそと云ふのだらう。もう一寸大きくなれば、筏であり小串であつて普通だが、めそを買つて行つて食べて見ようかと云ふ気がする。鉢の縁に経木の札がついてゐる。高くはないしお金は持つてゐる。しかしどうも思ひつきで何か買ふと云ふ事が私には出来にくい。物を買つて、お金を払つて、お釣りを貰つて出て来ると云ふ手続きと順序がひどく億劫である。

 黙つてその前を離れた。孟浪君も一緒に歩き出した。店の奥のさつきの男が、じろりとこつちを見たような気がする。

(中略)

 二三日経つたけれど、矢つ張りお膳に坐つてゐる時、神田のめそを思ひ出す事がある。腹の中に意地が出来てゐるらしい。それなら何も神田まで行かなくても、ついそこの四谷見附の鰻屋で買つて来てやると家内が云つた。さうして翌くる日の晩買つて来たのを開けて見ると、私が思つてゐるのより倍も大きく、普通の小串である。焼き上げたのを買つて来たのでは、うまくないにきまつてゐる。文句を云ひ云ひ食べたが、味はなかった。

 にほひに誘はれて、店先に立ち停まつた時から、めそに憑かれたかも知れない。矢つ張り食べて見ないと虫がをさまらない様である。更めて孟浪君を煩はし、お役所の帰りに、神田のあの店へ寄つて買つて来てくれる様に頼んだ。

 それで漸くありついた。お膳にひろげて、さて食べようと思ふ。食べたくて食べたくて仕様がなかつた御馳走である。息がはづむ様な気がして、箸をつけたらちつともうまくない。細いくせに、しんが固くて、口ざはりが突つ張つて、味が無い。小ひさいからすぐに上がるかも知れない。浮いて腹が白くなつたのを焼いたのだらう。

内田百閒『御馳走帖』中公文庫

 あいかわらずめんどくさい小父さんですこと。

2012-10-22

[][][][]中島敦の中華料理賛歌 20:50 はてなブックマーク - 中島敦の中華料理賛歌 - 蜀犬 日に吠ゆ

 中華料理をテーマとした和歌十四首。

 中島敦って、いつの時代の人間よ。少なくとも二十年前には時代遅れ。

中島敦の中華料理賛歌

 明治以降の日本の小説家で、中華料理をもっともおいしそうに描いたのは誰だろう、とふと思った。

 谷崎潤一郎の『美食倶楽部』は誰しも思い浮かべるだろうが、あの小説に描かれているのはほとんど空想の料理であるし、味覚よりもむしろ性感に訴えかける種類のもので、わたしの食欲をそそらない。林芙美子の小説の主人公が食べる”支那そば”はじつにうまそうだが、中華料理といえるかどうかわからぬ。芥川龍之介は『江南遊記』に、南京で食べたデザートの「八宝飯」が美味かったと記しているが、秦淮(しんわい)の美人に目を奪われて、料理のことはあまり印象に残らなかったらしい。

 わたしの思いつく範囲では、中島敦の「聘珍樓雅懐」が、短歌という形式ではあるけれども、中華料理賛としてほとんど唯一の傑作である。


 一九三七年七月に蘆溝橋事件が起こり、日中戦争が始まった。「聘珍樓雅懐」はその後に書かれたもので、横浜「聘珍樓」での宴を十四首の歌に詠んでいる。わたしは以前、国書刊行会から出た『美食』というアンソロジーにこれを入れたことがあるが、御覧になった方も少ないだろうから、ここにもう一度引用する。


 初めの三首は、日中が敵対する険しい情勢の中で、それでも料理は憎くないといって、華国の美味への愛着をうたう。

 冬の夜の聘珍と聞けば大丈夫(ますらを)と思へる我も心動きつ

 国つ仇と懲し伐つとふ国なれど唐(から)の料理の憎からなくに

 うましもの唐の料理はむらぎもの心のどかに食ふべかりけり


 さて、席について、料理が順々に出てくる。それをこの歌の作者は何と嬉しそうに味わっていることだろう!

 白く濃き唐黍(たうきび)スウプ湯気立ちてあら旨げやなうす脂うく

 白く濃き唐黍スウプする\/と啜(す)へば心も和(なご)みけらずや

 家鴨(いへがも)の若鳥の腿の肉ならむ舌にとけ行くやはらかさはも

 大き盤に濛々として湯気(けむり)立つ何の湯(タン)(スウプ)ぞもいざ味見(あぢみ)せん

 肉白き蟹の巻揚(まきあげ)味軽(かろ)くうまし\/とわが食(を)しにけり

 かの国の大人(たいじん)のごとおほけらく食(を)すべきものぞ紅焼鯉魚(ホンシャウリギョ)は

 甘く酸き匂に堪へで箸とりぬ今宵の鯉の大いなるかな

 甘酢かけて食ひもて行けば大き鯉はやあらずけり未だ饜(あ)かなくに

 冬の夜の羊肉(ひつじ)の匂ふとかげば北京のみやこ思ほゆるかも

 いさゝかに賤(いや)しとは思(も)へどなか\/に棄てがたきものか酢豚の味も

 みんなみの海に荒ぶる鱶の鰭に逢はで久しく年をへにけり

 ちなみに最後のフカヒレの歌はフカヒレが出てこなかったというのではなく、幾年(いくとせ)を経て、ここ「聘珍樓」でやっと再開した喜びを述べているのだ。作者はこの気の利いた歌を掉尾に据えるためか、料理の順番を多少入れ替えているらしい。フカヒレはたぶん宴の初めの方に出てきたろうし、玉蜀黍(とうもろこし)のスープはあとの方だったろう。「大いなる」鯉も酢豚よりあとだったろう。ちなみに、「紅焼鯉魚」とあるのは「糖醋鯉魚」の間違いかと思われる。「甘く酸き」タレをかけた揚げたての熱々(あつあつ)の鯉が、思わず唾がわいてくるような良い匂いを立てて、人々がいっせいに箸を伸ばすようすが目に浮かぶ。そうだ。昔は東京などでも中華料理の宴席といえば、おしまいに、この鯉の丸揚げ―「糖醋鯉魚」―が、決まりごとのように出て来たものだ。


わたしと鯉

 わたしは、しかし、その唐揚げを一度も美味しいと思ったことがなかった。幼いわたしの味覚からすると、あんかけのあんは甘すぎるか、酸っぱすぎる。それに細切りの野菜があんに入っていて、ともすると人参が混じっている。わたしは人参嫌いなので、これがまず気に入らぬ。魚の方も骨っぽいし、どうも生臭い。あんな不味いものを、何を好きこのんで食べるのだろう――このことはわたしにとって一つの謎であった。

南條竹則『中華文人食物語』集英社新書

 それで「美味しい鯉の唐揚げ甘酢あんかけ」にであった話に続くのですが後略。とりあえず南條先生、あとでフクロ。

 あと、「白く濃き」はほとんど枕詞のように「唐黍スウプ」にかかるのですね。ポタージュ的なもの? 中華のコーンスープで濃厚系ってイメージにありません。

中華文人食物語 (集英社新書)

中華文人食物語 (集英社新書)

2011-01-21

[][][]泉昌之『食の軍師』日本文芸社 21:18 はてなブックマーク - 泉昌之『食の軍師』日本文芸社 - 蜀犬 日に吠ゆ

 まあ当然、というか読まざるを得ないということになりましょうねえ。

食の軍師 (ニチブンコミックス)

食の軍師 (ニチブンコミックス)

 「かっこいいスキヤキ」『芸能グルメストーカー』でおなじみの本郷さんが、蜀ならぬ「食の諸葛孔明」となって、力石を相手に独り相撲をする漫画。

 ゴローちゃんと違い、本郷さんは思ったとおりのことを口に出してしまいます。ゴローちゃんは独自の美学があって思ったことをすぐしゃべらないので、だから話す言葉の一つ一つが重たいのですが、本郷さんはバンバン言ってしまいます。おなじダンドリ大好き人間であっても、そこが大きく違うわけですよね。

 画像は皮肉によるギャグ。こういうことは、ゴローちゃんには言えませんよね。この漫画が連載されているのが『食漫』というグルメ漫画専門誌なのですから。グルメ? といっていいのか謎ですが、B級グルメというのもありますから、まあそれで我慢していただいて。


 一人で外食というのは、いろいろと思いばかり先走るものです。それを切り取って作品に仕上げる久住先生の仕事はさすがだなあ、と感心しきり。

 逆にいうと普段の生活ブログを公開できるひとにとっては可能性を広げられ、こういう分野は将来インターネットに主軸を移すのではないかとも思いました。


祐天寺食い

 そういうのもあるのか!

2008-08-27

[][][]中華の伝統おそるべし~~南條武則『中華文人食物語』集英社新書 19:03 はてなブックマーク - 中華の伝統おそるべし~~南條武則『中華文人食物語』集英社新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 魯山人は和食を褒めますが、それは時代の制約と、あと「慣れ」の部分が多いのではないかと私は考えています。日本の食材であれば、和食の技法がすぐれているのでしょう。

 「母なる味覚」の呪縛から自由になることは簡単ではありませんが、解放に必要なのは自分の「うまい、まずい」を素直に口に出すこと。技術だの食材だの、ナショナリズムだのは後でいい。

中華文人食物語 (集英社新書)

中華文人食物語 (集英社新書)

 南條竹則の本作は、書物と現実、過去と現在、日本と中国を自由に往来しながらしたためたエッセイ集。

 惜しむらくは食べた品の値段もほしかったところ。あまりコストパフォーマンスの面に触れないのは文化人ゆえなのかどうか。

 値段を書くと、とたんに作品は時代に「固定」されてしまうという問題がありますが、新書というのはむしろそうした時代の証言という機能も持っていいと思います。