蜀犬 日に吠ゆ

2018-11-03

[][][]テレサ・デヴィッド/岡田好恵 訳『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか』講談社ブルーバックス 16:27 はてなブックマーク - テレサ・デヴィッド/岡田好恵 訳『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか』講談社ブルーバックス - 蜀犬 日に吠ゆ

 環状のプリズムを組み合わせて凸の曲面を造ることで、ランプ(のちにガス灯)の光を一方向に集中させ、巨大灯台の文明を支えたフレネルレンズの物語。

 大航海時代をイギリスが制し、海外植民地を巡ってフランスがそこに争いを挑んだのも、こうした技術の支え、すなわち産業革命の成功があってのことだったという一例。

 アメリカで南北戦争が始まると南部に赴任していた連邦の支局員がすかさず灯台のレンズをはずして持ち去ってしまう話なども愉快でしたね。教科書的には、「南部連合国は、綿花の需要が多いイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国は通商を続行してくれるであろうことを期待していた。しかし、リンカン大統領の奴隷解放宣言などで国際世論は北部に同情したため南部とヨーロッパの通商は滞り、南部の経済は行き詰まった」ような話の流れになるはずですが、実際には、多くの港で灯台が機能を喪失し、危険な港へ近づくこともできない、などという側面もあったのですね。

『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか 時代を超えたフレネルレンズの軌跡』

  • はじめに 3
  • 序章 暗く危険な海に Dark and Deadly Shores 14
    • いかだの上の「地獄の生存競争」
    • 海難事故と灯台
    • 大望を抱いた2人の青年
  • 第1章 それは、一人の男の野望から始まった Dreams of Glory
    • マチュー村の「遊びの天才」
    • いわゆる「オタク
    • 土木技師・フレネルの夢想
    • 光は「粒子」か「波」か
    • 唯一の理解者、現る
    • 暴君ラプラス
    • 師弟の決別
    • 国賊から英雄へ
    • 回折実験の成功
    • すばらしい休暇の使い方
    • チャンス到来
    • 粒子信奉派vs.光波信奉派
    • 信じがたい事実
  • 第2章 「灯台の光」への挑戦 The Flash of Brilliance 60
    • 新生フランス灯台委員会の改革
    • 反射鏡からレンズへ
    • フレネルが発明した特殊なレンズ
    • 製品化が困難を極めた理由
    • 13日の金曜日、決意の公開実験
    • 海のヴェルサイユ宮殿
    • レンズの改良
    • 夜のシャンゼリゼ通りが真昼の明るさに
    • 世界初のフレネルレンズ
  • 第3章 より確かな輝きを求めて The Dream of Total Refraction 117
    • 「灯台マップ」の作成
    • 回転装置の改良
    • 完璧なプリズムを作るには
    • イギリスの灯台事情
    • スコットランドからの注文
    • ライバルの無謀な挑戦
  • 第4章 引き継がれた遺志 Racce to Perfection 117
    • フレネル逝く
    • 亡き兄のために
    • 「もっともすばらしい勝利」
    • フレネルレンズ、ヨーロッパに普及
    • 蒸気機関の登場
    • 熟練職人の競い合い
    • 最後に残った2つの灯台
    • ロンドン万博とパリ万博
    • 嘘をついているのは誰?
      • 灯台守の血
  • 第5章 遅れをとった大国、アメリカ The-American Exception 151
    • 経費削減の鬼
    • 鯨油とアメリカの灯台の運命
    • ルイスが作ったランプ
    • 節約のための愚行
    • ついにアメリカへ上陸
    • エゴイストの嫌がらせ
    • とんでもない代物
    • プレソントンへの逆襲
    • 500ドルで落札された「機械」
    • 変化のきざし
    • 夜8時ちょうどに
    • 合衆国灯台委員会の創設
    • 最高のメンバーが集結
    • 「有用」で「経済的」な光の証明
    • 灯台委員と議員の闘い
    • ”大西洋の墓場”
    • 万博のスター
    • メーカーとの駆け引き
    • 太平洋岸への設置
    • もっとも重要で、もっとも困難な問題
  • 第6章 南北戦争と灯台 Everything Recklessly Broken 222
    • 灯台の明かりが消えた!
    • 発砲準備
    • 戦争が始まる
    • ハッテラス岬灯台、国家の裏切り者
    • とっておきの隠し場所
    • 南北レンズ争奪戦
    • 無法者の一団
    • 西海岸も闇のなか
    • メキシコ湾岸の「アナコンダ作戦」
    • ヘッド・オブ・パッシーズの争い
    • 南軍自爆
    • 戻ってきた光
    • 終戦後に見つかった「お宝」
  • 第7章 黄金時代の到来 The Golden Age 262
    • フランスとイギリスの争い
    • テクノロジーの挑戦
    • 「超輝レンズ」第1号
    • 巨大なレンズを回転させる方法
    • ”黒船”ペリーと日本の灯台
    • ドイツ兵と交わした言葉
    • フレネルが遺したもの
  • 訳者あとがき――日本の灯台の歴史とフレネルレンズ
テレサ・デヴィッド/岡田好恵 訳『灯台の光はなぜ遠くまで届くのか』講談社ブルーバックス

2018-09-20

[][][]すすめ一億火の玉だ、のCD聞いていて 22:34 はてなブックマーク - すすめ一億火の玉だ、のCD聞いていて - 蜀犬 日に吠ゆ

聞き取れない。

行くぞ行こうぞ かつやるぞ

大和魂 伊達じゃない

見たか知ったか底力 こらえこらえた一億の

堪忍袋の緒が切れた

靖国神社のお伝えに 柏手打って額づけば

親子兄弟夫らが 今だ頼むの 声がする

おいらの胸にゃ グッときた

そうだ一億火の玉だ 一人ひとりが決死隊

ガッチリ組んだこの腕で 守る銃後は鉄壁だ

なにがなんでもやりぬくぞ

そうだ一億火の玉だ

一人ひとりが決死隊

ガッチリ組んだこの腕で

守る銃後は鉄壁だ

なにがなんでもやりぬくぞ

(セリフ)

すすめーー! 一億、火の玉だーー!

いくぞー! 一億  どんといくぞー!

 インターネットで検索したら

「行くぞ行こうぞ ぐわんとやるぞ」

「いくぞー! 一億、 どぉんと行くぞー!」

 らしい。

 で、この歌1942年なので、「銃後の暮らしを犠牲にせよ」という意味合いの歌なのかしら?

 今聞くと、その先まで予言した「火の玉」だったわけですが、火の玉ってなんでしょうね。

2018-06-16

[][][]ダンテとパスタとナショナリズム~~池上俊一『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書 19:23 はてなブックマーク - ダンテとパスタとナショナリズム~~池上俊一『パスタでたどるイタリア史』岩波ジュニア新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 19世紀は、「国民国家」成立の時代でした。成立の経緯は、それぞれの国によって異なりますが、結局、ヨーロッパの人々は、「言語、宗教、文化、価値観などを共有できると信じられる人と形成する国家」を選択しました。

 その時、特に重要視されたのは「言語」で、要するに「話せば分かる」相手が仲間、そうでなければ敵、という分断が行われたのです。しかしながら、同じ言語でも方言はあり、異なる言語でも似通っている部分はあります。ヨーロッパは特に。そういう中で、どのように言語は区切られたのでしょうか。

私の理解している一般的な説明(出典なし)としては、

  1. ヨーロッパ全体の傾向として
    1. グーテンベルクの印刷術が広まるにつれて、標準語や正書法が意識されるようになった
  2. イギリス
    1. 「ジョージ王欽定訳聖書」が各家庭に普及し、英語の標準形とみなされるようになった。
  3. フランス
    1. パリの「オウル系フランス語」とプロヴァンスの「オック系フランス語」があったが、アルビジョワ十字軍で南仏の有力者を殲滅したのでパリ方言を強制できた
    2. アカデミー・フランセーズで標準フランス語を定めた。
    3. フランス・ドーデ・ショウ
  4. ドイツ
    1. グリム兄弟が標準ドイツ語の辞典を作成(童話の蒐集はその手段)して「ドイツ民族」意識を高揚した
  5. イタリア
    1. 国民的文学、ダンテの『神曲』がトスカナ地方の方言を標準イタリア語として意識させた
  6. 日本
    1. 二葉亭四迷
    2. NHK

etc.あたりを

が、このまえ読んだ本で、イタリアの話にまたあらたなエピソードが追加されました。

  • 第4章 地方の名物パスタと国家形成
    • リソルジメントへの流れ

ナポリを解放したときガリバルディは「諸君、マッケローニこそ、イタリアを統一するものになるであろう」と高らかに宣言したといいます。

http://katawareboshi01.g.hatena.ne.jp/:=
  • 第4章 地方の名物パスタと国家形成
    • 料理の「平等」とレシピによる「言語教育」

アルトゥージの「改革」は、「食」だけでなく「言語」の改革でもあったと指摘するのは、ピエロ・カンポレージという著名な文化史家です。じつはイタリア統一時に「イタリア語」を話せるのは、二・五%にすぎなかった、という計算があるように、当時はほとんどの人が「方言」を話し、イタリア人同士でもコミュニケーション不能で、まるで外国人と話しているかのようだったのです。

(中略)

 アルトゥージの料理本が生まれたのはまさにこの時期だったのですが、彼はなんと、料理を紹介する中で、ささやかな言語教育を組み込んだのでした。アルトゥージは、トスカーナ語、方言、専門語、卑語、女性言葉などを皆、「イタリア語」に移植して馴化(じゅんか)させる、という道を選び、(統一)イタリア語と地方の方言の橋渡しの役割を果たそうとしたのです。方言によるバラバラな呼称をイタリア語に訳して、料理における言語の合理化、統一化を達成しようとしたのです。

 彼の選んだ共通のイタリア語とは、(半ば)フィレンツェ語、(半ば)ローマ語を基礎にしている、農民たちの麗しい言語でした。アルトゥージは、ある地方の言語によって独占支配されるのではなく、各地方の言語が共存しているような料理の世界、料理の言語空間を好んだのです。

(中略)

 彼はまた、前代に、宮廷に集う貴族や彼らに仕える料理人たちが、フランス由来の新規な用語法を崇めていた傾向を、よしとしませんでした。変なフランス語名やフランス語の翻訳を、なにやらわからない混合語ではなく、家庭料理の用語の「純化」に務め、すべてのイタリア人にたやすく理解できる料理名・素材名を、イタリア各地から探し出してきて、自身の料理書のレシピを書いていったのです。

http://katawareboshi01.g.hatena.ne.jp/:=

 確かに、ダンテ『神曲』を「国民的文学」と読んでもいいのでしょうが、庶民の言葉を劇的に変えたとは思えませんでしたから、産業革命で田舎から都市に集まった人々がレシピ本を求め、その言葉が多様な方言の入り交じる中で共通の言葉となっていったというのは分かりやすい。

2017-10-08

[][]心構え~~藤野彰・曽根康雄(編著)『現代中国を知るための44章』明石書店 20:23 はてなブックマーク - 心構え~~藤野彰・曽根康雄(編著)『現代中国を知るための44章』明石書店 - 蜀犬 日に吠ゆ

転変する現代中国をどうとらえるか――まえがきにかえて

長いこと、ジャーナリストとして中国問題を取材、研究してきたとはいえ、ほとんど初めて中国について、ある種の先入観やバイアスを抱きつつ学び始める学生たちに、どのようにこの複雑怪奇な大国を理解してもらうかは結構難儀な仕事だ。そこで、毎年、開講時には「現代中国を見る心構え」と題して、まず以下の10ヵ条を説くことにしている。

  1. 中国は一つの国であるが、一つの世界であり、日本とはいろいろな意味でスケールが違う。
  2. 日本人の常識を基準として中国を見ない。国が違えば価値観も習慣も異なる。
  3. 世界は時々刻々と変化している。旧来の固定観念で中国を判断しない。
  4. 好き嫌いはともかく、日中は互いに引っ越しできない隣人同士であり、中国は日本の生存と発展にとってきわめて重要なファクターである。
  5. 環境、エネルギー、食糧など、どの問題をとっても、中国の動向は世界に影響を及ぼす。中国問題を考えることは世界の行方を考えることにつながる。
  6. 横軸(空間)と縦軸(歴史)の二つの目で中国をとらえる。近視眼的な目で見てはいけない。
  7. 事実に基づき、できるだけ自分の目で現象を観察し、判断する。メディアや他人の情報、評価にそのまま引きずられない。
  8. 常に「どうしてこうなのか」という疑問を抱き、多様な角度から中国を考察する。
  9. 実際に中国を体験し、イメージと現実の落差を修正する努力を重ねる。
  10. 普通の中国人は何を考えているのかを知る。地域研究とは人間研究である。

 これらのことは、何もえらそうに人に教え諭すといったようなものではなく、私自身が中国問題を報道し、中国について書いたり語ったりするさいに常々自戒してきたことだ。中国を専門分野とするジャーナリスト、研究者といっても、普通の人間である以上、いつも冷静に対象を観察したり分析したりできるわけではなく、ときには主観や感情に足元をすくわれて視点のバランスを失することがある。できるだけ、そういうことにならないよう気をつけなければいけないとの自分に対する警告だ。

藤野彰・曽根康雄(編著)『現代中国を知るための44章』明石書店

 この警告は、常に(中国関係ないときでも)心掛けておくべきでしょうね。

現代中国を知るための44章【第5版】 (エリア・スタディーズ8)

現代中国を知るための44章【第5版】 (エリア・スタディーズ8)

2017-09-04

[][][]スンナ派の四学派について 17:40 はてなブックマーク - スンナ派の四学派について - 蜀犬 日に吠ゆ

 ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派、ハンバル派。

 現在の私の理解。

  • 四学派
    • それぞれがイスラーム各国で共存している。
    • 学派によってシャリーアは異なる。法官はおのれの学派に基づいて判断を下す。
    • コーランに全ての状況が網羅されているわけではないので、ムスリムは常に判断を迫られる。その基準の違いが学派をうみだした。
  • ハナフィー派
    • 地域の慣行や個人的見解(ラーイ)を広く採用し、商業活動による富の獲得にも寛大な理解を示す。
    • セルジューク朝やオスマン朝では積極的に取り入れられた。
  • マーリク派
    • ハディースよりもマディーナの慣行を重視する。
    • 穏健ではあるが、慣行を逸脱した背教者に容赦しない。
  • シャーフィイー派
    • 類推(キヤース)を法源とする理論を確立。
  • ハンバル派
    • ハディースの厳密な解釈、合意(イジュマー)の範囲の限定、イスラーム神秘主義の厳しい批判.
    • マムルーク朝で重要視され、ワッハーブ運動につながる。

 とりあえず、佐藤先生のまとめを読んでおきます。

イスラーム法の形成

 八世紀から九世紀へかけて、法学者たちはクルアーンやハディースを典拠にして、それぞれ独自のイスラーム法(シャリーア)をつくりあげていった。体系化の過程では、クルアーン、スンナ(預言者の言行、つまりハデイィース)、イジュマー(学者たちの合意)を基礎にキヤース(類推)*1も方言として採用されたが、これ以外に各地に固有な慣行(アーダ)も考慮された。これらのいずれを重視するかによって、法解釈の違いが生じ、さまざまな法学派(マズハブ)が誕生することになった。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 各地の慣行もまた重視されるあたりが、イスラームの柔軟さをあらわしていますね。八世紀から九世紀というのはウマイヤ朝(661~750)によるアラブ帝国が領域を拡大*2した時期から、アッバース朝(750~1253)の衰退期。イスラームとは何か(ウマイヤ朝(西カリフ国)やシーア派をどうとらえたらよいのか)が課題として出された時期なのかな、と考えずにはおれません。


イスラーム法の形成

 シャリーアの書には、食生活や沐浴・礼拝・断食などの宗教儀礼、結婚と離婚、葬儀、遺産相続、裁判、刑罰、租税、戦争の問題など、信者の生活に関わる事柄全般があつかわれている。したがってシャリーアは、信者に生活の指針を示す倫理の書であると同時に、裁判官(カーディー)が拠り所とする実定法としての性格も備えていたといえよう。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社
イスラーム法の形成

 大事なことは、一つの国家に一つのシャリーアが適用されたのではなく、一つの国家には複数のシャリーアが存在していたことである。裁判は、被告が属する法学派の法規定に従って執行されるのが原則であった。イスラーム世界では、どの国家でも単一のシャリーアが施行されたかのように思われがちであるが、各学派はそれぞれ独自の法体系をもち、個々の法が社会の中で実際に用いられていたことに注目すべきである。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 葦の髄から作り上げた常識が吹っ飛ぶ。裁判官(カーディー)は、四法学派をそろえていて、自分で選べるのでしょうか? もしくは裁判官(カーディー)がそれぞれの学説に通暁していて被告の立場によって判断を変えると言うことなのでしょうか。

 前者であるとすれば、被告人は自分に都合の悪い判決には論争を挑むことができるはず、です。四学派以外で異端でない学派では無誤謬であると言い張ったらどうするのでしょう。

 後者のような法学者は、以下に示すようにあり得ません。いずれかの学派で徹底しなければイスラーム法学を修めることはできないのですから。

 いったい、イスラームの国家と法制はどのようになっているのか。学んだつもりが謎が増えるばかりです。

 つづいて、谷口先生の解説

宗派の形成と学問修得方法の定式化

 九世紀前半の異端審問をともなった論争の末に、ムスリムの多数派の間では伝統主義的な考え方が優勢となった。この流れを受けて、続く十・十一世紀には伝統主義的な立場から神学や法学などの分野で学説が整えられて

いった。他方、シーア派においても十・十一世紀は、基本的な教義が成立していった時期である。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社
宗派の形成と学問修得方法の定式化

(前略)シーア派の活動に対抗するなかで、これらの分派活動に与しなかった人びとは、伝統主義の延長線上に独自の教義を発展させていった。十一世紀以降、神学ではアシュアリー学派とマートゥリーディー学派*3が主流派の位置を占めるようになった。方角においては、シャーフィイー学派、ハナフィー学派、ハンバル学派、マーリク学派の四大法学派が成立していった。こうして、分派に属さない多数派は、独自の教義体系を持つスンナ派という宗派を形づくるようになったのである。このように、イスラームの歴史においては、主流派が形成されてから分派が分かれていったのではなく、まず分派が形成され、そのあとに多数派が宗派と呼べる実態を獲得していったわけである。


 かくして、十世紀から十一世紀にかけて、現在にいたるイスラームの宗派の基本的な枠組みとそれぞれの基礎となる教義が成立していった。言い換えれば各宗派の学問体系が整ってきたということであり、それはさらに学問方法の定式化を招いたと考えられる。このことを間接的に示すのが、この時期以降目立つようになる学問方法を論じた著作物である。このような著作はスンナ派だけでなくシーア派の学者によっても著されており、しかもその内容には共通する点が多い。彼らが学問の方法としてとくに重視しているのは、読誦すること、暗記すること、師につくことの三点である。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社

 まとめますと、「神学と法学は区別される」ということ。「法学派とは、学問体系を異にする」ということ。えーと、四法学派とは、文学と数学や、舎密学と民俗学のように異なっているのでしょうかね。

 「読誦すること、暗記すること、師につくことの三点である。」はなんかかっこいいですが、日本の葬式仏教もそんな感じと言えばそんな感じですよね。

イスラーム法の形成

 ここでは、法学派誕生のようすとそれぞれの派の特徴をまとめてみよう。まずハナフィー派について。この学派の祖となったアブー・ハニーファ(六九九頃~七六七)は、イラク中部のクーファで法学や神学を学び、この州都における法学の第一人者とみなされるようになった。ハナフィー派は他の学派より地域の慣行や個人的見解(ラーイ)を広く採用し、商業活動による富の獲得にも寛大な理解を示した。トルコ人のセルジューク朝(一〇三八~一一九四年)やオスマン朝は、このハナフィー派を積極的に支持したことで知られる。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 699~767でイラクに住んでいると、まさにウマイヤ→アッバースの易姓革命(クライシュ族内のウマイヤ家→ハーシム家アッバス)を目の当たりにし、シリアのダマスカスからバグダードへの遷都を経験した人ですねえ。地域の慣行(アーダ)の重視は、シーア派やマワーリー(周辺民の改宗者)の協力で革命を成したアッバース朝にも都合がよかったのでしょうね。


イスラーム法の形成

 マディーナのマーリク・ブン・アナス(七〇九頃~七九五)は、ハディースに依拠するよりは、マディーナ社会の慣行こそそこの人々の個人的な意見を重視して、マーリク派法学の体系化を推し進めた。その規定自体は概して穏健であったが、慣行から逸脱する過激派には厳しく、またイスラームを捨てた背教者は死に値するとみなしたという。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 穏健と言いますが、マディーナ(メディナ、ヤスリブ)の慣行というのはムハンマド以前(無明時代、ジャーリヒーヤ)を含む「アラブ主義」なのではないでしょうかね。同じようにアッバス朝の易姓革命(750)に立ち会って、アラブ帝国からイスラム帝国への変容に異議を唱える学派なのかもしれませんよ。これは。ただ、背教者って誰でしょう。ここまでイスラムイスラムしているところで、マディーナあたりで背教する人がまだいたのかしらん。

 谷口先生が解説してました。

ハディース学と法学の発展

 アッバース革命は、一部のシーア派勢力と提携し、「ムハンマド家による支配」の実現を旗印に支持を集め、七四九年ウマイヤ朝から政権を奪取することに成功した。しかい、権力を握った一族がシーア派の痛いしたムハンマドの子孫ではなく、ムハンマドの叔父アッバースの末裔であったことから、シーア派の諸勢力はアッバース朝政権の正統性に疑問を投げかけた。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社
ハディース学と法学のはじまり

 このような状況のなかから、八世紀前半には地域ごとに法学についての一定の合意が形成されてきた。これを初期法学派あるいは前法学派などと呼ぶ。代表的な学派としては、ヒジャーズ学派とイラク学派が知られている。マッカ(メッカ)・マディーナ(メディナ)両聖地を擁するヒジャーズ地方では、預言者や教友のスンナなど伝統的な慣習を拠り所として重視する学風が主流であった。一方、征服活動によってイスラームに組み込まれたイラクは自然環境の面でも社会や文化の面においても、ヒジャーズとは非常に異なった地域であった。従ってこの地では、クルアーンや預言者のスンナだけでなく現地の慣習も重視しながら、学者個人の見解による推論を積極的に取り入れる立場が優勢となっていった。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社

 イラクは、もともとササン朝ペルシアですからねえ。アラブの常識だ!で論破は難しかったのでしょう。

 はい次

イスラーム法の形成

 エジプトのフスタートに居を定めたシャーフィイー(七六七~八二〇)は、アブー・ハニーファやマーリクが採用する「個人的な意見」を恣意的であるとして退け、独自の法学書『母の書』(キターブ・アルウンム)を著した。彼のもとには厳密な類推(キヤース)の方法を確立した新法源論に共鳴する弟子たちが集まり、やがて法学派としてのシャーフィイー派が成立する。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 少し遅れて、革命を知らない子供たちの世代。

 折衷案かしら。各地の慣行(アーダ)を法学者の類推(キヤース)で判断してもいいけど、それには一定の手続きが必要。

イスラーム法の形成

 ハンバル派の祖となったイブン・ハンバル(七八〇~八五五)は、「創造されたクルアーン」説を唱えるムータズィラ派神学を断固否定したために、二年間におよぶ投獄生活をよぎなくされた。ハンバル派の特徴は、ハディースの厳密な解釈、合意(イジュマー)の範囲の限定、イスラーム神秘主義の厳しい批判などにある。この思想は、マムルーク朝時代のイブン・タイミーヤ(一二六三~一三二八)をへて、原始イスラームへの回帰を説いたムハンマド・ブン・アブド・アル・ワッハーブへと継承されていく。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社
イスラーム法の形成

 スンナ派の法学派はこれ以外にいくつも結成されたが、主要なものは以上の四学派である。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 あと、神学と歴史学(ハディース学)についても両書に記述がありますが、あとで読む。


イスラーム―知の営み (イスラームを知る)

イスラーム―知の営み (イスラームを知る)

*1:法学者の個人的な見解ではなく、クルアーン、スンナ、イジュマーのいずれかにもとづく厳密な類推をキヤースという。シャーフィイーによって、その方法が確立された。

*2:フランク王国に侵攻したトゥール・ポワティエが732年

*3:9・10世紀に中央アジアのサマルカンドで活動したマートゥリーディーに始まるスンナ派神学の一派。セルジューク朝の勢力拡大とともに西方へ伝播した。

2017-06-10

[][][]家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書 15:50 はてなブックマーク - 家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ユースフ・アッラワーティー・アッタンジーによる『Tuhfat al-Nussar fi Ghara'ib al-Amsar wa 'Aja'ib al-Asfar(諸都市の新規さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物)』、あるいは『Rihlat Ibn Battuta(イブン・バットゥータの旅(リフラ)』、普通はイブン=バットゥータの『三大陸周遊記(大旅行記)』で知られる書物を、日本語訳した筆者自らが解説。

 本編『大旅行記』は平凡社の東洋文庫で全8巻なので、とても読めないとして、まあ新書でお手軽にその旅行をなぞってみようという本であります。

 冒頭から、ウォーラーステインが提唱した「近代世界システム」と、そこから始まる論議の一つとしてアブー・ルゴドが打ち出した「前期的世界システム」の話で、懐かしい。私もてっきりウォーラステインにハマった口でして、ただこれを考察するには、学際領域の広範な知識と、各文化文明圏における多様な政治経済システムへの理解がなければ成らないため、挫折したのです。

 名著、臼井隆一郎『コーヒーが廻り、世界史が廻る』中公新書は、それをテーマ史としてわかりやすく落とし込んだ作品で、その後たくさん登場した「モノの世界史」の視点を切り開きました。それを方法論の本として読み取れなかった不明の日々よ。

閑話休題。その内容について、目次を引用。

『イブン・バットゥータの世界大旅行』 目次

  • はじめに … 9
  • 序章イ スラームと旅、移動 … 15
    • 1 旅の原点は何か … 16
    • 2 イスラーム教徒にとっての移動観 … 19
      • ヒジュラ/リフラ/ハッジ(メッカ巡礼)
    • 3 出会いの接点としてのイスラーム都市 … 33
  • 第一章 拡大する一三・一四世紀のイスラーム世界 … 39
    • 1 「前期的世界システム」の形成 … 40
      • 八つのサブ・システム/イスラーム世界と「パクス・モンゴリカ」の統合
    • 2 モンゴルの衝撃(インパクト)とディアスポラ(人間拡散) … 48
      • モンゴルの衝撃(インパクト)/人の移動と地域再編
    • 3 マムルーク朝経済圏の拡大 … 53
      • マムルーク朝の成立/国際間に生きるカーリミー商人
    • 4 つなぎの場としての海域世界――インド洋と地中海 … 63
      • インド洋海域世界/地中海世界
  • 第二章 『大旅行記』という書物 … 71
    • 1 巡礼紀行文学の発達 … 72
      • メッカ巡礼書について/イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータの関連
    • 2 『大旅行記』の成立 … 79
      • イブン・バットゥータの生い立ちと生涯/晩年のイブン・バットゥータ
      • 『大旅行記』の編纂/編纂者イブン・ジュザイイについて
    • 3 写本と校訂本 … 94
      • 『大旅行記』の構成/『大旅行記』の研究
  • 第三章 イブン・バットゥータの旅(1)――タンジールからメッカまで … 103
    • 1 故郷タンジールを門出 … 104
      • ふるさとの町タンジール/マグリブ巡礼隊に参加/旅仲間との結婚、そして離婚
    • 2 マムルーク朝統治下のエジプトとシリア … 114
      • 将来の旅を予見する不思議な聖者との出会い/沙漠を貫く緑のベルト、ナイル川の旅
      • パレスティナ海岸の諸都市を経てダマスク明日へ/シリア巡礼道を通過してメディナへ
    • 3 最初のメッカ巡礼 … 128
      • メッカ到着の歓び/四回にわたるメッカ訪問
  • 第四章 イブン・バットゥータの旅(2)――中東世界からキプチャク大草原へ … 133
    • 1 イラクとイランの旅 … 134
      • アラビア半島縦断の旅/イラクのシーア派聖地/船でサワード地方を行く
      • イラン高原の旅/イル・ハーン朝下のイラク地方
    • 2 紅海からアラビア海へ … 148
      • 紅海を南下して/スワヒリ文化圏の形成/乳香木の茂る南アラビア
    • 3 トルコ・アナトリアと黒海沿岸 … 166
      • インドまでの大迂回ルートを探って/アナトリアの群小イスラーム侯国
      • 黒海を越えてクリミア半島へ/キプチャク・ハーン国とブルガールの旅
      • ビザンティン皇女とともにコンスタンティノープルへ

  • 第五章 イブン・バットゥータの旅(3)――中央アジアとインド … 181
    • 1 ヒンドゥー・クシュを越えてインドへ … 182
      • アジアの心臓部を行く/雪深いヒンドゥー・クシュを越えてインダス河畔に
      • インダス川流域の旅/デリー滞在の八年
    • 2 インドの南西海岸に沿って … 190
      • デリーを離れる/最大の危機に遭遇/海上交易で栄えるマラバール海岸
      • カーリクート港での惨劇
    • 3 南海の女王国を訪ねて … 201
      • 環礁の連なる島じま/群島の支配をめぐる抗争
    • 4 スリランカ、南インドを経てベンガルへ … 206
      • 宝石の国スリランカ/マァバル地方のマドゥライ・イスラーム王国を訪ねて
      • 黄金の三角地帯ベンガル
  • 第六章 イブン・バットゥータの旅(4)――東南アジアと中国 … 219
    • 1 ジャンクに乗って中国へ … 220
      • アンダマン海を行く/マラッカ海峡を制したスムトラ・パサイ王国
      • 南シナ海を北上し、一路泉州へ
    • 2 元朝支配下の中国 … 228
      • 泉州に上陸/運河を通ってハーン・バリークへ
    • 3 故郷モロッコへの帰還のたび … 234
      • 巨鳥ルフとの遭遇/インド洋横断の航海/四度目のメッカ巡礼の旅
      • 帰国を決意して地中海を渡る
  • 第七章 イブン・バットゥータの旅(5)――アンダルスとブラック・アフリカ … 245
    • 1 アンダルスの栄華 … 246
      • ジブラルタル海峡を渡る
    • 2 サハラ砂漠を越えてブラック・アフリカへ … 252
      • ブラック・アフリカ旅行の目的は何か/首都ファースを経てサハラ砂漠に踏み入る
      • マーッリーの王都はどこか/ニジェールの川旅
      • タッシリ・ナッジェールの高地を越える/ファース帰還
  • 結び イブン・バットゥータの旅の虚像と実像 … 271
      • 『大旅行記』の信憑性をめぐる議論/イブン・バットゥータの見た世界像
      • 旅の本来の目的は何か
  • あとがき … 285
  • イブン・バットゥータの旅の年譜 … 289
  • 参考文献 … 293
家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書

 と、読んでいて、晩年のイブン・バットゥータがサハラ縦断するくだり。地図の中に、

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 14世紀なのに、「カカオ」って書いてあるー!*1

 本文にはカカオのことなどまったく出てきませんから、これは編集スタッフが用意した地図が19世紀以降のものだったのでしょう。ちょっとびっくりして「ヨーロッパに伝わってなかっただけで、イスラム圏ではもはや?」とかググってしまいました。

*1:カカオ豆、およびチョコレート・ココアは侵略者コルテスが新大陸アステカから持ち帰った