蜀犬 日に吠ゆ

2010-09-05

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その11) 15:46 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

またまちがえて消してしまった。

梁惠王章句上 凡七章

 

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

2010-09-01

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その10) 20:44 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

木に縁りて魚を求む

梁惠王章句上 凡七章

抑王與甲兵、危士臣、搆怨於諸侯、然後快於心與、王曰、否、吾何快於是、將以求吾所大欲也、曰、王之所大欲、可得聞與、王笑而不言、曰、爲肥甘不足於口與、輕煖不足於體與、抑爲采色不足視於目與、聲音不足聽於耳與、便嬖不足使令於前與、王之諸臣、皆足以供之、而王豈爲是哉、曰、否、吾不爲是也、曰、然則王之所大欲可知已、欲辟土地、朝秦楚、莅中國、而撫四夷也、以若所爲、求若所欲、猶緣木而求魚也、王曰、若是其甚與、曰、殆有甚焉、緣木求魚、雖不得魚、無後災、以若所爲、求若所欲、盡心力而爲之、後必有災、曰、可得聞與、曰、鄒人與楚人戰、則王以爲孰勝、曰、楚人勝、曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊、海内之地、方千里者九、齊集有其一、以一服八、何以異於鄒敵楚哉、蓋亦反其本矣、今王發政施仁、使天下仕者、皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者、皆欲赴愬於王、其若是、孰能禦之、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 抑も王は甲兵を興し、士臣を危くし、怨を諸侯に搆(むす、結)びて然して後心に快きか。王曰く、否、吾何ぞ是に快からん、将に以て吾が大いに欲する所を求めんとすればなり。曰く、王の大いに欲する所、聞くことを得べきか。王笑いて言わず。曰く、肥甘の口に足らざるが為か。軽煖の体に足らざるか。抑(あるい、或)は采色の目に視るに足らざるが為か。声音の耳に聴くに足らざるか。便嬖の前に使令せしむるに足らざるか。王の諸臣、皆以て之を供するに足れり。而ち王豈是れが為にせんや。曰く、否、吾是れが為にせざるなり。曰く、然らば則ち王の大いに欲する所を知るべきのみ。土地を辟(ひら、闢)き、秦・楚を朝せしめ、中国に莅(のぞ)みて、四夷を撫(やす、安)んぜんと欲するなり。若(かくのごと、如此)き為す所を以て、若き欲する所を求むるは、猶木に縁りて魚を求むるがごとし。王曰く、是の如く其れ甚しきか。曰く、殆んど有(また、又)焉(これ)より甚し。木に縁りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も、後の災無し。若き為す所を以て、若き欲する所を求むるは、心力を尽して之を為して、後必ず災有り。曰く、聞くことを得べきか。曰く、鄒人と楚人と戦わば、則ち王以て孰れか勝つと為さんか。曰く、楚人こそ勝たん。曰く、然らば則ち小はは固より以て大に敵すべからず。海内の地、方千里なる者九。斉は集(ただ、惟)其の一を有(たも)つ。一を以て八を服せんとするは、何を以てか鄒の楚に敵せんとするに異ならんや。蓋亦(なん)ぞ其の本に反らざる。今、王政を発(おこ、興)して仁を施さば、天下の仕うる者をして、皆王の朝に立たんと欲せしめ、耕す者をして皆王の野に耕さんと欲せしめ、商賈(あきうど)をして皆王の市に蔵(おさ)めんと欲せしめ、行旅(たびびと)をして皆王の塗に出でんと欲せしめ、天下の其の君を疾(にく)む者をして、皆王に赴(つ)げ愬(うった)えんと欲せしめん。其(も、若)し是の如くんば、孰か能く之を禦(とど)めん。


 いったい、王様は戦争をひき起したり、家来を危険な目にあわせたり、諸侯に怨みの種子をまくようなことをなされて、それでお心は愉快でございますか。」王はこたえられた。「いや、自分だとて、どうして愉快なものか。ただ、わしには大望があるからだ。」孟子はいわれた。「王様のおっしゃる大望とやらを、ひとつお聞きしたいものですが。」王は(さすがにきまりが悪いのか)、笑っているばかりで答えない。そこで孟子がたずねられた。「では、伺いますが、お召上がりになる美肉や珍味がお口にまだたりないために(に、戦争によって得ようとなさるの)でしょうか。軽くて暖かい衣裳がお召しになるのにまだたりないためでしょうか。それとも、美しい色とりどりの装飾品が目にまだ見たりないためでしょうか。美しい歌舞・音楽がお耳にまだ聴きたりないためでしょうか。お気に入りの近臣が御用を足すのにまだたりないためでしょうか。しかし、そんなことなら、ご家来衆が十分に気をつけてお望みのままの筈。してみれば、どうしてもそんなことのためにではありますまい……。」王がいわれた。「もちろん、そんなことのためにではない。」孟子はそこでいわれた。「それなら、王様の大望とやらは(おっしゃらなくとも)、よく分っております。領地を広め、秦や楚の強国をも来朝させ、身は中国に君臨して、四方の蛮族まで懐柔なさろうとのお考えでありましょう。しかし、今までのようななされ方で、このような大望を遂げようとなさるのは、まるで木によじ登って魚をとるようなものです。」王は(意外に思い)驚いていわれた。「そんなに無理なことだろうか。」孟子はこたえられた。「いや、それよりももっと無理でしょう。木によじ登って魚をとろうとするのは、とても魚はとれないというまでのこと。別にのちのちの災難を招きはしませんが、しかし今までのようななされ方で(やたらに戦争をひきおこしたりして)大望を遂げようとなさるのは、いくら全力をだしつくしてもできないばかりではなく、のちのち必ずや(諸侯に怨まれて)大きな災難をうけましょう。」王はいわれた。「そこのところを、もっときかせてはもらいまいか。」孟子はこたえられた。「では今、鄒と楚が戦ったとしたら、王様はどちらが勝つとおぼしめされますか。」王はいわれた。「それは、もちろん楚が勝つにきまっている。」すると孟子はいわれた。「そのとおり。(分りきったことで、)小は大にかないません。寡は衆にはかないません。弱は強にはかないません。今、天下には千里四方の大国が九つあります。お国はたったその一つでしかありません。たった一つで八つ(の大国)を征服しようとなさるのは、鄒が楚を相手に戦争するのと、なんの違いがありましょう。(天下の王者になろうとおぼしめすなら、そんな大それた戦争などをなさるよりも)、なぜ、政治の根本に立ちかえって王道を行わないのですか。今、もし王様が政治を振るいおこし、仁政を施かれたなら、天下の役人はみな王様の朝廷に仕えたいとのぞみ、農夫はみな王様の田畑で耕したい、また商人はみな王様の市場に商品を蔵敷きし(て商売をし)たいと願って移ってくることでしょう。旅人はみな王様のご領内を通行したがるようになり、かねてから自分の国の君主を快く思わぬものは、みな王様のもとへきて、うったえ相談したがるようになりましょう。もしこのようになったら、誰がいったいそれをとまることができましょうぞ。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

2010-08-31

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その9) 20:17 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

是れ為さざるなり。能わざるに非ざるなり

梁惠王章句上 凡七章

曰、不爲者與不能者之形、何以異、曰、挾大山以超北海、語人曰我不能、是誠不能也、爲長者折枝、語人曰我不能、是不爲也、非不能也、故王之不王、非挾大山以超北海之類也、王之不王、是折枝之類也、老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌、詩云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦、言擧斯心、加諸彼而已、故推恩足以保四海、不推恩無以保妻子、古之人所以大過人者無也焉、善推其爲而已矣、今恩以及ぶ禽獸、而功不至於百姓者、獨何與、權然後知輕重、度然後知長短、物皆然、心爲甚、王請度之、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 曰く、為さざると、能わざるとの形は、何以(いか、何如)に異なるや。曰く、大山(泰山)を挾(わきばさ)みて以て北海(渤海)を超えんこと、人に語げて吾能わずと曰う。是れ誠に能わざるなり。長者(めうえ)の為に枝(てあし、肢)を折(ま)げんこと、人に語げて我能わずと曰う。是れ為さざるなり。能わざるに非ざるなり。故に王の王たらざるは、大山を挾みて以て北海を超ゆるの類にあらざるなり、王の王たらざるは、是れ枝を折ぐるの類なり。吾が老を老として、以て人(たにん)の老に及ぼし、吾が幼を幼として、以て人の幼に及ぼさば、天下は掌に運(めぐ)らすべし。詩に云く、寡妻を刑(ただ、正)し、兄弟に至(およ、及)ぼし、以て家邦(国家)を御(おさ、治)むと。斯心を挙げて諸を彼に加うるを言うのみ。故に恩を推(おしおよ)ぼせば、以て四海を保んずるに足り、恩を推ぼさざれば、以て妻子を保んずる無し。古の人大いに(今の)人に過ぎたる所以の者は、他無し。善く其の為す所を推ぼせるのみ。今恩は以て禽獣に及ぶに足れども、功は百姓に至らざるは、独に何ぞや。権(はかりにてはか)りて後に軽重を知り、度(ものさしてはか)りて後に長短を知る。物皆然り。心を甚だしと為す。王請う之を度れ。


 おうがたずねられた。「しないのと、できないのとでは、具体的にはどうちがうのだろう。」孟子はこたえられた。「たとえて申せば、泰山を小脇にかかえて渤海をとびこえることは、自分にはとてもできないと人にいうのは、これこそ本当にできないのです。目上の人に腰をまげてお辞儀をすることは、(礼儀でもあり、たやすいことでもあるのに)自分にはとてもできないと人にいうのは、これはできないのではなくて、しないのです。ですから、王様が(仁政を施かれて)王者となられないのは、泰山を小脇にかかえて渤海をとびこえようとするたぐいではなくて、目上の人に腰をまげてお辞儀をする方のたぐいなのです。(これはできないのではなくて、しようと思えばすぐにもできることなのです。)(それにはまず)自分の父母を尊敬するのと同じ心で他人の父母も尊敬し、自分の師弟を可愛がるのと同じ心で他人の師弟も可愛がる。さすれば、広い天下もちょうど手のひらに物でものせてころがすように、思うがままに治めていけるものです。詩経に(文王の徳をほめたたえて)『まず夫人をみちびき正しくし、ひいては兄弟を、(さらには民草を)、そして国家をば安らかに』とありますが、つまり、これは身近なものに対するその心を、そのまま他人にも移せといったまでのことです。だから、このなさけ心をおし広めなければ、身近な自分の妻子でさえも治めてはゆけません。もしも(反対に)この心をおし広めなければ、身近な自分の妻子でさえも治めてはゆけません。むかしの聖人が今の人にすぐれて偉大だったのは、他でもありません。ただ、よくこの心をおし広めたからなのです。今、王様のなさけ心がとり・けものにまでも及んでいながら、そのご実績がサッパリ肝心の人民には及んでいないのは、これはいったい、どういうわけでしょう。秤りにかけてみなければ、物の重い軽いは分りませんし、物差ではかってみなければ、物の長い短いは分りません。すべていっさいの物はみなそうなのです。その中でも、人間の心の中こそ、このはかるということが特に必要なのですが、(物をはかるのとはちがって)最もはかりにくい難しいものです。王様も、どうかよくご自分でご自分の心をはかってみてください。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 「道徳探偵」孟子の分析。人は身近に経験したことに関して感想を述べたり、決断を迫られたことに対して決断をしたりすることは出来ます。しかし、為政者がそれではいけない、ということです。

 目の前の牛を救うことは権力者にとっては簡単で、見たことのない羊や、国内の困窮民を救うことは、思い浮かべることすら困難なこと。知らない人には冷酷になれるというのは、庶民には許されても国を預かる責任者としては不適格と言わざるをえません。

2010-08-30

ヒグラシ

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その8) 20:09 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

是の心以て王たるに足れり

梁惠王章句上 凡七章

曰、無傷也、是乃仁術也、見牛未見羊也、君子之於禽獸也、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也、王説曰、詩云、他人有心、予忖度之、夫子之謂也夫、我乃行之、反而求之、不得吾心、夫子言之、於我心有戚戚焉、此心之所以合於王者何也、曰、有復於王者曰、吾力足以擧百鈞、而不足以擧一羽、明足以察秋豪之末、而不見輿薪、則王許之乎、曰、否、今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與、然則一羽之不擧、爲不用力焉、輿薪之不見、爲不用明焉、百姓之不見保、爲不用恩焉、故王之不王、不爲也、非不能也、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 曰く、傷(いた)むこと無かれ。是れ乃ち仁術なり。牛を見て未だ羊を見ざりしなり。君子の禽獣に於けるや、その生けるを見ては、その死するを見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食うに忍びず。是の以(ゆえ)に君子は庖廚を遠ざくるなり。王説(よろこ、悦)びて曰く、詩に、他人心有りて、予之を忖度(はか)ると云えるは、夫子の謂いなるかな。我乃ち之を行ない、反(かえり、省)みて之を求むれども、吾が心に得ず。夫子之を言いて我が心に於て戚戚焉(おもいあたるもの)有り。此の心の王たるに合(た、足)る所以の者は、何ぞや。曰く、王に復(もう、白)す者有りて、吾が力は以て百鈞を挙ぐるに足るも、以て一羽を挙ぐるに足らず。明は以て秋毫の末を察るに足るも、輿薪を見ずと曰わば、則ち王之を許さんか。曰く、否。今恩は以て禽獣に及ぶに足るも、功の百姓に至らざるは、独(まさ)に何ぞや。然らば則ち一羽の挙がらざるは、力を用いざるが為なり。輿薪の見えざるは、明を用いざるが為なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用いざるが為なり。故に王の王たらざるは、為さざるなり。能わざるに非ざるなり。


 すると孟子がいわれた。「人民たちがかれこれ申しても、決してお気にかけなさいますな。これこそ尊い仁術(仁への源)と申すもの。牛はご覧になったが、羊はまだご覧にならなかったからです。鳥でも獣でも、その生きてるのを見ていては、殺されるのはとても見てはおれないし、(殺されるときの哀しげな)鳴き声を聞いては、どてもその肉を食べる気にはなれないものです。これが人間の心情です。だから、君子は調理場の近くを自分の居間とはしないのです。」王は(これを聞いて)たいへん悦んでいわれた。「詩経に『人の心をば、われよくおしはかる』とあるが、正(まさ)しく先生のことをいったようなものだ。自分でしたことだが、なぜ、ああした(羊にかえさせた)のか、考えてもサッパリ分らなかった。それが、先生のことばを聞くとひしひしと自分の心に思い当たるのです。しかし、この心があれば十分王者となれるというのは、なぜだろう。」孟子はいわれた。「では、申しあげましょう。ここに誰かが王様に、『自分は力があるから、三千斤もある重いものでも持ちあげられるのだが、一枚の羽はどうも持ちあげられない。自分は目敏いから、秋に生えかわる細い毛の先でも見分けられるのだが、車いっぱいに積んだ薪はいっこうに見えない』と申しあげたら、王様は、『なるほど、尤もだ』と信じられますか。」王がいわれた。「なんで、そんな(馬鹿げた)ことが信じられるものか。」(孟子がそこでいわれた。)「それなら、申しあげますが、いま王様のおなさけはとりやけものにまでも及んでいるほどなのに、肝心の人民にはサッパリそのご実績が及んでいないのは、これはいったいどういうわけでしょう。一枚の羽が持ちあげられないというのは、力をだそうとしないからです。車いっぱいに積んだ薪が見えないというのは、見ようとしないからです。しも人民の生活が安定しないのは、おなさけをかけようとなさらぬからです。ですから、王様が(仁政を施かれて)王者となられないのは、なろうとなさらぬからであって、できないのではありません。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 「鳥でも獣でも、その生きてるのを」あたりは、文章軽めですね。

 「しも人民の生活が安定しないのは」は、「しもじもの人民」あたりの意味でしょうか。あー、文化の罪人岩波文庫なんだし贅沢いっちゃいけない(なんつっても安いし)のかもしれませんが、『論語』にくらべてしまうと、小林先生の『孟子』はちょっとアレだなあ。通読していただけの頃はあんまり気にせず読みとばしていた私が悪いんでしょうけれども。

孟子〈上〉 (岩波文庫)

孟子〈上〉 (岩波文庫)

2010-08-29

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その7) 14:57 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その7) - 蜀犬 日に吠ゆ

是の心以て王たるに足れり

 第七章は長いので、文庫本でもいくつかに分節しています。

梁惠王章句上 凡七章

齊宣王問曰、齊桓晉文之事、可得聞乎、孟子對曰、仲尼之徒、無道桓文之事者、是以後世無傳焉、臣未之聞也、無以則王乎、曰、徳何如則可以王矣、曰、保民而王、莫之能禦也、曰、若寡人者、可以保民乎哉、曰、可、曰、何由知吾可也、曰、臣聞之胡齕、曰、王坐於堂上、有牽牛而過堂下者、王見之曰、牛何之、對曰、將以釁鍾、王曰、舎之、吾不忍其觳觫若無罪而就死地、對曰、然則廢釁鍾與、曰、何可廢也、以羊易之、不識有諸、曰、有之、曰、是心足以王矣、百姓皆以王爲愛也、臣固知王之不忍也、王曰、然、誠有百姓者、齊國雖褊小、吾何愛一牛、卽不忍其觳觫若無罪而就死地、故以羊易之也、曰、王無異於百姓之以王爲愛也、以小易大、彼惡知之、王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉、王笑曰、是誠何心哉、我非愛其財、而易之以羊也、宜乎百姓之謂我愛也、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 斉の宣王問いて曰く、斉桓・晋文の事、聞くことを得べきか。孟子対えて曰く、仲尼の徒、桓・文の事を道う者無し。是の以(ゆえ)に後世伝うる無く、臣未だ之を聞かざるなり。以(や、已)む無くんば則ち王(道を述べん)か。曰く、徳如何なれば、則ち以て王たるべき。曰く、民を保んじて王たらんには、之を能く禦(とど)むる莫きなり。曰く、寡人の如き者も、以て民を保んずべきか。曰く、可なり。曰く、何に由りて吾が可なるを知るか。曰く、臣之を胡齕(ここつ)に聞けり。曰く、王堂上に坐(いま)せるとき、牛を牽きて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、牛何くにか之(ゆ)く。対えて曰く、将に以て鍾(鐘)に釁(ちぬ)らんとす。王曰く、之を舎(お)け。吾その觳觫若(こくそくじょ)として罪無くして死地に就くに忍びざるなり。対えて曰く、然らば則ち鍾に釁ることを廃めんか。曰く、何ぞ廃むべけんや。羊を以て之に易えよと。知らず諸有りや。曰く、これ有り。曰く、是の心以て王たるに足れり。百姓は皆王を以て愛(お、惜)しめりと為すも、臣は固より王の忍びざりしを知るなり。王曰く、然りや。誠に(かかる)百姓もあるか。斉の国褊小(へんしょう)なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛しまんや。即ちその觳觫若として罪なくして死地に就くに忍びず、故に羊を以て之に易えしなり。曰く、王、百姓の王を以て愛しむと為すを異(あや、怪)しむこと無かれ。小を以て大に易えたり。彼悪(いずく)んぞ之を知らん。王もしその罪なくして死地に就くを隠(いた)まば、則ち牛と羊と何ぞ択ばん。王笑いて曰く、是れ誠に何の心ぞや。我その財を愛しみて、之に易うるに羊を以てせるに非ざりしも、宜(うべ)なるかな、百姓の我を愛しむと謂える。


 斉の宣王がたずねられた。「斉の桓公と晋の文公の事蹟について、ひとつお話しを承ることはできぬものだろうか。」孟子はお答えしていわれた。「孔子の流れをくむ者は、誰ひとりとして、桓公や文公のことを口にするものではありません。だから、なんの言い伝えもなく、私も彼らのことはなにも知りません。(それでも)是非にとおっしゃるなら、天下の王者となる道についてお話し申しあげましょう。」王がいわれた。「どんな徳があれば、王者となれるのだろうか。」孟子はこたえられた。「別に格別の徳とてはいりません。ただ仁政を行って人民の生活を安定すれば、王者となれます。これを、なんぴととても妨害はできません。」王がいわれた。「わしのようなものでも人民の生活の安定ができようか。」孟子はこたえられた。「勿論、できますとも。」王がいわれた。「どうしてそれが分るのじゃ。」孟子はこたえられた。「私はご家来の胡齕君から、こんな話を聞きました。王様がいつぞや御殿におられたとき、牛をひいて御殿の下を通るものがあった。王様はそれをご覧になって『その牛はどこへつれていくのじゃ』とおたずねになると、その男から『こんど新しく鐘をつくったので、この牛を殺してその血を鐘に塗り、お祭りをするのです』ときかれて、『止めてくれ。道理で牛は物こそ言わぬが、罪もないのに刑場へ曳かれてゆくかのようにオドオドと恐れている。可哀想だ、助けてやれ』とおっしゃったでしょう。『それでは、鐘に血を塗るお祭りはやめにしましょうか』とその男が申しあげると、『なんで(大切な)祭がやめられようぞ。牛の代わりに羊にしたらよかろう』とおっしゃられたとか。ほんとうにそんなことがあったのですか。」王がいわれた。「そうそう、そんなことがあった。」孟子はいわれた。「そのお心こそ、天下の王者となるのに十分なのです。ところが、人民たちは大(きなもの)を小(さなもの)にとりかえられたので、王様はけちんぼうだと口さがなくもお噂しています。だが、私には王様の(情深い)お心はよく分っております。」王は苦笑いしていわれた。「さようか、なるほど、そんなことを申している人民どももおるのか。斉の国がいくらちっぽけでも、このわしが、なんで牛の一匹ぐらい物惜しみしよう。ただ、罪もないのに殺されにゆくそのオドオドしているさまを見て、いかにも不憫と思い、羊にかえさせたまでのことだ。」孟子はいわれた。「しかし王様、けちんぼうだといって非難するのも無理からぬことです。小さな羊で大きな牛ととりかえさせたのですから。(なぜそうなされたのか)、彼らには王様の心のうちがよく分らんからなのです。もし、罪もないのに殺されにゆくのが不憫だとおっしゃるなら、牛も羊もなんのちがいがありましょう。」王はまた苦笑いしていわれた。「これはなるほど。どんなつもりだったのかな。自分でもサッパリ分らぬ。物惜しみし(て羊とかえさせ)たのではないが、人民どもがそう申すのも尤もだわい。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 さあ、一つの「謎」がここに現れてきました。この謎を解くことができるのは、もちろん僕らの「道徳探偵」孟子しかいません! そして、「天下に王となるのに足りる心」とは何なのか……待て次回!

2010-08-28

ホガラカ~

[][][]孟子を読む 梁惠王章句上(その6) 22:05 はてなブックマーク - 孟子を読む 梁惠王章句上(その6) - 蜀犬 日に吠ゆ

仁者は敵なし

梁惠王章句上 凡七章

孟子見梁襄王、出語人曰、望是不似人君、就之而不見所畏焉、卒然問曰、天下惡乎定、吾對曰、定于一、孰能一之、對曰、不嗜殺人者能一之、孰能與之、對曰、天下莫不與也、王知夫苗乎、七八月之間、旱則苗槁矣、天油然作雲、沛然下雨、則苗浡然興之矣、其如是、孰能禦之、今夫天下之人牧、未有不嗜殺人者也、如有不嗜殺人者、則天下之民、皆引領而望之矣、誠如是也、民歸之、由水之就下沛然、誰能禦之、

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫
梁惠王章句上 凡七章

 孟子梁の襄王に見ゆ。出でて人に語(つ)げて曰く、之を望むに人君に似ず、之に就いて畏るる所を見ず。卒然として問いて曰く、天下悪(いず)くにか定まらんと。吾対えて曰く、一に定まらん。孰(たれ)か能く之を一にせんと。対えて曰く、人を殺すを嗜まざる者、能く、之を一にせん。孰か能く之に与せんと。対えて曰く、天下与せざる(者)なきなり。王夫(か)の苗を知るか。七八月の間(ころ)、旱すれば則ち苗は槁(か)れんも、天油然(ゆうぜん)として雲を作(おこ)し、沛然として雨を下さば、則ち苗は浡然として興きん。其(も、若)し是の如くなれば、孰か能く之を禦(とど)めん。今夫れ天下の人牧(きみ、人君)、未だ人を殺すを嗜まざる者有らざるなり。如し人を殺すを嗜まざる者有らば、則ち天下の民、皆領(くび)を引(の、延)べて之を望まん。誠に是の如くならば、民の之に帰せんこと、由(なお、猶)水の下きに就きて沛然たるがごとくならん。誰か能く之を禦めん。


 孟子は梁の(恵王のあとをついで、位に即かれたその子の)襄王にお目にかかった。御殿を退いてから、ある人に話された。「(新しい王様は)遠くから見ても、どうも王様らしさがさっぱりなく、近づいてお会いしても、またいっこうに威厳がない。初対面の挨拶もそこそこにいきなり、『この乱れた天下は、いったいどこに落ちつくのだろう』とおたずねになる。そこで『いずれは、必ず統一され(て落ちつき)ましょう』とお答えすると、また『だれがいったい統一できるのだろう』と問われる。そこで、『人を殺すことのきらいな仁君であってこそ、はじめてよく統一できましょう』とお答えすると、『いったい、だれがそれに味方するのだろう』とまた聞かれる。そこでまた、『だれかれといわず、天下に味方にしないものは一人もありますまい。王様、あの苗をご存知でしょう。夏の七八月ごろ、日照りがつづくと苗は萎れて枯れそうになります。しかし、このとき大空が俄かにかきくもり、ザアザアと勢いよく俄か雨をふらすと、苗は忽ちムックリと起きあがり元気づくことでしょう。そういうとき、だれがいったいこの苗の生き返るのを抑えとめることができましょう。(それと同じこと。仁政を行なう君主にであえば、それこそ人民は蘇生の思いがするものです。ところが、)見渡すところ、天下に人を殺すことのきらいな仁君は今日一人もおりません。もし、こんなときにそういう仁君があらわれたら、天下の人民はみな頸をながくして慕い仰ぐことでしょう。実際こうなったら、人民はみなこの仁君に心服して、さながら水が勢いよく低いところへドンドン流れてゆくようについてくるものです。なんぴとの力をもってしたとて、とても防ぎとめられるものではありません』と私はお答えしたのである。」

小林勝人訳注『孟子』上 岩波文庫

 こののち、孟子は梁の国を去る。恵王に比べ襄王の格の低さを嘆いているようにも思いますが、恵王のころも結局飼い殺しだったのですよねえ。