蜀犬 日に吠ゆ

2017-09-04

[][][]スンナ派の四学派について 17:40 はてなブックマーク - スンナ派の四学派について - 蜀犬 日に吠ゆ

 ハナフィー派、マーリク派、シャーフィイー派、ハンバル派。

 現在の私の理解。

  • 四学派
    • それぞれがイスラーム各国で共存している。
    • 学派によってシャリーアは異なる。法官はおのれの学派に基づいて判断を下す。
    • コーランに全ての状況が網羅されているわけではないので、ムスリムは常に判断を迫られる。その基準の違いが学派をうみだした。
  • ハナフィー派
    • 地域の慣行や個人的見解(ラーイ)を広く採用し、商業活動による富の獲得にも寛大な理解を示す。
    • セルジューク朝やオスマン朝では積極的に取り入れられた。
  • マーリク派
    • ハディースよりもマディーナの慣行を重視する。
    • 穏健ではあるが、慣行を逸脱した背教者に容赦しない。
  • シャーフィイー派
    • 類推(キヤース)を法源とする理論を確立。
  • ハンバル派
    • ハディースの厳密な解釈、合意(イジュマー)の範囲の限定、イスラーム神秘主義の厳しい批判.
    • マムルーク朝で重要視され、ワッハーブ運動につながる。

 とりあえず、佐藤先生のまとめを読んでおきます。

イスラーム法の形成

 八世紀から九世紀へかけて、法学者たちはクルアーンやハディースを典拠にして、それぞれ独自のイスラーム法(シャリーア)をつくりあげていった。体系化の過程では、クルアーン、スンナ(預言者の言行、つまりハデイィース)、イジュマー(学者たちの合意)を基礎にキヤース(類推)*1も方言として採用されたが、これ以外に各地に固有な慣行(アーダ)も考慮された。これらのいずれを重視するかによって、法解釈の違いが生じ、さまざまな法学派(マズハブ)が誕生することになった。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 各地の慣行もまた重視されるあたりが、イスラームの柔軟さをあらわしていますね。八世紀から九世紀というのはウマイヤ朝(661~750)によるアラブ帝国が領域を拡大*2した時期から、アッバース朝(750~1253)の衰退期。イスラームとは何か(ウマイヤ朝(西カリフ国)やシーア派をどうとらえたらよいのか)が課題として出された時期なのかな、と考えずにはおれません。


イスラーム法の形成

 シャリーアの書には、食生活や沐浴・礼拝・断食などの宗教儀礼、結婚と離婚、葬儀、遺産相続、裁判、刑罰、租税、戦争の問題など、信者の生活に関わる事柄全般があつかわれている。したがってシャリーアは、信者に生活の指針を示す倫理の書であると同時に、裁判官(カーディー)が拠り所とする実定法としての性格も備えていたといえよう。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社
イスラーム法の形成

 大事なことは、一つの国家に一つのシャリーアが適用されたのではなく、一つの国家には複数のシャリーアが存在していたことである。裁判は、被告が属する法学派の法規定に従って執行されるのが原則であった。イスラーム世界では、どの国家でも単一のシャリーアが施行されたかのように思われがちであるが、各学派はそれぞれ独自の法体系をもち、個々の法が社会の中で実際に用いられていたことに注目すべきである。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 葦の髄から作り上げた常識が吹っ飛ぶ。裁判官(カーディー)は、四法学派をそろえていて、自分で選べるのでしょうか? もしくは裁判官(カーディー)がそれぞれの学説に通暁していて被告の立場によって判断を変えると言うことなのでしょうか。

 前者であるとすれば、被告人は自分に都合の悪い判決には論争を挑むことができるはず、です。四学派以外で異端でない学派では無誤謬であると言い張ったらどうするのでしょう。

 後者のような法学者は、以下に示すようにあり得ません。いずれかの学派で徹底しなければイスラーム法学を修めることはできないのですから。

 いったい、イスラームの国家と法制はどのようになっているのか。学んだつもりが謎が増えるばかりです。

 つづいて、谷口先生の解説

宗派の形成と学問修得方法の定式化

 九世紀前半の異端審問をともなった論争の末に、ムスリムの多数派の間では伝統主義的な考え方が優勢となった。この流れを受けて、続く十・十一世紀には伝統主義的な立場から神学や法学などの分野で学説が整えられて

いった。他方、シーア派においても十・十一世紀は、基本的な教義が成立していった時期である。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社
宗派の形成と学問修得方法の定式化

(前略)シーア派の活動に対抗するなかで、これらの分派活動に与しなかった人びとは、伝統主義の延長線上に独自の教義を発展させていった。十一世紀以降、神学ではアシュアリー学派とマートゥリーディー学派*3が主流派の位置を占めるようになった。方角においては、シャーフィイー学派、ハナフィー学派、ハンバル学派、マーリク学派の四大法学派が成立していった。こうして、分派に属さない多数派は、独自の教義体系を持つスンナ派という宗派を形づくるようになったのである。このように、イスラームの歴史においては、主流派が形成されてから分派が分かれていったのではなく、まず分派が形成され、そのあとに多数派が宗派と呼べる実態を獲得していったわけである。


 かくして、十世紀から十一世紀にかけて、現在にいたるイスラームの宗派の基本的な枠組みとそれぞれの基礎となる教義が成立していった。言い換えれば各宗派の学問体系が整ってきたということであり、それはさらに学問方法の定式化を招いたと考えられる。このことを間接的に示すのが、この時期以降目立つようになる学問方法を論じた著作物である。このような著作はスンナ派だけでなくシーア派の学者によっても著されており、しかもその内容には共通する点が多い。彼らが学問の方法としてとくに重視しているのは、読誦すること、暗記すること、師につくことの三点である。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社

 まとめますと、「神学と法学は区別される」ということ。「法学派とは、学問体系を異にする」ということ。えーと、四法学派とは、文学と数学や、舎密学と民俗学のように異なっているのでしょうかね。

 「読誦すること、暗記すること、師につくことの三点である。」はなんかかっこいいですが、日本の葬式仏教もそんな感じと言えばそんな感じですよね。

イスラーム法の形成

 ここでは、法学派誕生のようすとそれぞれの派の特徴をまとめてみよう。まずハナフィー派について。この学派の祖となったアブー・ハニーファ(六九九頃~七六七)は、イラク中部のクーファで法学や神学を学び、この州都における法学の第一人者とみなされるようになった。ハナフィー派は他の学派より地域の慣行や個人的見解(ラーイ)を広く採用し、商業活動による富の獲得にも寛大な理解を示した。トルコ人のセルジューク朝(一〇三八~一一九四年)やオスマン朝は、このハナフィー派を積極的に支持したことで知られる。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 699~767でイラクに住んでいると、まさにウマイヤ→アッバースの易姓革命(クライシュ族内のウマイヤ家→ハーシム家アッバス)を目の当たりにし、シリアのダマスカスからバグダードへの遷都を経験した人ですねえ。地域の慣行(アーダ)の重視は、シーア派やマワーリー(周辺民の改宗者)の協力で革命を成したアッバース朝にも都合がよかったのでしょうね。


イスラーム法の形成

 マディーナのマーリク・ブン・アナス(七〇九頃~七九五)は、ハディースに依拠するよりは、マディーナ社会の慣行こそそこの人々の個人的な意見を重視して、マーリク派法学の体系化を推し進めた。その規定自体は概して穏健であったが、慣行から逸脱する過激派には厳しく、またイスラームを捨てた背教者は死に値するとみなしたという。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 穏健と言いますが、マディーナ(メディナ、ヤスリブ)の慣行というのはムハンマド以前(無明時代、ジャーリヒーヤ)を含む「アラブ主義」なのではないでしょうかね。同じようにアッバス朝の易姓革命(750)に立ち会って、アラブ帝国からイスラム帝国への変容に異議を唱える学派なのかもしれませんよ。これは。ただ、背教者って誰でしょう。ここまでイスラムイスラムしているところで、マディーナあたりで背教する人がまだいたのかしらん。

 谷口先生が解説してました。

ハディース学と法学の発展

 アッバース革命は、一部のシーア派勢力と提携し、「ムハンマド家による支配」の実現を旗印に支持を集め、七四九年ウマイヤ朝から政権を奪取することに成功した。しかい、権力を握った一族がシーア派の痛いしたムハンマドの子孫ではなく、ムハンマドの叔父アッバースの末裔であったことから、シーア派の諸勢力はアッバース朝政権の正統性に疑問を投げかけた。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社
ハディース学と法学のはじまり

 このような状況のなかから、八世紀前半には地域ごとに法学についての一定の合意が形成されてきた。これを初期法学派あるいは前法学派などと呼ぶ。代表的な学派としては、ヒジャーズ学派とイラク学派が知られている。マッカ(メッカ)・マディーナ(メディナ)両聖地を擁するヒジャーズ地方では、預言者や教友のスンナなど伝統的な慣習を拠り所として重視する学風が主流であった。一方、征服活動によってイスラームに組み込まれたイラクは自然環境の面でも社会や文化の面においても、ヒジャーズとは非常に異なった地域であった。従ってこの地では、クルアーンや預言者のスンナだけでなく現地の慣習も重視しながら、学者個人の見解による推論を積極的に取り入れる立場が優勢となっていった。

谷口淳一『聖なる学問 俗なる人生 中世のイスラーム学者』イスラームを知る2 山川出版社

 イラクは、もともとササン朝ペルシアですからねえ。アラブの常識だ!で論破は難しかったのでしょう。

 はい次

イスラーム法の形成

 エジプトのフスタートに居を定めたシャーフィイー(七六七~八二〇)は、アブー・ハニーファやマーリクが採用する「個人的な意見」を恣意的であるとして退け、独自の法学書『母の書』(キターブ・アルウンム)を著した。彼のもとには厳密な類推(キヤース)の方法を確立した新法源論に共鳴する弟子たちが集まり、やがて法学派としてのシャーフィイー派が成立する。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 少し遅れて、革命を知らない子供たちの世代。

 折衷案かしら。各地の慣行(アーダ)を法学者の類推(キヤース)で判断してもいいけど、それには一定の手続きが必要。

イスラーム法の形成

 ハンバル派の祖となったイブン・ハンバル(七八〇~八五五)は、「創造されたクルアーン」説を唱えるムータズィラ派神学を断固否定したために、二年間におよぶ投獄生活をよぎなくされた。ハンバル派の特徴は、ハディースの厳密な解釈、合意(イジュマー)の範囲の限定、イスラーム神秘主義の厳しい批判などにある。この思想は、マムルーク朝時代のイブン・タイミーヤ(一二六三~一三二八)をへて、原始イスラームへの回帰を説いたムハンマド・ブン・アブド・アル・ワッハーブへと継承されていく。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社
イスラーム法の形成

 スンナ派の法学派はこれ以外にいくつも結成されたが、主要なものは以上の四学派である。

佐藤次高『イスラーム 知の営み』イスラームを知る1 山川出版社

 あと、神学と歴史学(ハディース学)についても両書に記述がありますが、あとで読む。


イスラーム―知の営み (イスラームを知る)

イスラーム―知の営み (イスラームを知る)

*1:法学者の個人的な見解ではなく、クルアーン、スンナ、イジュマーのいずれかにもとづく厳密な類推をキヤースという。シャーフィイーによって、その方法が確立された。

*2:フランク王国に侵攻したトゥール・ポワティエが732年

*3:9・10世紀に中央アジアのサマルカンドで活動したマートゥリーディーに始まるスンナ派神学の一派。セルジューク朝の勢力拡大とともに西方へ伝播した。

2017-06-10

[][][]家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書 15:50 はてなブックマーク - 家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 アブー・アブド・アッラー・ムハンマド・ブン・アブド・アッラー・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・ブン・ユースフ・アッラワーティー・アッタンジーによる『Tuhfat al-Nussar fi Ghara'ib al-Amsar wa 'Aja'ib al-Asfar(諸都市の新規さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物)』、あるいは『Rihlat Ibn Battuta(イブン・バットゥータの旅(リフラ)』、普通はイブン=バットゥータの『三大陸周遊記(大旅行記)』で知られる書物を、日本語訳した筆者自らが解説。

 本編『大旅行記』は平凡社の東洋文庫で全8巻なので、とても読めないとして、まあ新書でお手軽にその旅行をなぞってみようという本であります。

 冒頭から、ウォーラーステインが提唱した「近代世界システム」と、そこから始まる論議の一つとしてアブー・ルゴドが打ち出した「前期的世界システム」の話で、懐かしい。私もてっきりウォーラステインにハマった口でして、ただこれを考察するには、学際領域の広範な知識と、各文化文明圏における多様な政治経済システムへの理解がなければ成らないため、挫折したのです。

 名著、臼井隆一郎『コーヒーが廻り、世界史が廻る』中公新書は、それをテーマ史としてわかりやすく落とし込んだ作品で、その後たくさん登場した「モノの世界史」の視点を切り開きました。それを方法論の本として読み取れなかった不明の日々よ。

閑話休題。その内容について、目次を引用。

『イブン・バットゥータの世界大旅行』 目次

  • はじめに … 9
  • 序章イ スラームと旅、移動 … 15
    • 1 旅の原点は何か … 16
    • 2 イスラーム教徒にとっての移動観 … 19
      • ヒジュラ/リフラ/ハッジ(メッカ巡礼)
    • 3 出会いの接点としてのイスラーム都市 … 33
  • 第一章 拡大する一三・一四世紀のイスラーム世界 … 39
    • 1 「前期的世界システム」の形成 … 40
      • 八つのサブ・システム/イスラーム世界と「パクス・モンゴリカ」の統合
    • 2 モンゴルの衝撃(インパクト)とディアスポラ(人間拡散) … 48
      • モンゴルの衝撃(インパクト)/人の移動と地域再編
    • 3 マムルーク朝経済圏の拡大 … 53
      • マムルーク朝の成立/国際間に生きるカーリミー商人
    • 4 つなぎの場としての海域世界――インド洋と地中海 … 63
      • インド洋海域世界/地中海世界
  • 第二章 『大旅行記』という書物 … 71
    • 1 巡礼紀行文学の発達 … 72
      • メッカ巡礼書について/イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータの関連
    • 2 『大旅行記』の成立 … 79
      • イブン・バットゥータの生い立ちと生涯/晩年のイブン・バットゥータ
      • 『大旅行記』の編纂/編纂者イブン・ジュザイイについて
    • 3 写本と校訂本 … 94
      • 『大旅行記』の構成/『大旅行記』の研究
  • 第三章 イブン・バットゥータの旅(1)――タンジールからメッカまで … 103
    • 1 故郷タンジールを門出 … 104
      • ふるさとの町タンジール/マグリブ巡礼隊に参加/旅仲間との結婚、そして離婚
    • 2 マムルーク朝統治下のエジプトとシリア … 114
      • 将来の旅を予見する不思議な聖者との出会い/沙漠を貫く緑のベルト、ナイル川の旅
      • パレスティナ海岸の諸都市を経てダマスク明日へ/シリア巡礼道を通過してメディナへ
    • 3 最初のメッカ巡礼 … 128
      • メッカ到着の歓び/四回にわたるメッカ訪問
  • 第四章 イブン・バットゥータの旅(2)――中東世界からキプチャク大草原へ … 133
    • 1 イラクとイランの旅 … 134
      • アラビア半島縦断の旅/イラクのシーア派聖地/船でサワード地方を行く
      • イラン高原の旅/イル・ハーン朝下のイラク地方
    • 2 紅海からアラビア海へ … 148
      • 紅海を南下して/スワヒリ文化圏の形成/乳香木の茂る南アラビア
    • 3 トルコ・アナトリアと黒海沿岸 … 166
      • インドまでの大迂回ルートを探って/アナトリアの群小イスラーム侯国
      • 黒海を越えてクリミア半島へ/キプチャク・ハーン国とブルガールの旅
      • ビザンティン皇女とともにコンスタンティノープルへ

  • 第五章 イブン・バットゥータの旅(3)――中央アジアとインド … 181
    • 1 ヒンドゥー・クシュを越えてインドへ … 182
      • アジアの心臓部を行く/雪深いヒンドゥー・クシュを越えてインダス河畔に
      • インダス川流域の旅/デリー滞在の八年
    • 2 インドの南西海岸に沿って … 190
      • デリーを離れる/最大の危機に遭遇/海上交易で栄えるマラバール海岸
      • カーリクート港での惨劇
    • 3 南海の女王国を訪ねて … 201
      • 環礁の連なる島じま/群島の支配をめぐる抗争
    • 4 スリランカ、南インドを経てベンガルへ … 206
      • 宝石の国スリランカ/マァバル地方のマドゥライ・イスラーム王国を訪ねて
      • 黄金の三角地帯ベンガル
  • 第六章 イブン・バットゥータの旅(4)――東南アジアと中国 … 219
    • 1 ジャンクに乗って中国へ … 220
      • アンダマン海を行く/マラッカ海峡を制したスムトラ・パサイ王国
      • 南シナ海を北上し、一路泉州へ
    • 2 元朝支配下の中国 … 228
      • 泉州に上陸/運河を通ってハーン・バリークへ
    • 3 故郷モロッコへの帰還のたび … 234
      • 巨鳥ルフとの遭遇/インド洋横断の航海/四度目のメッカ巡礼の旅
      • 帰国を決意して地中海を渡る
  • 第七章 イブン・バットゥータの旅(5)――アンダルスとブラック・アフリカ … 245
    • 1 アンダルスの栄華 … 246
      • ジブラルタル海峡を渡る
    • 2 サハラ砂漠を越えてブラック・アフリカへ … 252
      • ブラック・アフリカ旅行の目的は何か/首都ファースを経てサハラ砂漠に踏み入る
      • マーッリーの王都はどこか/ニジェールの川旅
      • タッシリ・ナッジェールの高地を越える/ファース帰還
  • 結び イブン・バットゥータの旅の虚像と実像 … 271
      • 『大旅行記』の信憑性をめぐる議論/イブン・バットゥータの見た世界像
      • 旅の本来の目的は何か
  • あとがき … 285
  • イブン・バットゥータの旅の年譜 … 289
  • 参考文献 … 293
家島彦一『イブン・バットゥータの世界大旅行』平凡社新書

 と、読んでいて、晩年のイブン・バットゥータがサハラ縦断するくだり。地図の中に、

f:id:mori-tahyoue:20170610150412j:image

 14世紀なのに、「カカオ」って書いてあるー!*1

 本文にはカカオのことなどまったく出てきませんから、これは編集スタッフが用意した地図が19世紀以降のものだったのでしょう。ちょっとびっくりして「ヨーロッパに伝わってなかっただけで、イスラム圏ではもはや?」とかググってしまいました。

*1:カカオ豆、およびチョコレート・ココアは侵略者コルテスが新大陸アステカから持ち帰った

2015-04-19

[][][][][]丸谷才一「不文律についての一考察」『腹を抱へる』文春文庫 15:47 はてなブックマーク - 丸谷才一「不文律についての一考察」『腹を抱へる』文春文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 丸谷先生の読み物(コラム?短評?)選集が二冊本で出ました。

 欲を言はせてもらへば、「膝を打つ」のはうも歴史的仮名づかいの表題がよかつた。文は人なり、といふなら仮名づかいは多分に丸谷才一の個性であつたのだ(と、おもひません?)。

 文庫は結構読んだはづですが、家の本棚では散逸してをりまして、今回の採録で(あ、読んだことある)という話も手元になかったり、(へえ、知らなかつた)といふやうな話は何遍も読んだ文庫本に入つていたり。ああ、人の記憶の何とはかなきことよ。じつはと申せばさきおとついまで読んでゐた『膝を打つ』のはうはもう所在不明だつたりします。

 なので、なるべくおもしろい話は本をなくすまへに書き留めておきたい。また買えばいいんですけど。

 イチロー選手が大量得点差で勝つてゐる状況で盗塁し、大リーグの精神に悖る、とか何とか言はれた話から、不文律について。

不文律についての一考察

 その、不文律にすべきことを成文法にしたため変なことになつた好例がわが国にあります。これはをかしな法令の最たるものとして有名である。わたしはこのことを笠松宏至さんの論文で知つたのですが、ちよつと紹介しませう。

 御成敗式目といふのは鎌倉時代の法典で、わづか五十一ヶ条より成る。そのなかの一条に悪口の罪といふのがあつて、「闘殺の基、悪口より起る」(喧嘩して殺人になるのは悪口からはじまる)と書き出し、「軽い悪口」でも拘禁、「重い悪口」は流罪と定めた。これはどうやら、面と向かつての悪口を念頭に置いてゐる条文らしいのですが(原文すこぶる難解、よくわからない)、うーん、これはすごいですね。流刑地がたちまち満員になりやしないかと心配である。

 さらに、法廷内での悪口は、当該訴訟「有理」(筋道が通つてゐる)のときは敗訴になり「無理」(道理にはづれてゐる)のときは没収刑といふことに決められてゐた。

 悪口が刑事罰の対象になるなんてことは、日本中世の武家法では極めて珍しいのださうで、このせいでお前は悪口を言つたぞと人をおどしたり、他人の自由や財産を奪ふ理由にしたりしたといふ。

 とりわけひどいのは法廷内の悪口で、何しろ悪口を言つたほうが敗訴と決めてあるのだからいちいち相手の言葉尻をとらへて悪口だ、悪口だ、俺は悪口を言はれたぞと言ひたてた。単に法廷内の言説だけでなく、訴陳状の文言についてもこれは悪口だと騒いだといふ。それはさうだらうな。相手が悪口を言つたことにすればこつちが勝つのだもの。ぜつたい言はせようとするよ。あるいは、言はれたことにしようとするよ。なんだか滑稽でもあるし、哀れでもある。

 そのいろいろな珍談は、『中世の罪と罰』(東京大学出版会)所収の笠松さんの論文で読んでいただくとして、この悪口罪なんか、成文法にしたせいで、をかしなことになつたのである。他人の悪口なんか面と向かつて言はないのが武士のたしなみといふ不文律で充分なのだ。立法者の北条泰時は武士たちの分別を信用してゐなかつたので、こんな失態を演じたのだらう。

丸谷才一『腹を抱へる』文春文庫
中世の罪と罰

中世の罪と罰

2015-02-09

[][][][]十字軍研究の今 16:51 はてなブックマーク - 十字軍研究の今 - 蜀犬 日に吠ゆ

『西洋中世史研究入門』名古屋大学出版会より

(1)十字軍運動
十字軍とは何か

特に日本においてのことであるが、「十字軍とは、聖地エルサレムの奪回を目的としたキリスト教徒の軍隊であり、7回ないし8回行われたが、徐々に当初の宗教的目的が薄れて最終的には13世紀にその終焉を迎える」といった類の教科書的記述を十字軍の理解の前提にしないことが必要である。

『西洋中世史研究入門』名古屋大学出版会

 次に世界史の教科書が大きく変わるとすればこのあたり、らしいです。

(1)十字軍運動
十字軍とは何か

複雑極まりない十字軍研究の現状においても、概ね次の点では共通見解を得ていると言えよう。十字軍の本質は贖罪にあり、十字軍に「宗教的、政治的、経済的云々」と現代的価値観に基づいた評価を下すのは歴史学的には意味をなさないこと、十字軍とは連続的な運動であり、「第○回」という表現は便宜的に付けられているに過ぎないこと、1274年のリヨン普遍教会会議に十字軍運動の前・後期の分岐点を置くことなどである。教科書的記述の問題点については、八塚春児(1994*1)でも指摘されており、教科書の記述は書き改められるべき時期を迎えているのではなかろうか。

『西洋中世史研究入門』名古屋大学出版会

 というご意見もわかりますが、十字軍の研究が複雑化してテーマも多岐にわたって広がり続けている現状では、十字軍の記述を改める時期とは言いがたいのではないでしょうか。総括的な研究成果が出されてから教科書の記述を書き改めるのがよいかと思われます。

*1:八塚春児(1994)「第1回十字軍の招集」『歴史と地理』471

2015-01-06

[][][][]土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書 16:50 はてなブックマーク - 土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書 - 蜀犬 日に吠ゆ

目次

  • 第一章 東アジアにおける朱子学の登場 011
    • 朱子学とは何か/朱子学の思想Ⅰ――「気」とは何か/朱子学の思想Ⅱ――「理」とは何か/朱子学の思想Ⅲ――人における「理」と「気」/朱子学の思想Ⅳ――学問と修養/朱子学のリゴリズム/朱子学についての通念――大義名分と尊皇攘夷/朱子学の登場Ⅰ――唐宋変革論/朱子学の登場Ⅱ――北宋南宋区分論/朱子学と陽明学
  • 第二章 江戸朱子学への道 035
    • 朱子学の日本渡来/中国儒学典籍の需要の仕方/「太極」の引用/『神皇正統記』と朱子学/室町禅僧の朱子学理解の深化/仏教からの脱却Ⅰ――藤原惺窩の場合/仏教からの脱却Ⅱ――山崎闇斎の場合/構造論から修養論へ/伊藤仁斎と山崎闇斎における方向性の共有/江戸朱子学への諸ルート/朝鮮朱子学の影響
  • 第三章 江戸朱子学の流れ 067
    • 江戸朱子学の概観/朱子学と徳川政権/林家という存在/崎門という存在
  • 第四章 丸山真男の朱子学観 083
    • 丸山真男の図式/丸山図式に対する批判/伊藤仁斎と朱子学/荻生徂徠と朱子学・仁斎学
  • 朱子学がもたらしたもの 099
    • 朱子学を受け入れるということ/朱子学が導き出したもの/一、自然と規範/二、内心と外界/三、善と悪/四、個人と社会/五、道徳と欲望/六、主観と客観
  • 第六章 朱子学と反朱子学 115
    • 仁斎の「正」/朱子学と仁斎学の対立/仁斎学と闇斎学の対立/仁斎学の継承と朱子学/荻生徂徠の登場
  • 第七章 朱子学の教理の波及 137
    • 朱子学の基礎教養化/朱子学の正統論/皇統論/『詩経』観の展開/『易経』観の展開/『春秋』観の展開/朱熹の経書解釈の方法/仁斎における意味と血脈/孔子の位置づけ
  • 第八章 朱子学の日本的展開――神道との結合 173
    • 神道との結合/朱子学の鬼神論/祭祀/理と神/闇斎の場合/朱子学者と神道/妙契
  • 第九章 江戸後期の朱子学 197
    • 幕末へ/寛政三博士と佐藤一斎/幕末の朱子学者たち/陽明学の問題/儒教の庶民への浸透と心の思想
  • 第十章 朱子学と近代化 215
    • 朱子学の理の拘束Ⅰ――価値観の問題/朱子学の理の拘束Ⅱ――自然学の問題/日本における学派並列の意味/教育の促進/近代の朱子学/近代化論との関係/朱子学のその後/おわりに
  • 注 236
  • あとがき 246
  • 人名索引 254
土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書

 のちの尊皇攘夷に影響した根拠などは非常に興味深く読みました。

皇統論

 かかる正統論を日本に当てはめると、最初に日本を統一して二代以上継続したのは皇室であり、しかもその皇室が地方政権になっても存続はしているのであるから、皇室こそが正統ということになる。

 ここで特に重要なのは、朱子学の正統論においては、現実に全国的な権力を握っている政権よりも、地方政権に落ち込んでいても以前の正統の王家を継承するものがあれば、そちらの方を正統と認定することである。

土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書

 南宋で『資治通鑑』を読み、大義名分に目覚めた朱熹先生(=朱子)の痛恨が響きます。

 尊皇攘夷(倒幕理論)とか、南北正閏論争などもそういうところに由来するのかもしれませんね。朱子学では、正当性を保証する「理」を、堯舜禹の三代と殷湯王、周武王までは王が、それ以降は孔子以下の儒者が担うとしております。

皇統論

 ところで先に述べたように北畠親房は三種の神器を徳の象徴とした。それを直接的に『中庸』に出てくる知、仁、勇という「天下の達徳」に割り当てたのは一条兼良『日本書紀纂疏』であるが、兼良の場合は同時に仏教の般若、法心、解脱にも当てているのであって、儒教的にしぼりこんでいるわけではない。それが江戸時代になると、儒教の「天下の達徳」に一本化する議論が多くなる(たとえば山鹿素行『中朝事実』神器章など)。三種の神器は徳の象徴であり、それを伝える天皇は徳を伝える存在なのである。

土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書
皇統論

 かかる皇統の存在は、中国や朝鮮に対する優位と認識された。とれには正統と道統の両者をあわせもち、しかも万世一系ということが大きかった。

土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書

 逆に言うと、万世一系でないと都合が悪いということにもなってしまうのですよね。朱子学のリゴリズム(厳格主義)おそるべし。

皇統論

 朱子学の正統論は、それを日本にあてはめると必然的に皇統の重視へと帰結するようにできている。

土田健次郎『江戸の朱子学』筑摩選書
江戸の朱子学 (筑摩選書)

江戸の朱子学 (筑摩選書)

2014-07-15

[][][][]「酒は百薬の長」 16:08 はてなブックマーク - 「酒は百薬の長」 - 蜀犬 日に吠ゆ

 「酒は百薬の長」などと仰せられた王莽のお言葉。

Ⅵ 酒

酒は百薬の長

むかしからいう「酒は百薬の長」なる一句は、酒好きが、酒飲むべからず派に対抗するために言いふらした迷文句のようですが、実はさにあらず、「正史」、つまり最も正統的な歴史書、のひとつである『漢書』に、しかも皇帝の詔勅の中の一句として記録されているのです。

村上哲見『中国の名句・名言』講談社現代新書

Ⅵ 酒

酒は百薬の長

このように由緒正しい一句なのですから、飲むべからず派の人も、ハハーッと恐れ入って、平伏してうけたまわらなければなりません――といいたいところですが、実はこの皇帝、『漢書』に載っているといっても漢の皇帝ではなく、漢の帝位を奪った王莽のことで、しかもその詔勅というのは、政府が財政困難なために酒や塩や鉄とともに政府の専売にすることを宣言するものでした。

 それ塩は食肴(しょくこう)の将、酒は百薬の長にして、嘉会の好、鉄は田農の本……

 とこれらの物資の効用をほめたたえたあと、庶民たちはこれらを自分では作れないので買うしかない、そこで「豪民富賈」=金持ちの商人がもうけて貧民を苦しめる、だから政府が管理してやるのだ、とうまくリクツをtけておりますが、あからさまにいえば政府がもうけようとしたのですから、何も恐れ入るようなことではありません。なお王莽が設立した新という王朝は、こうした努力もむなしくわずか十五年ほどで崩壊し、漢の王朝が復活します。紀元一世紀の初めのことです(王莽の在位は紀元八~二十三年)。

村上哲見『中国の名句・名言』講談社現代新書

 ついでに、酒の専売そのものは前漢武帝の時期(B.C.98)。

Ⅵ 酒

酒は百薬の長

 タネを明かせばこういうことですが、以来「酒は百薬の長」は、酒飲みの呪文として現在に至るまで広く流布しております。(略)兼好法師の『徒然草』には、酒を論じて、

 ……「百薬の長」とはいへど、万の病は酒よりこそおこれ、憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ過ぎにしうさをも思い出でて泣くめる、後の世は人の智慧をうしなひ、善根をやくこと火のごとくして、悪をまし、万の戒を破りて地獄におつべし。

 (略)

 そこで兼好法師は酒嫌いかというと、さにあらず、これほど非難しておきながら途中から、

 かくうとましとおもふ物なれど、おのづから捨てがたき折もあるべし。月の夜、雪のあした、心のどかに物語りして杯出したる、よろずの興をそふるわざなり。

 と、一転して酒の良さをいろいろと述べているところをみると、どうやら兼好法師も、酒がやめられなかったひとりのようです。

 夫塩食肴之将、酒百薬之長、嘉会之好、鉄田農之本……

       ――班固『漢書』食貨志

村上哲見『中国の名句・名言』講談社現代新書
中国の名句・名言 (講談社現代新書)

中国の名句・名言 (講談社現代新書)