蜀犬 日に吠ゆ

2009-09-26

[][][][]泰伯第八を読む(その13) 19:50 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

禹は吾れ間然するなし

 泰伯第八(185~205)

205 子曰。禹吾無間然矣。菲飲食。而致孝乎鬼神。悪衣服。而致美乎黻冕。卑宮室。而尽力乎溝洫。禹吾無間然矣。

(訓)子曰く、禹は吾れ間然するなし。飲食を菲(うす)くして、孝を鬼神に致し、衣服を悪(あし)くして、美を黻冕(ふつべん)に致す。宮室を卑(ひく)くして、力を溝洫(こうきょく)に尽す。禹は吾れ間然するなし。

(新)子曰く、夏の禹には文句のつけようがない。自分の食事は粗末にして、先祖の祭は盛大にした。平壌の衣服には見栄をはらぬが、朝廷における百官の礼服を美しくするために金をかけた。自分の宮室はみすぼらしいが、用水路の工事には労力を惜しまなかった。こういう禹王には文句のつけようがない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 202から205までは、堯、舜、禹から周までの政治に対する説明、ないしは頌辞であるが、内藤湖南博士の古代史研究によれば、孔子が果たして堯舜禹をその歴史観のなかに採用したか否かは疑問であるとされる。禹は孔子の後に出た墨子によって理想的人物とされ、堯舜は更に後に出た孟子によって更に有徳な帝王として尊崇された。して見ると以上四章のうち、周の記事を除いた外の部分は、果して孔子の言であったかどうか疑わしくなる。事によれば、書経の中の堯典が成立した頃に、同様の趣旨で、論語の中にこれらの章が竄入されたのではないかという気がする。

 特に禹に対する評価が、堯舜に対するとは異った言葉で表現されている点が注意さるべきである。すなわちそれは、間然する所なし、であって、手放しの賛美ではなく、消極的な許容の如き言葉が用いられているのである。当時はなお墨家の勢力が盛んであり、儒家がこれを自家薬籠中に収めるのには、なお抵抗感があったのではあるまいか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 否定されてしまいました。



 さはさりながら、以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』上論、孔子および曾子の言葉を記した「泰伯」という第八章は終わる。

2009-09-25

[][][][]泰伯第八を読む(その12) 21:29 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

才難し

 泰伯第八(185~205)

204 舜有臣五人。而天下治。武王曰。予有乱臣十人。孔子曰。才難。不其然乎。唐虞之際。於斯為盛。有婦人焉。九人而已。三分天下有其二。以服事殷。周之徳。其可謂至徳也已矣。

(訓)舜に臣五人あり、而して天下治まる。武王曰く、予に乱臣十人あり、と。孔子曰く、才難しとは、其れ然らずや。唐虞の際、斯に於いて盛んとなす。婦人あり、九人のみ。天下を三分して其の二を有(たも)ち、以て殷に服事す。周の徳は、其れ至徳と謂うべきのみ。

(新)舜は五人の臣下を用いて天下を治めた。周の武王は、予(われ)に乱臣(よきけらい)、十人あり、と言った。孔子曰く、人材は得難い、といわれるが全くその通りだ。唐堯、虞舜の際から以後は、この時こそ全盛を極めた。十人のうち、一人は婦人の内助の功であるから、政治家は九人だけであった。天下の三分の二を保有しながら、なお殷の主権を認めて服従していた。だから周の徳義は最高であったと言ってよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章句では、「伝説的な堯舜の時代をのぞいては、周の時代こそ最高である」という孔子の主張が打ち出されています。

 天下を治めるのに必要なのは人材である、という話はその通りで、三国時代の劉備も(演義ではとくに)そういう話になっていますよね。西遊記でも、玄奘一行をつぎつぎ助ける神仙がいればこそ妖怪退治であるわけですからね。

 とくに、最初の十人は重要。


 舜の五人とは。

舜には、すぐれた臣下が五人あり、そのために、天下が太平であった。五人とは、禹と、稷と、契(せつ)と、皐陶(こうよう)と、伯益とである。うち禹が、洪水を治め、次の夏王朝を創めた偉人であること、稷が、農事の長官であり、のちの周王朝の遠祖となったこと、契が、民政の長官であり、のちの殷王朝の遠祖となったこと、皐陶は、司法長官として、伯益は、狩猟の長官として、それぞれ舜を補佐したことは、「尚書」のっはじめの方の篇に見える(吉川「尚書正義」岩波版第一冊参照、全集八巻)。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 

 武王にも能臣がいた。わけですが、「乱臣=よきけらい」の解釈。宮崎先生はなんの説明もつけくれていませんが、一読しただけでは疑問ですよね。

周王朝の創始者である武王、すなわち姫発も、多くのよい補佐者をもった。そのことは武王自身の言葉にも見えるのであって、「予に乱臣十人有り」。ここの乱の字は、その字の普通の意味ではなく、あべこべに「治」の字の意味であって、すぐれた補佐者十人をもったことを意味する。かく言葉が普通の意味とは全く反対の意味をあらわすことは、いわゆる「反訓」である。「くるしい」を意味する「苦」の字がある場合には「快」を意味し、「ゆく」を意味する「徂」の字がある場合には「存」を意味するのと共に、よくその例として引用される。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

「乱」は、治。乱という状態は、一方から見ればいわゆる乱であるが、相手側から見れば治まっている。このように、「ミダル・オサマル」の相(あい)反した訓(解釈)を反訓という。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 主人公! 欺されまいぞ!

 「反訓」という苦しい(快い?)理窟を考え出したのは誰なのでしょう。「乱」が「治」であり、「苦」が「快」であり、「徂」が「存」である、というのは、なにを基準に「反訓」だと読み取れるのでしょう。「乱」の字があるときにはこういう意味で、あるときにはこういう意味であるというのであるなら、漢字の表意の機能は失われてしまうではありませんか。文脈なり、成語としては逆の意味になるというのであるならわかりますが、

 とくに厳しいのは加地先生。「乱という状態は、一方から見ればいわゆる乱であるが、相手側から見れば治まっている。」といいますが、「壬申の乱」は、天智側からも天武側からも「乱」でしょう。「陳勝・呉広の乱」は、どの側面からみて治まっていると言えますか。「攻めるの逆は守る」のような対応関係は期待できないと思います。

 というわけで、

乱臣は乱を治める臣。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 という宇野先生の解釈ですんなり納得。「國乱れて忠臣あらわる」といいますか、「知性の能臣、乱世の英雄」とでももうしましょうか、そういう人々が武王のそばにいたということなのでしょう。


さて、武王のもった乱臣、すなわち治臣十人とは、一、その弟である周公旦。二、同族である召(しょう)公奭(せき)。三、その軍師であった太公望。四、畢(ひつ)公。五、栄公。六、大顚(たいてん)。七、閎夭(こうよう)。八、散宜生(さんぎせい)。九、南宮适。そうして十は、武王の母であり父の文王の正妻であった太姒(たいじ)であるとされるのであるが、ここに一つの問題が発生する。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 問題として、女をふくめて「臣」としてよいか、写本のなかにある臣の字の無いものこそ正しいのではないか、などという話題がありますが、どうでもいい、下らない。「乱臣」が「乱(オサムルモノ)」であっても同じです。十人いて、女性をのぞけば九人であるという意味は変わりません。

 孔子は「書経(尚書)」に類する、現在では失われてしまった資料を持っていて、こうした批評もそれに依拠してなされたのであろうとされていますが、もちろん私たちはそれがどんなものであったのか知るよしもないので、考える必要もないでしょう。また、現代に生きる私たちは孔子の知りえなかった資料『封神演義』などを知っているわけですが、それも除外して考えてよさそうです。


 十人の人材に恵まれ天下の三分の二を治めていながら宗主である殷に仕え、その殷の徳が失われてから放伐をおこなったところが、「至徳」とよばれる所以である、と。

2009-09-24

[][][][]泰伯第八を読む(その11) 20:19 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

大なるかな、堯の君たるや

 泰伯第八(185~205)

203 子曰。大哉。堯之為君也。巍巍乎。唯天為大。唯堯則之。蕩蕩乎。民無能名焉。巍巍乎。其有成功也。煥乎。其有文章。

(訓)子曰く、大なるかな、堯の君たるや。巍巍たるかな、唯だ天を大なりと為し、唯だ堯のみこれに則(のっと)る。蕩蕩たるかな。民能くこれに名づくるなし。巍巍たるかな、其の成功あるや。煥として、其れ文章あり。

(新)子曰く、偉大なのは堯の君主としてのあり方だ。およそ崇高なものの中で天ほど偉大なものはないが、ただ堯だけがそれを手本にすることができた。あまりに得が広すぎて、人民は形容の言葉を知らぬ。だかrこそ天にも届くほど高い成功を収め、目が眩むほどきらびやかな文化を残したのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 堯の政治を誉める。「巍巍」といいますから、その徳は天と同じく高かった、「蕩蕩」といいますから、その徳は堯の名を意識しないところにまで広がった、ということではないかと思います。


 鼓腹撃壌の故事は老荘の「無為自然」的文脈に流れてしまいそうではありますが、孔子の説明であれば、その徳があまりに高くあまりに広いので、そう見える、ということになります。君がその力を発揮していないわけではないのです。


 「成功」は堯の政治の達成された高み、「文章」は後世に残した中国の文化制度。


 堯の事跡は以下。

堯の事跡は、「尚書」の「堯典」に見え、すぐれた道徳的能力差であったこと、天象を観測して、暦をととのえたこと、微賤の身分にあった舜を、後継者として抜擢したことなどが、記されている(吉川「尚書正義」「堯典」篇参照)。それらの事跡は、前条の舜、禹に関する事柄とともに、今日の古代史家からは、歴史でなく伝説であるとして扱われているが、孔子のころには、かえって既に、歴史として意識されていたらしい。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 暦を作る、というのは宇宙(空間と時間)に法則をつけるということですから文明の基本であり、古代社会にはほとんど神の領域でした。それが堯に仮託たのですから、中国文明文化の発祥とも見なされるのでしょう。

2009-09-23

[][][][]泰伯第八を読む(その10) 21:21 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その10) - 蜀犬 日に吠ゆ

舜禹の天下を有つや

 泰伯第八(185~205)

201 子曰。巍巍乎。舜禹之有天下也。而不与焉。

(訓)子曰く、巍巍たるかな、舜、禹の天下を有(たも)つや。而してこれに与からず。

(新)子曰く、崇高といえば、舜や禹の天下を治めるやり方だ。少しも天下を治めているように見えぬ所が偉いのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ここから205まで、古代の聖王を春秋の筆法で述べる!


 巍巍は「高大なさま」、高い山のことですから、見上げるばかりに素晴らしい、という事でしょう。


 舜と禹の徳の高さ、それは「而不与焉」である、ということですが、これは「ことに与(あづ)からず」ととれば、宮崎先生のように「天下を治めているように見えぬ」、金谷先生「自分では手を下されなかった」という解釈になりましょう。また、「心を与からず」とするなら宇野先生のように「名誉だとか楽しいだとかいうことがない」となります。


 一つには、もちろん教育感化の問題があります。君主の仕事はあれこれ命令を出すことにではなくてその美徳で周囲を感化していくことにあります。あくせくはたらくのは有司の仕事であって、衆星が共う中心にいるのが儒教におけるマネジメントとなるのでしょう。


 もう一つは、理想の帝王学といいますか、鼓腹撃壌は堯ですが、ああいう、人々にいちいち意識されないような君主が最高であるという考え方から、王であるからといって何らかわることなく平静に過ごすことができるというのは、実際の勤勉はともかくそれを民に知らさないのがたしなみというものですね。



 舜、禹というのは古代の架空の聖王ですからこうして美化してかまわないわけで、実際の政治はそんなわけにはいかないというのも、それはそれで一面の真実ではあるでしょう。しかし、孔子の教えはあくまで信而好古


 ↓他の人の意見

第十五章 人間、ことに世の君主の、毀誉褒貶はなにによるのか

 では、夢物語の君主に関する話はおいて、あれこれの実在の人物を論じよう。

マキアヴェリ 池田廉『君主論』中公バックス
第十七章 冷酷さと憐れみ深さ。恐れられるのと愛されるのと、さてどちらがよいか

愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である。というのは、一般に人間についてこういえるからである。そもそも人間は、恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲得には目がないものだと。

 そのため、あなたが恩恵をほどこしているうちは、みながあなたの意のままになり、血も家財も生命も、子供たちさえあなたに捧げてくれる。とはいえ、さきにも(第九章)述べたとおり、それほどの必要性がまだはるか先のときはである。そして、いざ本当にあなたに必要がさしせまってくると、きまって彼らは背をむける。そこで、彼らの口約束に全面的にのってしまった君主は、ほかの準備がまったく手つかずのため、滅んでいく。偉さや気高い心に惹きつけられてでなく、値段で買いとられた友情は、ただそれだけのもので、いつまでも友情があるわけではなく、すわというときの当てにはならない。

 たほう人間は、恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。その理由は、人間はもともと邪なものであるから、ただ恩義の絆で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち断ち切ってしまう。ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなたは見放されることがない。

 ともかく、君主は、たとえ愛されなくてもいいが、ひとから恨みを受けることがなく、しかも恐れられる存在でなければならない。なお恨みを買わないことと、、恐れられることとは、りっぱに両立しうる。

マキアヴェリ 池田廉『君主論』中公バックス

 舜と禹はここが『論語』初登場?でしょうか。舜は「雍也第六」に堯舜も其れ猶お悩む、として登場していましたね。吉川先生による解説を書き留めておきます。

舜とは、堯・舜の舜であって、おろかな、いやしい農民の子であったが、前任の皇帝である堯から、抜擢されて、その譲位をうけ、完全な道徳政治の時代を現出したと、伝えられる皇帝であり、その事跡は、いまの「尚書」、すなわち「書経」の、「舜典」篇(吉川「尚書正義」岩波版第一冊、全集八巻)に見える。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

また、禹とは、舜の時代の大問題であった洪水を治め、その功績により舜の譲位をうけて皇帝となり、夏王朝の開創者となったと、伝えられる英雄である。その事跡は、「尚書」の「禹貢」篇(吉川「尚書正義」岩波版第二冊、全集八巻)その他に見える。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

2009-09-21

[][][][]泰伯第八を読む(その9) 19:23 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その9) - 蜀犬 日に吠ゆ

狂にして直からず

 泰伯第八(185~205)

200 子曰。狂而不直。侗而不愿。悾悾而不信。吾不知之矣。

(訓)子曰く、狂にして直からず、侗(おろか)にして愿(つつしみ)あらず、悾悾(こうこう)として信ならずんば、吾れを知らざるなり。

(新)子曰く、自信過剰の上に正直さを欠き、田舎者でありながら素朴さがなく、真面目そうに見えてその場かぎりの人間は、私も言いようを知らない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 宇野先生は蘇東坡を引いて前半部分を付け加えます。

 蘇東坡が曰うには、「天は物を生じて、一様の気質を与えない。その材が中以下の者は、この徳があればこの病があるし、この病があれば必ずこの徳がある。故に蹴ったり噛んだりする馬は必ず善く走るし、善く走らない馬は必ず従順である。このやまいがあってこの徳のないのは天下の棄材である。」

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 普通の人は欠点のあることを免れないが、欠点があれば又これに伴う美点もあるものである。志が大きくて小事に拘わらない者は多くは正直(せいちょく)である。無知なる者は多くは謹厚である。無能な者は多くは信実である。今志が大きくて小事に拘わらない者でありながら正直でなく、無知でありながら謹厚でなく、無能でありながら信実でないならば、欠点ばかりで美点がないものであって、わしはこれらをどうして好いかわからない。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 孔子はときに「狂」をさえ賞めるときがあります。中庸の徳を完成することは難しくてだれにでもできることではない。その時は狂もまたやむなし、という段階を踏んでではありますが。

子路第十三

 先生がいわれた、「中庸の人をみつけて交われないとすれば、せめては狂者か狷者だね。狂の人は(大志を抱いて)進んで求めるし、狷の人は(節義を守って)しないことを残しているものだ。」

金谷治『論語』岩波文庫

 狂は中庸からはずれた極端ではありますが、美徳ではあるのです。ただそれが、正直さを欠くというのでは、狂の内実が怪しくなります。

 以下、侗にせよ悾悾にせよ同じ。世間で悪徳とされている振る舞いの、世間は外見を見て批判しますが、孔子は内面の良さを認めます。内面が駄目なら駄目。

 こうした「狂」「侗」「悾悾」は、「礼をもって之を約す」となれば一番いいこと、いうまでもありません。


学は及ばざるが如くするも

 泰伯第八(185~205)

201 子曰。学如不及。猶恐失之。

(訓)子曰く、学は及ばざるが如くするも、猶おこれを失わんことを恐る。

(新)子曰く、学問は追いかけるようにしてついて行っても、それでも姿を見失いそうになるものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「失」を、「学問の方向性を見失う」、とするか「学問で得たものを失ってしまう」とするかで解釈は異なりますが、どちらにしても成り立つとは思います。前者であればこれからすべき未来の学問を失い、後者と取ればこれまでにした過去の学問を失う、ということになります。

 ただわれわれは現在にしか生きるわけに行かないのですから、未来におびえ過去におののいている暇はありません。必死に追いかけることだけが、学問なのでしょう。

 現在の学問を失うことはないのでしょうか? つまり、今学問だと信じてやっていることが空虚であるということは。私の好きな金剛経の一節、

金剛般若経 18b

佛告須菩提。爾所國土中所有衆生若干種心。如來説諸心皆為非心是名為心。所心者何。須菩提。過去心不可得。現在心不可得。未來心不可得。


仏、須菩提に告げたもう、「そこばくの国土の中のあらゆる衆生の若干種の心を、如来は悉く知る。何を以ての故に。如来は、もろもろの心を説きて、皆非心となせばなり。これを名づけて心とす。ゆえはいかに。須菩提よ、過去心も不可得、現在心も不可得、未来心も不可得なればなり。


師は言われた――「スブーティよ、これらの世界にあるかぎりの生きものたちの、種々さまざまな心の流れをわたしは知っているのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、『〈心の流れ〉〈心の流れ〉というのは、流れではない』と、如来は説かれているからだ。それだからこそ、〈心の流れ〉と言われるのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、過去の心はとらえようがなく、未来の心はとらえようがなく、現在の心はとらえようがないからなのだ。

中村元・紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』岩波文庫

 絶えず変化をつづけるものを「こうである」と定義して、標本室にピンで留めておくことなどできないのはお釈迦様の言うとおりなのでしょうけれども、だからといってそれを明らかにすることをやめていいわけではありません。人は、仏となるために、すべての心が非心であると見極められるようになることが、仏教の目標であります。

 儒教でも、ゆえにこそ力のかぎり追いかけることが進められるわけです。

2009-09-20

なんでひとりに

[][][][]泰伯第八を読む(その8) 21:23 はてなブックマーク - 泰伯第八を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

三年学んで

 泰伯第八(185~205)

196 子曰。三年学。不至於穀。不易得也。

(訓)子曰く、三年学んで、穀に至らざるは、得やすからざるなり。

(新)子曰く、三年学問を続けても、俸給にありつきたいと思わぬのは、奇特な人間というべきだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 普通は職を得るために学問するので、これはそういう実利を求める気持ちでは学問はつづかないことを諫めたのでしょう。

 あるいは、自分がなかなか就職できないことを揶揄されて切り返したのかもしれません。

 別な解釈としては、

 老先生の教え。三年間、(私のところで)学んで、仕官して俸禄を得ることができない者は、見当たらない。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 絶対就職! なんだか専門学校の宣伝のようでもあります。


 「穀」を「善」と読み、三年間学問しながら、善に到達しないものは、めったにない。それが古注に引く孔安国の説である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 三年勉強すればいっぱしの君子になれるなんて、それはちょっと甘いような記がしますね。日、暮れて道遠しってものですよ。

 「穀」をやはり「俸禄」の意味とするが、三年勉強した結果として、官吏として俸給を得べき資格に到達しないもの、それはめったにない。つまり、三年間の勉強は、社会人としての地位を、おのずから保証する。これは、皇侃の「義疏」に引いた東晋の孫綽の説である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 うう。何年も就職できない人は、学問を修めたに値しないのですね。それはその通りなんですけれども、ぼくはほんたうにつらいなあ。


 従来の解釈に、三年勉強しても俸給にありつけぬようなざまでは、一生かかってもむつかしかろう、とする説がある。しかし、不易得はやはり、貴重で得難いと解するのが自然であろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 その通りです、さすが宮崎先生、わかっていらっしゃる。


篤く信じて学を好み

 泰伯第八(185~205)

197 子曰。篤信好学。守死善道。危邦不入。乱邦不居。天下有道則見。無道則隠。邦有道。貧且賤焉。恥也。邦無道。富且貴焉。恥也。

(訓)子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道あるときは見(あら)われ、道なきときは隠つ。邦に道ありて、貧にして且つ賤しきは恥なり。邦に道なくして、富み且つ貴きも恥なり。

(新)子曰く、一生をうちこんで学問を好み、命にかけても実践を大事にする。亡びかけた国には入らず、乱れた国には住まわぬ。天下がよく治まった時には出世し、乱れた世の中では無視される。正義の行われる国に住んでいて、貧乏で地位がないのは、恥ずかしいことだ。しかし不義の通る国にいて、金持ちだったり地位が高かったりするのはもっと恥さらしというべきだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 前半部分は、用いられれば働き、罷めさせられれば引込んで音もたてぬ、暴虎馮河の話の時と同じですね。危邦乱邦への注意深さは戦戦兢兢にもあるように、自分の命かわいさというのではなくて「孝」のためでしょう。


 後半は、清貧を貴びすぎる隠者の思想と一線を画す孔子ならではの思想でしょう。そもそも人間は、与えられた能力を十分に発揮して人生をおくることが望ましいのであって、学に志すのはその資質を高めてのちにそれを世のため人のために使うのが目的のはず。邦に道がないのは天の時や地の利もかかわることですから、それを人力でひっくり返すことはできるわけもなく、忍んで待つなりよそへ移るなりするべきですが、邦に道があるのに鳴かず飛ばずと云うのでは、日頃の研鑽と称する活動も怪しかったといわざるを得ないでしょうね。(という解釈では、三年学んでうだつが上がらなければもう駄目だ、につながってしまいましょうか。)


其の位にあらざれば

 泰伯第八(185~205)

198 子曰。不在其位。不謀其政。

(訓)子曰く、其の位にあらざれば、其の政を謀らず。

(新)子曰く、所管以外の政治には、傍から口出しをしない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 命令系統の混線は組織の意味を失わせますからね。しかし責任のないことについてとなると途端に饒舌になる人が多いことから、ほんとうに神さまは人間をつくるとき性能を悪く作りましたよ。


 ついでに、憲問第十四にもおなじ章句が。

 子曰、不在其位、不謀其政。

 子の曰わく、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。

金谷治『論語』岩波文庫

師摯の始めは

 泰伯第八(185~205)

199 子曰。師摯之始。関雎之乱。洋洋乎。盈耳哉。

(訓)子曰く、師摯の始めは、関雎の乱(おわり)のころおい、洋洋として耳に盈(み)てるかな。

(新)子曰く、音楽師の摯が奏する第一楽章は、関雎の章の終りのあたりまでくると、なんともいえぬ妙なる調べが、洋洋として耳から去らぬ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 音楽は、空間を越えていく力に秀でていますが、時間を超えることは難しい。こうした章句は多くの解釈がありますが、そのもとの音楽に触れることが絶望的なのですから、解釈するだけ不毛なのかもしれません。

 詩経国風の關雎(みやこどり)に関しては、1句を以前に書きうつしましたが、今回は第5句、最終句を移しておきます。しかしこの詩は2・4・5句が同形式の疊詠なので、乱調子かどうかはわかりませんよね。

1 關雎(みやこどり)

5 參差荇菜

 左右芼之 mo

 窈窕淑女

 鍾鼓樂之 lok


 參差たる荇菜は

 左右にこれを芼(えら)ぶ

 窈窕たる淑女は

 鍾鼓これを樂しむ


 おひいづる じゆんさいを

 みぎひだり えらびとる

 たをやかの かのひとは

 かねうちて たのしまむ

白川静訳注『詩経国風』東洋文庫 平凡社