蜀犬 日に吠ゆ

2013-11-05

[][]干し柿 12:30 はてなブックマーク - 干し柿 - 蜀犬 日に吠ゆ

 さういう季節に なりにけるかも

2011-09-17

[][][][][]秋のうた を読む(その41) 21:36 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その41) - 蜀犬 日に吠ゆ

81

 よろこべばしきりに落つる木(こ)の実(み)かな

               富安風生(とみやすふうせい)



 『草の花』(昭八)所収。昭和五十四年二月、九十三歳で逝去した作者が、四十八歳で出した第一句集の代表作。風生晩年の句には、大切に老年期へ乗り入れた人の、腰のすわった風格があるが、普通、風生といえばまずあげられるのがこの句。よく知られているのに、何度読んでも古びが来ないのは大したものだと思わせられる。作者の心が自然界に対していきいきと開かれているのだ。それに、無技巧にみえて実際は句に隙(すき)がないのである。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 身近に樹が生えてない、、、。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-09-16

[][][][][]秋のうた を読む(その40) 21:18 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その40) - 蜀犬 日に吠ゆ

79

 蟋蟀(こほろぎ)が深き地中を覗(のぞ)き込(こ)む

                山口誓子


 『七曜』(昭一七)所収。誓子は三十代後半から四十代にかけて病身だった。日本が太平洋戦争に突入してゆく時代だった。そのためか、昭和十年代の句には深沈と暗い作が多い。暮秋、衰えはてたコオロギがのぞきこむ「深い地中」ははてもなく真暗だろう。句は超現実の心象風景ともいえるが、深くうつむくコオロギを、ひとり沈思する眼中に見つめている作者の心は、暗い夜の風に吹かれて荒涼としている。不気味な力強さをもった句だ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「地中を覗き込む」というのは、蟻の巣でものぞいているのでしょうか。ぢっと地を見るならできますが、地中をのぞくのは、眼光紙背的な譬喩でしょう。うつむいて地中に何があるか見通そうとするが、闇しか見えない。


80

 未婚の吾の夫(つま)のにあらずや海に向き白き墓碑ありて薄日あたれる

                  富小路禎子(とみのこうじよしこ)


 『白暁』(昭四五)所収。植松寿樹に師事した戦中世代に属する歌人。同時期の作に「女ひとり住む部屋の内に秋くればなべて中に鏡顕(た)ちくる」という歌もある。未婚のまま中年になり、意志強く生きる女性に、ふと訪れる放心の中の夢想、それを、感傷とは異なる哀感をこめて歌う。海に向いて立つ一基の墓を、結婚した事もない自分の夫のものではないかと、ふと感じる心のさまよい。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 「死んだインディアンがいいインディアン」的なブラックジョーク。存在していないことが確定しているから安心して「俺の嫁」と言えてしまう心象。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-09-15

[][][][][]秋のうた を読む(その39) 19:51 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その39) - 蜀犬 日に吠ゆ

77

 がつくりと抜け初(そ)むる歯や秋の風

            杉山杉風(すぎやまさんぷう)


 江戸の大きな魚屋で、芭蕉の門人。芭蕉の経済的後援者だったことは有名。右の句は『猿蓑(さるみみの)』にのるが、初案は「がつくりと身の秋や歯のぬけし跡」として、芭蕉あて書簡に出る。これだと詠嘆が勝ちすぎて、句は集中度に欠ける。改案にはおそらく芭蕉の手が入っているのだろう。近年「がっくり」の語がはなはだしく流行するが、この句あたり、最も早い時期の文学的用例かもしれない。語感を鋭くとらえている。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 この辺は時代的解説が欲しいところ。近年「がっくりの流行」といいますが、掲載された1979年の歌壇で流行したのか、市井で流行したのか。たぶん歌壇なのだろうとは思いますが、「がっくり」が流行するって状況はすこし想像しづらいですね。


78

 秋の暮溲罎(しゅびん)泉のこゑをなす

             石田波郷


 『借命(しゃくみょう)』(昭二五)所収。久しく療養生活に明け暮れた波郷は、病中吟に秀句を多く残した。中でも『借命』は代表的句集。「溲罎」(シビンとも)は寝たまま用を足すためのガラス器だが、これが病床の中でたてる音を、ああ、まるで泉の声ではないかというのだ。身は衰えて横たわりながら、勢いよくほとばしるわが体液の音を、泉のようだと聞いている心理は複雑だろう。しかし句は澄明、諧謔の味も抜群。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 また体言止めだ。糞袋と自嘲してこその諧謔であって、泉の湧くのに例えるのはナルシズムだろうよ。二周回って、自然と一体なのだと自己規定できないと自我を保てない病人の嗚咽を聞け。

 大岡先生とは、まただいぶ離れた所に突き進んでいる自分がいます。


折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-09-14

[][][][][]秋のうた を読む(その38) 19:30 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その38) - 蜀犬 日に吠ゆ

75

 秋風にこゑをほにあげてくる舟はあまのとわたる雁(かり)にぞありける

                       藤原菅根(ふじわらのすがね)


 『古今集』秋歌上。平安中期の学者官人。南下してきた雁を、天上の海をこぎ渡る舟にたとえている。「ほ」はここでは雁の声が高く秀(ひ)いでて目立つ意の「秀(ほ)」だが、同じ音のつながりで「帆」に通じる。さらにその縁で「舟」が導き出された。「あまのと(天の門)」の「門」は、水が陸地にはさまれる瀬戸(せと)や水門(みなと)(港)のト。雁の鳴き声がまた櫓(ろ)声を連想させる。こうして雁の渡る空は、言葉の想像世界で、海に変容するのだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 技巧を凝らしたことは分かるんですが、「五・八・五・七・八」と字余りが二カ所もあるので読みづらいです。「こゑをほにあげ」でいいようにも思いますが、平安時代だと「て」は省略できないのでしょうか。


76

 大江山かたぶく月の影さえて鳥羽田の面に落つるかりがね

            前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)


 『新古今集』秋歌下。政変のため四度にわたって天台座主(ざす)の辞退と復任をくりかえした人。関白藤原忠通の六男。『新古今』入集九十二首は西行につぐ。落雁の歌だが、落雁はふつう地におりた雁を歌う例が多いのに対し、これは空から降下しつつある雁を歌う。京の西方大江山に冴え渡る月に、南方鳥羽田の野に落ちる雁を配する。暮秋の情を、歌によって一幅のさびさびとした絵に描いたともいえよう。史家として『愚管抄』六巻をあらわした人。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 なかなかに雄大な構図であり、動きを取り入れたダイナミックな歌ですねえ。大江山と鳥羽田では、今の京都府の南北がほとんど視野に入ってしまうわけですね。いかに天台山からとはいえ、実際に見えたとは思いにくいので、新古今にありがちな、ムードを出すためことさらに歌枕を詠みこむテクニックですね。

 慈円といえば『百人一首』「おほけなく憂き世の民に おほふかな わが立つ杣に墨染めの袖」というセカイ系の歌が採られていますね。大きな視点で世の中を見ていたんだなあ、と分かります。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

2011-09-13

[][][][][]秋のうた を読む(その37) 19:21 はてなブックマーク - 秋のうた を読む(その37) - 蜀犬 日に吠ゆ

73

 鳥獣虫魚のことばきこゆる真夜(まよ)なれば青人草(あをひとくさ)と呼びてさびしき

                          前 登志夫(まえとしお)


 『縄文紀』(昭五二)所収。吉野生まれで今でもそこに暮らす歌人。身辺の風物を歌いつつ古代の時空を呼び戻そうとするのは、吉野の土地柄の自覚に立ってのことだろう。「青人草」は民草、蒼生と同じ意味で人民のこと。人がふえるのを草の繁茂にたとえた古代的形容。村の深夜、鳥獣虫魚語りかける言葉に耳を澄ましている時、そもそも人もまた「草」ではなかったかという思いにうたれたのだ。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 そして「さびしき」。さびしきがこの句の中心でしょう。鳥獣虫魚の言葉に比べて「青人草」の言葉の、風にそよいでざわざわしているだけの言葉の何と空虚なことでしょうか。

 うちは、真夜中になると近所の飲料水自動販売機の「ありがとうございました」がよく聞こえます。機械の言葉を耳にして、青人草はやがてさびしき。


74

 ぬばたまの夜(よ)の更けゆけば久木(ひさき)生(お)ふる清き川原に千鳥しば鳴く

                            山部赤人(やまべのあかひと)


 『万葉集』巻六。柿本人麻呂と並び称せられてきた万葉歌人。目も耳も深く澄んでいるのがその歌の特徴である。「ぬばたまの」は夜にかかる枕詞。「久木」はアカメガシワの木というが、別の説もある。吉野の宮滝近くに当時あった離宮への行幸に随行した赤人が、周辺の風物をたたえた歌である。同時作の「み吉野の象山(さきやま)の際(ま)の木末(こぬれ)にはここだもさわく鳥の声かも」もよく知られている名歌。

大岡信『折々のうた』岩波新書

 吉野シリーズ。ぬばたまの夜なのに川の清らかさが分かってしまうあたりが赤人の耳の澄みようですかね。久木が久木とわかるってことは、川原まで降りたのかもしれませんがそれはあまりに危険ですから、風のうなり方で生えている木も特定できちゃうんでしょう。

 いや、「赤人」ってくらいだから赤外線モニタリングができるのかもしれません。判断保留。

折々のうた (岩波新書 黄版 113)

折々のうた (岩波新書 黄版 113)