蜀犬 日に吠ゆ

2016-10-08

[][][]言葉の始まり、うたのはじまり~~「中国文学という方法」と「古今和歌集」から 17:30 はてなブックマーク - 言葉の始まり、うたのはじまり~~「中国文学という方法」と「古今和歌集」から - 蜀犬 日に吠ゆ

 漢文の本を読んでいたら、古今和歌集の話が思い起こされました。

文学意識の自覚

『毛詩』大序

 中国で最も古い文論は『毛詩』大序だと言われます。『毛詩』というのは『詩経』のことです。『詩経』は始め歌として口承で伝えられましたが、漢代になって文字化された際に、四系統の『詩』ができました。『毛詩』はその中の一つで、毛氏(毛さん)という人の作ったテキストです。後に残りの三つのテキスト(『韓詩』『魯詩』『斉詩』の三家詩)が全て滅びてしまったので、現在我々の見ることのできる『詩経』は『毛詩』だけです。この『毛詩』には序文がついていて、そこに原初的な形の文学論が記されているのです。それは以下の通りです。

詩者志之所之也。在心為志、發言為詩。情動於中、而形於言。言之不足、故嗟歎之。嗟歎之不足、故永歌之。永歌之不足、不知手之舞之、足之蹈之也。

(詩は志の向かうところである。心の中にあるときは志であり、言葉になって発せられると詩になるのだ。心の中に情が動くと、それは言葉になって表れる。言葉で表しても足りないときは、大きく感嘆する。感嘆しても足りないときは、声を長くして歌う。歌っても足りないと、知らず知らずのうちに手足が踊り出すのだ。)

(略)

情發於聲、聲成文、謂之音。治世之音、安以樂、其政和。亂世之音、怨之怒、其政乖。亡國之音、哀以思、其民困。故正得失、動天地、感鬼神。莫近於詩。先王以是經夫婦、成孝敬。厚人倫、美教化、移風俗。

(情は音声になって発せられるが、この音声が「文」すなわち彩模様(あやもよう)を成したもの、これを「音(音楽・メロディー)」という。世の中が良く治まった国の音楽は安らかで楽しい。その国の政治がうまく整っているからだ。乱れた世の音楽は恨みと怒りに満ちている。その国の政治がうまくいっていないからだ。滅びようとする国の音楽は悲しみと憂いに満ちている。その民が行き詰まっているからだ。だから、得失(成功と失敗)を正し、天地を動かし、鬼神を動かすもの、それは詩がもっともふさわしい。先王(古き良き時代の王)は、だから詩を通して夫婦の関係を整え、孝行心と敬愛の情を養い、人倫を厚くして教化を賛美し風俗を良い方に導いたのだ。)

牧角悦子「中国文学という方法」『中国学入門』勉誠出版

 この、「動天地、感鬼神。莫近於詩。先王以是經夫婦、成孝敬。厚人倫、」の件(くだり)、仮名序の「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)のなかをもやはらげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をもなぐさむるは」じゃないかと思って、真名序を読んだら「動天地、感鬼神、化人倫、和夫婦、莫宜於和歌」の脚注に「詩経の大序に「動天地、感鬼神、莫近於詩」とある」ってまんま書いてあったので、あー迂闊でした。真名序もあとで精読しないとなあ。と思いましたことです。

文学意識の自覚

『毛詩』大序

 確かに、音楽はその時勢を反映します。戦乱にあえぐ国、貧困に押しつぶされる国、平和にぼけた国、その人々の発する音楽は、その国の民情の表れだといえるでしょう。ただ、それを、王者の側から人倫の教化と風俗の嚮導(きょうどう)に利用するのが良い、という主張に対して、近代的感性は距離、あるいは拒否を感じるのではないでしょうか。音楽は政治の為にあるのではない。と。

牧角悦子「中国文学という方法」『中国学入門』勉誠出版

 ううむ。ここはどうでしょうかね。鼓腹撃壌のことを考え合わせると、「和楽の音楽を強制して国民の幸福度を上げる」というよりは、儒教理念から「民の声は天の声、それは民の音楽から聞くことができる」という話なのではないでしょうか。

文学意識の自覚

『毛詩』大序

 ここに引いた『毛詩』大序は、おそらく前漢(前二〇六~八)の末ころのものです。前漢から後漢(二五~二二〇)にかけて、漢という王朝が儒教国家としての理念を強固にしていくまさにその時代に書かれたこの詩論は、心情の吐露としての詩を、直接的に王者の政治に結び付ける意図を持った、非常に儒教的な文学観の典型です。

牧角悦子「中国文学という方法」『中国学入門』勉誠出版

 ああ~、しかし、「怪力乱神を語らず」の先入観があったから、「鬼神をも感じさせ」と儒教を結び付けることができなかったのですな、私は。たしかに民衆の教導という立場は、儒教政治ですね。

中国学入門 中国古典を学ぶための13章

中国学入門 中国古典を学ぶための13章

古今和歌集 (岩波文庫)

古今和歌集 (岩波文庫)

2014-07-15

[][][][]「酒は百薬の長」 16:08 はてなブックマーク - 「酒は百薬の長」 - 蜀犬 日に吠ゆ

 「酒は百薬の長」などと仰せられた王莽のお言葉。

Ⅵ 酒

酒は百薬の長

むかしからいう「酒は百薬の長」なる一句は、酒好きが、酒飲むべからず派に対抗するために言いふらした迷文句のようですが、実はさにあらず、「正史」、つまり最も正統的な歴史書、のひとつである『漢書』に、しかも皇帝の詔勅の中の一句として記録されているのです。

村上哲見『中国の名句・名言』講談社現代新書

Ⅵ 酒

酒は百薬の長

このように由緒正しい一句なのですから、飲むべからず派の人も、ハハーッと恐れ入って、平伏してうけたまわらなければなりません――といいたいところですが、実はこの皇帝、『漢書』に載っているといっても漢の皇帝ではなく、漢の帝位を奪った王莽のことで、しかもその詔勅というのは、政府が財政困難なために酒や塩や鉄とともに政府の専売にすることを宣言するものでした。

 それ塩は食肴(しょくこう)の将、酒は百薬の長にして、嘉会の好、鉄は田農の本……

 とこれらの物資の効用をほめたたえたあと、庶民たちはこれらを自分では作れないので買うしかない、そこで「豪民富賈」=金持ちの商人がもうけて貧民を苦しめる、だから政府が管理してやるのだ、とうまくリクツをtけておりますが、あからさまにいえば政府がもうけようとしたのですから、何も恐れ入るようなことではありません。なお王莽が設立した新という王朝は、こうした努力もむなしくわずか十五年ほどで崩壊し、漢の王朝が復活します。紀元一世紀の初めのことです(王莽の在位は紀元八~二十三年)。

村上哲見『中国の名句・名言』講談社現代新書

 ついでに、酒の専売そのものは前漢武帝の時期(B.C.98)。

Ⅵ 酒

酒は百薬の長

 タネを明かせばこういうことですが、以来「酒は百薬の長」は、酒飲みの呪文として現在に至るまで広く流布しております。(略)兼好法師の『徒然草』には、酒を論じて、

 ……「百薬の長」とはいへど、万の病は酒よりこそおこれ、憂忘るといへど、酔ひたる人ぞ過ぎにしうさをも思い出でて泣くめる、後の世は人の智慧をうしなひ、善根をやくこと火のごとくして、悪をまし、万の戒を破りて地獄におつべし。

 (略)

 そこで兼好法師は酒嫌いかというと、さにあらず、これほど非難しておきながら途中から、

 かくうとましとおもふ物なれど、おのづから捨てがたき折もあるべし。月の夜、雪のあした、心のどかに物語りして杯出したる、よろずの興をそふるわざなり。

 と、一転して酒の良さをいろいろと述べているところをみると、どうやら兼好法師も、酒がやめられなかったひとりのようです。

 夫塩食肴之将、酒百薬之長、嘉会之好、鉄田農之本……

       ――班固『漢書』食貨志

村上哲見『中国の名句・名言』講談社現代新書
中国の名句・名言 (講談社現代新書)

中国の名句・名言 (講談社現代新書)