蜀犬 日に吠ゆ

2019-11-23

[][][]言葉が通じるとき、言語はどのような働きをしているか~~西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書 22:02 はてなブックマーク - 言葉が通じるとき、言語はどのような働きをしているか~~西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 言語学ではなく「認知言語学」への案内書。タイトルにもそう書いてあったのに、つい言語学全体の入門書かと思いこんで読み始てしまいました。読み進めていくと、言語学というのはアプローチの方法によって相反する部分もあり、一概にくくってしまうことの出来ない学問であるようです。

 書いていませんが、おそらく実際のことばを扱う「語学」とも異なる領域を扱っているようです。これはTwitterでそう言っている人もいまして、ああやはり、と思いました。言語学の入門的知識でもあれば語学に役立つかな? という下心をもっていたのですが、そういう風に直接つながっているわけではなさそうです。There is no royal road to learning(.学問に王道(いまでいう高速道路)なし)。

 ただもちろん入門書ですから、はじめに「言語学」全体の説明があります。言語学はまず、言語の歴史的な研究から始まり、その流れをかえたのがソシュールであったということです。つまり、ここで言語学は語学とははっきり分かれたのでしょうか。(p.8~)

西村 (略)現代の言語学は一九一六年に出版されたソシュール(Ferdinand de Saussure)のCours de linguistique générale(邦訳『一般言語学講義』、小林秀夫訳)から始まったと考えてよいと思います。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

 つづき

西村 (略)ソシュールの前にも、言語に関する研究は行われていましたが、これは歴史的な研究が中心でした。ヨーロッパの言語の多くやサンスクリット語の間には系統関係があることが分かってきて、それらの系統関係がどういうものなのかを明らかにすることが言語学の研究の中心的な課題だったのです。音声的な面を含め、共通の起源とされる言語からさまざまな言語がどういうふうに派生していったのか、またここには一定の法則性がみられたので、その法則性を明らかにしていくわけです。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

 本書の話題から少し離れて。世界史(ヨーロッパ史)の流れとしては、中世の学問的言語であるラテン語の存在があり、口語中心である各国ごとは区別されて当然の時代が続きました。キリスト教の世界観でいえば「バベルの塔」の伝説から、異なる国で異なる言語が存在することは神の裁きの結果だと考えられていたのかなあ。そんなところまで教科書には書いていませんけれども。とにかく、言語学と言う言葉は出てきませんね。それで母語ではないラテン語を操るために文法(自由七科の修辞?)の分析や研究が行われましたが、教科書ではこれを言語学という風にはいいませんね。

 12世紀ルネサンスの時期、ビザンツやイスラーム世界から流入したギリシアの古典文化がラテン語の文化を支えているギリシア語にも注意が払われるようになりました。それにあわせて、神の言葉ラテン語ならぬ各国の話し言葉によって伝えられた騎士道物語や叙情詩がジャンルとして認められるようになりました。『ローランの歌』(フランス)、『アーサー王物語』(イギリス)とか。イタリア・ルネッサンスののち、ネーデルラントの「貨狄尊者」エラスムス(15世紀後半~1536)はギリシア語聖書の研究で有名ですが、ラテン語の絶対的優位が揺らぎはじめ、ヨーロッパの言語の共通性や多様性が意識されるようになります。言語には地域による違いと、もちろん時代による違いがあるわけですが、まだ言語学は出てきませんね。

 ロココ・バロックの時代(17~18世紀)をすっとばしていいのか分かりませんが、すっとばして18世紀末。各国に言語学者が現れてヨーロッパの、あるいは植民地の言語を研究するうちにサンスクリット文学研究者のウィリアム=ジョーンズが20世紀インドとヨーロッパ諸語の共通点を指摘し、言語系統の理論化がすすみ、言語学(今は比較言語学と呼ばれる分野)は急速に発展することになりました。しかし語族の分類は現在の教科書ではほとんど扱われなくなり、昔の語族系統一覧表も今は載っていないようです。一部資料集には残っていますが、遠からず消えていくのでしょうね。ジョーンズさんの研究は言語学としてもカウントされなくなってしまうのでしょうか。頭が古いのでセム系だのハム系だの話題に上らなくなっていくのはさみしい。暗記する必要はあるか、といわれたら返す言葉もありませんが。

 ナショナリズムとロマン主義の時代。19世紀にグリム兄弟がドイツの「正しいドイツ語」を追求するため民族の伝統や伝承を収集し、『童話集』を編集します。これが教科書に出てくる言語学者としては最初でしょうか。

 閑話休題。このあたりのことどもが「言語学の研究の中心的な課題」であった、と。

 で、ソシュールですよ。(p.9~)

西村 (略)ソシュールは、それまでの言語学が扱っていたような、時間の流れに沿って捉えられる言語のあり方を「通時態」と呼び、それに対して、同時代的に捉えられる言語のあり方を「共時態」と呼んで、まずは共時的な研究が行われるべきだとします。(略)語句だけで意味をもつということはありえなくて、言語全体を一つの体型として、あるいは一つの構造として、捉えなければいけない。(略)

野矢 なるほど、ソシュールによって初めて「言語」という全体が研究対象として浮かび上がってきた。そういう意味で、「現代の言語学を開始した」と言われるわけですね。つまり、言語学とは、「言語という一つの構造体を研究対象とする学問」である、と。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

 はじめ文法の話かな? と思ってしまいましたがそうではなくて「言語学の対象とする範囲」の話でした。ソシュールといえば「構造」ですが、その内容もさることながら、言語学の扱う範囲を規定したという部分で言語学に与えた影響も見過ごすわけにはいかないのだそうです。自分の感覚からすると分かったような分からないような。日々移ろいゆく「言語」を、ある一点で時間を止めてその全体を見わたして研究対象にするようなイメージを持ちましたが、そんなこと現実問題として可能なのでしょうか。また、この手法ならばどのような言語であっても対象に出来そうで、言語というものの本質に迫ることが出来そうですが、その対象とする「言語」を範囲指定できるものなのでしょうか。さっきの比較言語学ではありませんが、同系統の言語や、通常同じ言語とされる範囲内での「方言」の存在はどうするのか。大変そう。

 というわけで、ソシュールの理論は実態の研究においていくつもの方向に分派し、そのなかから「行動主義心理学」に基づく言語学が生まれます。(p.13)

野矢 行動主義というと、「観察可能な行動だけを扱う」という方法論を採用したわけですか? つまり、こういう状況ではこんな言語行動があったという、第三者的に観察可能なことだけを扱っていく。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

 言語が存在して、誰かが意味をもって発話する。それを聞いた人が意味を理解する。日常的な言語活動、言語という現象です。ところが、チョムスキーがこうした流れに真っ向から反対します。

野矢 スキナー流のやり方だと、刺戟とそれに対する反応だけがあって、ここには規則性があるじゃないか、と言う話で終わってしまう。言語の場合だったら、どういう状況でどういう言語行動をとるか、その規則性だけを取り上げる。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

野矢 「言語の創造性」ということを、もう少し。

西村 チョムスキーがとくに注目したのは、母語の場合であれば、新規にいくらでも適切な文を作り出すことができる、また適切な文であれば、初めての文を読んだり聞いたりしてもきちんと理解できるということでした。原理的には、作り出せる文の数、理解できる文の数には限りがありません。そうした創造性をもたらす仕組みを明らかにしなければいけない。そのためには行動主義では無理だと考え、そして生成文法を創始したわけです。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

 ここに来て、言語学の扱う対象がすこしかわってきました。言語の構造というのが、単語の意味や文法のことではなくて、「意味が伝わる仕組み」に注目するようになったのです。先ほど「日々移ろいゆく「言語」」などと気軽に書きましたが、言語が規則的な構造をもつのであれば、なぜ時代や場所によって変化するのか。常に変化するのであればなぜそれが伝わるのか、ということを研究するのも言語学であるということになります。チョムスキーはその仕組みを生成文法と考えて、「統語論(構文論)syntax」を研究しましたが、そこからまた新たに生まれたのが、認知言語学なのだということになります。

西村 まず、認知言語学が生成文法から受け継いでいる、両者の共通点をもう一度確認しておきましょう。言語習得や言語使用を可能にしている知識のあり方を解明することを目標にし、しかもその言語知識をこころの仕組みの一環として捉える、その点では生成文法も認知言語学も違いはありません。

 そのさい、生成文法では、生成文法では、様々な心の仕組み・機能全体の中で、言語知識は自律したまとまりを成していると考えます。(略)

 それに対して認知言語学は、こういう分け方はできないと考える。つまり、言語の能力は他の心の働きと分かちがたく結びついていて、言語知識がどういうものかを明らかにしようと思ったならば、ふつう私たちが言語的ではないと想定している心の働きまで考慮に入れなければならないと考えたのです。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

 ここまでまだほんの入り口。ですが、言語学の扱う範囲が、「言語が伝わるということ」「言語が存在するということ」の意味を問う言語哲学(こちらは哲学の分野)などに近づいてきた結果、認知言語学が生まれたのだという流れとして受け取りました。

 通して読むと、言語のもたらす作用は、意識してみると複雑であり、ふだんは意識せずに意思疎通の機能を使っていたのだということを思い知らされました。認知下言語学の部分についての感想は、多分のちほど。

西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学』

  • 目次
  • はじめに  i
  • 第1回 「彼女に泣かれた」――認知言語学の誕生  3
    • 間接受身   4
    • 言語学とはどういう学問か  8
    • チョムスキーの革命  11
    • 生成意味論の失敗  15
    • 言語知識と心の働き  20
    • 認知言語学ならではの問題  26
  • 第2回 「太郎が花子に話しかけてきた」――文法は意味と切り離せるか  31
    • 広義の文法と狭義の文法  32
    • 語彙項目  33
    • 文法とは何か  35
    • 文法は意味から自立しているか  38
    • 客観主義の意味論  44
    • 認知主義の意味論  45
    • 「てくる」の意味  50
    • 文法化  54
    • 認知文法と生成文法は成立しているのか
  • 第3回 典型的な鳥と変な鳥がいる――プロトタイプと百科事典的意味論  63
    • カテゴリー化  64
    • 古典的カテゴリー観  65
    • 新しいカテゴリー観  69
    • プロトタイプ意味論  73
    • 言語習得における見本の重要性  76
    • 関東と関西では「肉じゃが」の意味は異なる  79
    • プロトタイプとは何か  81
    • 百科事典的意味論  82
    • 「読む」といってもいろいろある  87
    • 典型的な犬の走り方  90
    • 文法項目のプロトタイプ  93
  • 第4回 「死なれた」のか「死なせた」のか――使役構文の家族的類似性  97
    • 言語学で「使役」と呼ばれるもの  98
    • 自他対応  101
    • 「太郎が窓を開けた」では何が原因なのか  103
    • 英語と日本語における自他対応  105
    • 語彙的使役構文と迂言的使役構文  106
    • 「死ぬ」・「殺す」・「死なせる」  110
    • 「この薬があなたの気分をよりよくさせるだろう」  113
    • 日本語では無生物主語の使役構文は言えないか  116
    • 道具主語の使役構文  118
    • 「花子は風で帽子を飛ばしてしまった」  120
    • 受け身と使役  122
    • 日本人と使役構文  125
    • 使役構文のプロトタイプ  126
    • 無生物主語の使役構文とメタファー  130
    • 道具が行為する  134
    • 意図しない結果への派生  135
    • 何もしないことも行為である  136
  • 第5回 「村上春樹を読んでいる」――メトニミーをどう捉えるか  141
    • こんなのもメトニミーなの?
    • メトニミーと多義性  146
    • 動詞のメトニミー  148
    • 参照点理論  153
    • 所有表現の分析  155
    • メトニミーの一方向性と参照点理論  157
    • フレームと焦点  159
    • パルメニデスなんて指示できません  164
    • タフ構文(This book is difficult to read.)  168
    • 初期の分析  170
    • 認知言語学からの代案  172
    • 「パイプが詰まっている」  175
    • 構文の意味とメトニミー的多義  177
    • 迷惑受身  180
  • 第6回 「夜の底が白くなった」――メタファー、そして新しい言語観へ  183
    • メタファーの事例  184
    • 「私たちの生を支えるメタファー」  187
    • 概念メタファー  191
    • 言語学なのか哲学なのか  194
    • 原理なき創造性  200
    • メタファーの誕生と死  205
    • 言語はつねに「揺らぎ」をもっている  208
  • おわりに  213
  • 付録――対談のひとこま  217
  • さらに学びたい人のための文献案内  228
  • 索引  233
西村義樹 野矢茂樹『言語学の教室』中公新書

2015-04-19

[][][][][]丸谷才一「不文律についての一考察」『腹を抱へる』文春文庫 15:47 はてなブックマーク - 丸谷才一「不文律についての一考察」『腹を抱へる』文春文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 丸谷先生の読み物(コラム?短評?)選集が二冊本で出ました。

 欲を言はせてもらへば、「膝を打つ」のはうも歴史的仮名づかいの表題がよかつた。文は人なり、といふなら仮名づかいは多分に丸谷才一の個性であつたのだ(と、おもひません?)。

 文庫は結構読んだはづですが、家の本棚では散逸してをりまして、今回の採録で(あ、読んだことある)という話も手元になかったり、(へえ、知らなかつた)といふやうな話は何遍も読んだ文庫本に入つていたり。ああ、人の記憶の何とはかなきことよ。じつはと申せばさきおとついまで読んでゐた『膝を打つ』のはうはもう所在不明だつたりします。

 なので、なるべくおもしろい話は本をなくすまへに書き留めておきたい。また買えばいいんですけど。

 イチロー選手が大量得点差で勝つてゐる状況で盗塁し、大リーグの精神に悖る、とか何とか言はれた話から、不文律について。

不文律についての一考察

 その、不文律にすべきことを成文法にしたため変なことになつた好例がわが国にあります。これはをかしな法令の最たるものとして有名である。わたしはこのことを笠松宏至さんの論文で知つたのですが、ちよつと紹介しませう。

 御成敗式目といふのは鎌倉時代の法典で、わづか五十一ヶ条より成る。そのなかの一条に悪口の罪といふのがあつて、「闘殺の基、悪口より起る」(喧嘩して殺人になるのは悪口からはじまる)と書き出し、「軽い悪口」でも拘禁、「重い悪口」は流罪と定めた。これはどうやら、面と向かつての悪口を念頭に置いてゐる条文らしいのですが(原文すこぶる難解、よくわからない)、うーん、これはすごいですね。流刑地がたちまち満員になりやしないかと心配である。

 さらに、法廷内での悪口は、当該訴訟「有理」(筋道が通つてゐる)のときは敗訴になり「無理」(道理にはづれてゐる)のときは没収刑といふことに決められてゐた。

 悪口が刑事罰の対象になるなんてことは、日本中世の武家法では極めて珍しいのださうで、このせいでお前は悪口を言つたぞと人をおどしたり、他人の自由や財産を奪ふ理由にしたりしたといふ。

 とりわけひどいのは法廷内の悪口で、何しろ悪口を言つたほうが敗訴と決めてあるのだからいちいち相手の言葉尻をとらへて悪口だ、悪口だ、俺は悪口を言はれたぞと言ひたてた。単に法廷内の言説だけでなく、訴陳状の文言についてもこれは悪口だと騒いだといふ。それはさうだらうな。相手が悪口を言つたことにすればこつちが勝つのだもの。ぜつたい言はせようとするよ。あるいは、言はれたことにしようとするよ。なんだか滑稽でもあるし、哀れでもある。

 そのいろいろな珍談は、『中世の罪と罰』(東京大学出版会)所収の笠松さんの論文で読んでいただくとして、この悪口罪なんか、成文法にしたせいで、をかしなことになつたのである。他人の悪口なんか面と向かつて言はないのが武士のたしなみといふ不文律で充分なのだ。立法者の北条泰時は武士たちの分別を信用してゐなかつたので、こんな失態を演じたのだらう。

丸谷才一『腹を抱へる』文春文庫
中世の罪と罰

中世の罪と罰

2015-01-12

[][][]丸山真男『日本の思想』岩波新書 20:40 はてなブックマーク - 丸山真男『日本の思想』岩波新書 - 蜀犬 日に吠ゆ

 何度か通読したはずなのに、全く頭に入らない、私にとっては難解本。なにか、歯車が合わないのでしょうね。あるいは、この本を理解するためのパーツがいくつか未だに缺けているとか。

目次
Ⅰ 日本の思想 ……一
  • まえがき
    • 日本思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか(二)
    • 日本における思想的座標軸の欠如(四)
    • 自己認識の意味(五)
    • いわゆる「伝統」思想と「外来」思想(八)
    • 開国の意味したもの(八)
    • 無構造の「伝統」その(一)―思想継起の仕方(一一)
    • 無構造の「伝統」その(二)―思想受容のパターン(一三)
    • 逆接や反語の機能転換(一六)
    • イデオロギー暴露の早熟的登場(一七)
    • 無構造の伝統の原型としての固有信仰(二〇)
    • 思想評価における「進化論」(二二)
    • 近代国家の基軸としての「國體」の創出(二八)
    • 「國體」における臣民の無限責任(三一)
    • 「國體」の精神的内面への渗透性
    • 天皇制における無責任の体型(三七)
    • 明治憲法体制における最終的判定権の問題(三九)
    • フィクションとしての制度とその限界の自覚(四二)
    • 近代日本における制度と共同体(四四)
    • 合理化の下降と共同体的心情の上昇(四七)
    • 制度化の進展と「人情」の矛盾(四九)
    • 二つの思考様式の対立(五二)
    • 実感信仰の問題(五三)
    • 日本におけるマルクス主義の思想的意義(五五)
    • 理論信仰の発生(五七)
    • 理論における無限責任と無責任(六〇)
  • おわりに

Ⅱ 近代日本の思想と文学……六七

―一つのケース・スタディとして―

  • まえがき
    • 政治―科学―文学
    • 明治末年における文学と政治という問題の立てかた(七一)
    • 文学の世界をおそった「台風」(七四)
    • 「社会」の登場による走路の接近(七五)
    • マルクス主義が文学に与えた「衝撃」(七七)
    • 文学者に焼付けられたマルクス主義のイメージ(八〇)
    • 昭和文学史の光栄と悲惨(八二)
    • 政治(=科学)の優位から政治(=文学)の優位まで(八三)
    • プロ文学理論における政治的および科学的なタータリズム(八五)
    • 政治的と図式的(八八)
    • 政治過程におけるエモーションの動員(八九)
    • 政治における「決断」の契機(九三)
    • 思考法としてのトータリズムと官僚制合理主義(九四)
    • 政治の全体像と日常政治との完全対応関係(九七)
    • 方法的トータリズムの典型(九九)
    • 政治(=科学)像の崩壊―転向の始点と終点(一〇一)
    • 日本の近代文学における国家と個人(一〇二)
    • 「台風」の逆転と作家の対応の諸形態(一〇五)
    • 旧プロ文学者における文学の内面化と個体化(一〇六)
    • 対立物(文学主義)への移行契機(一〇九)
    • 文化の危機への国際的な対応(一一一)
    • 各文化領域における「自立性」の模索(一一二)
    • 政治・科学・文学における同盟と対抗の関係(一一四)
    • 科学主義の盲点(一一五)
    • トータリズムの遺産の否定的継承(一一七)
    • 「意匠」剝離の後に来るもの(一一九)
  • おわりに

Ⅲ 思想のあり方について……一二三
    • 人間はイメージを頼りにして物事を判断する(一二四)
    • イメージが作り出す新しい現実(一二六)
    • 新しい形の自己疎外(一二八)
    • ササラ型とタコツボ型(一二九)
    • 近代日本の学問の受け入れかた(一三二)
    • 共通の基盤がない論争(一三四)
    • 近代的組織体のタコツボ化(一三七)
    • 組織における隠語の発生と偏見の沈殿(一三八)
    • 国内的鎖国と国際的開国(一四〇)
    • 被害者意識の反乱(一四一)
    • 戦後マス・コミュニケーションの役割(一四五)
    • 組織の力という通念の盲点(一四七)
    • 階級別にたたない組織化の意味(一四九)
    • 多元的なイメージを合成する思考法の必要(一五〇)

Ⅳ 「である」ことと「する」こと……一五三
    • 「権利の上にねむる者」(一五四)
    • 近代社会における制度の考え方(一五六)
    • 徳川時代を例にとると(一五八)
    • 「である」社会と「である」道徳(一五九)
    • 「する」組織の社会的擡頭(一六〇)
    • 業績本位という意味(一六三)
    • 経済の世界では(一六四)
    • 制度の建て前だけからの判断(一六六)
    • 理想状態の神聖化(一六八)
    • 政治行動についての考え方(一七一)
    • 市民生活と政治(一七三)
    • 日本の急激な「近代化」(一七四)
    • 「する」価値と「である」価値との倒錯(一七六)
    • 学問や芸術における価値の意味(一七七)
    • 価値倒錯を再転倒するために(一七九)

  • あとがき……一八一
丸山真男『日本の思想』岩波新書
日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

2014-02-10

[][][]丸谷才一『人形のBWH』文春文庫 08:55 はてなブックマーク - 丸谷才一『人形のBWH』文春文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

 

ロンメル戦記

 無理に名づければ身長史観とでもいふことになるかもしれない変なものを、わたしは多年、抱懐してゐる。そんなことになつたのは同時代人についての観察の結果ですが、これを詳しく述べると、同時代人のなかの丈(せい)の低い人たちに迷惑をかける。口をつつしまなければならない。

 ただ、この史観が成立するに当つて、野坂昭如さんが何十年か前に口にした、五十音順史観とでも呼ぶべきものが影響してゐることは言つてもかまはないかもしれぬ。あれを聞いてわたしは一笑し、一理あるかもね、と思つたのだつた。

 その説は、姓がアイウエオで、五十音図の前のほうに属してゐる人物は、小学生のときからはじめに呼ばれつけてゐるせいか、権力意志が強くなりがちだといふので、同時代の文化人数氏を具体例としてあげてゐた。それから、五十音図のあとのほうに来る人物は、同じ理由から権力意志が薄れがちだといふので、これは固有名をあげても差支へなからう、安岡章太郎とか吉行淳之介とかを例として出してゐた。

 わたしは先年、何かの拍子にふとこの説を思ひ出し、ただし野坂さんと違つてもつと気宇壮大に、秀吉も信長も家康も小男だつたにちがひない、それでそのくやしさをエネルギーにして天下が取れたと推定したのである。

丸谷才一『人形のBWH』文春文庫
人形のBWH (文春文庫)

人形のBWH (文春文庫)

2013-08-26

[][][][]メッセージフロムヘヴン~~木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫 13:39 はてなブックマーク - メッセージフロムヘヴン~~木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

第5章 天使からのメッセージ ~天使はキューピッドではない!~

優しいだけではない天使

 天使は純粋な精神体で、天上においてはエーテル(天体の世界を構成する物質)で構成されていると考えられています。つまり、本来は肉体は持たず、姿や形やサイズが決まっているというものでもありません。ただ、地上においては物質化して人間のように見えるといった考え方です。ここが画家が天使を表現する際に難しい点であり、実際、多くの画家たちが悩んできました。だからこそ天使は、時代により画家により、女性、少年、青年、および幼時のようにさまざまな姿で表現されてきました。ですが本来、性は存在せず、中性です。

 天使(angel)は、ギリシア語で使者を意味する angelos に由来し、その名のとおり神の使者、神の意志を人間に伝えるメッセンジャーの役目を担っています。また、天使は東方の宗教から発生したともいわれており、キリスト教だけでなく、ユダヤ教やイスラム教にも登場します。イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と同じ系譜の宗教です。

 例えば、ユダヤ教の聖典である旧約聖書にも数々の天使にまつわるエピソードが登場します。エデンの園を守っているのも天使ですし、モーセの願いを拒絶してイスラエルの民を解放しなかったエジプトに神の制裁をもたらすため、エジプト中の初子を皆殺しにしたのも天使です。わたしたち日本人は、天使というと甘いイメージを抱きがちですが、天使は人間にとって優しいだけの存在ではありません。神様のメッセンジャーである以外にも、罪人を罰したり、神の兵士となったり、天体の運行や天地創造にかかわるなど、さまざまな役目を担っています。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

第5章 天使からのメッセージ ~天使はキューピッドではない!~

天使のヒエラルキー

 さて、天使たちにも階級が存在します。これらの階級は5世紀くらいから体系化され始め、12~13世紀に神学者たちによって確立されました。学者や宗教によって多生の違いはありますが、一般的に階級は次の全九層からなっています。

●上級天使

第1位 セラフィム(熾天使) もっとも神に近い天使。純粋な光と思考の存在。

第2位 ケルビム(智天使) 知識と仲裁の天使。旧約聖書ではエデンの園の東門の護衛役。

第3位 スロウンズ(座天使) 神の玉座を運ぶ、正義の天使。

●中級天使

第4位 ドミニオンズ(主天使) 神の意志を実行するために、さまざまな活動をする天使。

第5位 ヴァーチューズ(力天使) 地上の奇跡つかさどり、人々に恵みや勇気を与える。

第6位 パワーズ(能天使) 悪魔の侵入を阻止する天使。常に悪魔の軍勢と対峙しているため、悪魔の誘惑にさらされる機会も多く、堕天使になる可能性が最も高い。

●下級天使

第7位 プリンシパリティーズ(権天使) 地上における国や都市の守護を担う天使。人間の指導者を監視し、その信仰と正義を鼓舞する。

第8位 アークエンジェルズ(大天使) 神の意志や言葉を人間に伝達する天使。

第9位 エンジェルズ(天使) もっとも人間に近い存在の天使。人間のすべてを監視し、激励したり鼓舞したり、悪にむかう心を諫めると考えられている。

 天使は、上級位になればなるほど神の座に近く、光や炎といった霊的な存在となり、下級位になればなるほど人間に近い実体を持つようになります。そして上級、下級にかかわらず、地上に降り立った天使は地上にいる時間が長いほど実体を持つようになります。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

第5章 天使からのメッセージ ~天使はキューピッドではない!~

ところで天使は何人いるの?

 私たちがふつう「天使」と呼んでいるのは、いちばん階級の低い、文字どおりの天使です。よくガーディアンエンジェル(守護天使)などという言葉を聞きますが、この守護天使のカルトが盛んになったのは16世紀から17世紀です。

(略)

 そして現在、ローマ・カトリック教会は天使の存在を認めていますが、階級については言及していませんし、名前をつけているのは3人だけです。聖書にもしばしば登場し、したがって宗教画にもよく描かれる大天使ミカエル、大天使ガブリエル、大天使ラファエルです。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

 エンジェルって、「~人」で数えるものなのでしたか。


名画の言い分 (ちくま文庫)

名画の言い分 (ちくま文庫)



[][][][]キリスト教教会とギリシア・ローマの神々~~木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫 13:03 はてなブックマーク - キリスト教教会とギリシア・ローマの神々~~木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫 - 蜀犬 日に吠ゆ

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華

美術の力で国民の士気高揚

人間、裕福になりますと、苦しいときの神頼みということがなくなってきます。中世の頃、ヨーロッパの人々は神様にがんじがらめにされていました。もう、神様に束縛されるのはこりごりだ、現世を楽しもうじゃないか、マンジャーレ(たべよう)、カンターレ(歌おう)、アマーレ(愛し合おう)と、再び人間中心の時代となっていくわけです。そこで、同じように人間中心の時代だったギリシア・ローマ時代に非常に興味を抱くようになりました。

 人間というのは、いつの時代もどこの国でも、裕福になると必ず同じことをします。何をするかというと、骨董品の収集です。それまでは中世のキリスト教関連のものばかりを集めていた人々が、しかめっ面をしたマリア様よりは美しいマリア様、それにやはり愛と美の女神ヴィーナスがステキじゃないのと、ギリシア・ローマ時代の骨董品を集めるようになっていきます。

 (略)

 フィレンツェの人々はそのギリシアに憧れ、その文明を継承したより身近なローマにあこがれます。ギリシア・ローマ時代の人文学、美術、神々をリナーシタ=再生しようとしていきます。このリナーシタ=再生するという言葉から、この一連の運動が19世紀のフランスでルネサンス(文芸復興運動)と呼ばれるようになりました。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

 「マンジャーレ(たべよう)、カンターレ(歌おう)、アマーレ(愛し合おう)」、カラオケボックスみたい。

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華

キリスト教人文主義の象徴『プリマヴェーラ』

 ただし、当時の社会はキリスト教教会が牛耳っていましたので、事はそう簡単ではありませんでした。古代の神々を復活させたからといって、キリスト教徒であることは変わりませんでした。今の日本のようにお宮参りは神社で、結婚式は教会で、お葬式は仏式で……というわけにはいかなかったのです。

 ギリシア・ローマ時代というのは、キリスト教から見れば、異端の神々を信仰していた時代です。中世の間は否定されていました。それを現実的な商人層が中心であったフィレンツェの人々は、

「確かにギリシア・ローマの人々は異端の神を信仰していました。でお、それは仕方がないでしょう。だって、イエス・キリストのお生まれになる前の時代の人々なのだから。ギリシア・ローマが自分達の偉大な文明のルーツであることに変わりはないのだから」

 と、都合のいい理由とともに、ギリシア・ローマ時代を肯定したのです。

 このようにしてギリシア・ローマ時代の学問、美術、神々がリナーシタ=再生されていきました。ただし、あくまでもキリスト教徒として、です。これを「キリスト教人文主義」といいます。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華

ルネサンスの精神を高らかに宣言した墓廟

 ところで、そのギリシア人やローマ人は、天国に行ったのでしょうか、それとも地獄でしょうか。異教の人々ですから、天国には行けません。けれど、自分たちの文明のルーツなのですから地獄に行かれても困るのです。そこで、煉獄という概念が強く打ち出されます。地獄ではないのだけれど、天国でもないところ、罪を浄化するために留まる天国の手前の場所といったところです。

 フィレンツェの詩人ダンテは、すでに14世紀初頭に『神曲』で煉獄を案内していました。免罪符も、地獄や煉獄の概念が明確になることで売れていきます。ただし皮肉にも、後年、それは理に適わないということで、マルティン・ルターの宗教改革につながっていきます。

 『神曲』はラテン語ではなく、トスカーナ地方の方言で書かれています。そのためにダンテは、国民文学の祖とも呼ばれています。その後、この流れは全ヨーロッパに広がり、各国で国民文学が発達した結果、お国言葉が整理され、フランス語も英語もそれぞれの国語として確立していったのでした。

木村泰司『名画の言い分』ちくま文庫


名画の言い分 (ちくま文庫)

名画の言い分 (ちくま文庫)

2013-03-28

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新装版 考えるヒント (文春文庫)

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