蜀犬 日に吠ゆ

2009-11-19

[][][][]郷党第十を読む(その16) 21:11 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

色すれば斯に挙る

 郷党第十(236~253)

253 色斯挙矣。翔而後集。曰。山梁雌雉。時哉時哉。子路共之。三嗅而作。

(訓)色すれば斯に挙る。翔(かけ)りて後に集(と)まる、とあり。曰く、山梁の雌雉(しち)、時なるかな、時なるかな、と。子路これを共せしに、三たび嗅いで作(た)ちたりき。

(新)古語に(雉の用心深さを歌い)気配に感じて舞い上ったが、空をひとまわりして後、おり立った、とある。孔子がこれを説明して、山間の懸け橋にとまりたる雌雉に、時期が大切だぞよ、時期を誤るな、と教えようとした詩であるぞ、と言った。この孔子の言は子路が雌雉の肉を供した時に発せられたもので、孔子はこのように言った後、子路の厚意を無にせぬため、三度嗅いだ後に席を立った。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子路が雉肉を提供したタイミングが悪かったのでしょうか?


 あと、『論語』の文章というのはたいてい時系列が入れ替わる事がないので、(そもそも)「この孔子の言は子路が雌雉の肉を供した時に」うんぬん、というのは、ちょっと無理を感じないでもありません。


 要するにこの章はすこぶる難解。

金谷治『論語』岩波文庫

 というわけで、各先生の解釈を挙げておきます。


 驚いてぱっと飛びたち、飛びまわってからはじめてとまる。(先生はそれをみられると)いわれた、「山の橋べの雉も、時節にかなっているよ、時節に。」(鳥の動きに意味を認められたのだが、)子路は(時節の食べ物のことと誤解して)それを食前にすすめた。(先生は)三度においをかがれると席を立たれた。

金谷治『論語』岩波文庫

 金谷先生の解釈しか読んだ事がなかったころはこれであんまり疑問を持ちませんでしたが……

 山の橋の雌雉を孔子と子路で眺める、という状況も不思議ではあります。子路が食卓に出した雉は、その雉だったのでしょうか。

 以下の文を「子路がとらえようとすると(えさを与えると)、雉が三度羽ばたいて(においをかいで)飛びたった」とする解釈もあり、異説が多い。

金谷治『論語』岩波文庫

 めすの雉は、驚くと飛び去り、上昇して何度も飛び回り、(様子をうかがって安心と見ると、)そのあと静かに降りてくる。それを見ておられた老先生はこうおっしゃられた。「丸木橋にいた、あのめす雉は(時機を心得ておる。)時だな、時だな」と。すると子路は(食べごろの(時)と勘違いして)そのめす雉を捕らえて、調理して先生にお出しした。老先生は(それは自分の本意ではない。時機を知ることを褒めたのであるから、同義としてその雉を食べるわけにはいかない。かと言って、わざわざ捕らえて調理してくれた子路の気持ちを無にするわけにもいかない。そこで、やむをえず)何度も匂いを嗅いだあと起立されたのであった。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 金谷先生の解釈とほぼ同じ。雉はまさにその雉で、子路は散歩の時も弓矢を持ち歩いてそうですね。雉なら雉、猪なら猪、うっかり人でも指さそうものなら、街中でも射抜くのではないでしょうか。


 鳥が人の顔色の善くないのを見て飛び去り、翔り回ってつまびらかに視て後に下って止った。孔子がこれを見て感歎して、「山の橋の雌の雉は、翔るも集まるもその時を得ておる。」と曰われた。子路は孔子の意を知らないで、鳥の方に向ってこれを執(とら)えようとした。鳥は三たび鳴いて飛び作(た)った。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 この節は孔子が雉の翔るも集まるも時を得ておるのを美めたことを記したのである。朱子はこの節には脱落があるだろうと曰っている。

 この節には色々の解釈がある。朱子は己の意見を述べておらぬ。この節は他の節とは全く様子がちがうのであるが、この節を郷党篇の最後においたのは、孔子の一挙一動ことごとく時を得ていないものはないからであると説く人がある。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 子路はたんに孔子の話を聞いていなかった説。立ったのは雉。前半と後半が別の話、というふうにはならないものでしょうかね。


 上論最後のこの一条は、大変難解である。この郷党一篇は、これまでも見て来たように、孔子の実践生活を記録してきたのに、この一条のみは、何にしても、性質のちがった記載である。そのことがまず、理解しがたいし、その内容は、一層難解である。朱子が、この一条はきっと不完全なのであろうというのは、なかなかに正直な見解である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 要するによく分からない、謎のような章である。「論語」二十篇の前半十篇、すなわちいわゆる上論は、この謎のような章で終っている。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書


 以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』上論、孔子の平生の起居動作から言語衣服飲食に至るまで、詳細に記した「郷党」という第十章は終わる。

2009-11-18

[][][][]郷党第十を読む(その15) 21:28 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

車に升るに

 郷党第十(236~253)

252 升車必正立執綏。車中不内顧。不疾言。不親指。

(訓)車に升(のぼ)るに必ず正立して綏(すい)を執る。車中にては、内顧せず、疾言せず、親指せず。

(新)馬車に乗る時は、必ずまっすぐに立って、吊り紐につかまって上る。馬車に乗って走る間は、後を振りむかない、早口にしゃべらない、指で方角をさし示すことをしない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「親指」は「親しく指す」で、自分を指さすことであるとする解釈のほうが多いです。

 運転の時の作法。

 車にのるのは、身分のある人である。それが以上のような行為をすれば、道ゆく人は、何事がおこったかと、びっくりするであろうからである。またうしろを振り向かないのは、人の不意を襲わぬようにという顧慮であったと、説かれている。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

2009-11-16

[][][][]郷党第十を読む(その1420:54 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

寝ぬるに尸せず。

 郷党第十(236~253)

252 寝不尸。居不容。見斉衰者。雖狎必変。見冕者与瞽者。雖褻必以貌。凶服者式之。式負版者。有盛饌。必変色而作。迅雷風烈必変。

(訓)寝ぬるに尸せず。居るに容(かたち)つくらず。斉衰(しさい)する者を見れば、狎(な)れたりと雖も必ず変ず。冕(べん)する者と瞽者(こしゃ)とを見れば、褻(な)れたりと雖も必ず貌(かたち)を以てす。凶服する者はこれに式す。負版する者に式す。盛饌(せいせん)あれば、必ず色を変じて作(た)つ。迅雷風烈には必ず変ず。

(新)寝につく時は両足をまっすぐに伸さない。休息している時は、身づくろいをしない。喪服を着た人に会うと、何度目であっても、表情を変え、礼服を着た者と目の不自由な人に会う時は、親しい仲でも身づくろいを改める。葬式の服装をした人には馬車の上から会釈する。喪章をつけた人にも会釈する。心尽しのもてなしにあえば、表情を改め、立ち上って謝意を述べた。大雷雨、強烈風のある時は、居ずまいを正して謹慎の意を表わした。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「雖狎必変」は、宮崎先生「何度目であっても」ですが、ほかはたいてい「慣れ親しんだ人」「気安くしている人」とあり、その方が理解が自然でしょう。

 「見斉衰者。雖狎必変。見冕者与瞽者。雖褻必以貌。」のところは、子罕第九、214 子見斉衰者と同じ事を異なる言葉で表現したのでしょう。こうした特別の配慮が必要な人に対してはきちんと対応する、というのが礼儀。

 「式」というのは、馬車の上からの会釈。

「式」、それは車上でする敬礼である。当時の男子の乗る車は、立って乗るように設計されていたが、車の箱の前の枠に、較(かく)という横木があり、いつもはそれにつかまっているが、その下にもう一本、「式」とよばれる横木があり、敬意を表すべき者に出会った場合には、やや身体を前にかがめ、手は下の横木の式によりかからせる。それが「式をする」という動詞であると、皇侃の説である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 ご馳走を賞める時は立ち上がってするのが礼儀、というのは今も形を変えて受け継がれているそうです。

人のご馳走になった場合、すばらしい料理が出て来ると、きっと顔色をととのえて、立ち上り、主人に敬意を表した。ただいまの中国に、この通りの風習はないようであるが、似たものはある。主人が所蔵の書物や、自作の詩文を、客に示した場合には、客は必ず立ち上って、敬意を表し、主人が辞退して「請坐(チンヅォ)」といってから、坐って拝見するのが、礼儀である。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 「迅雷風烈」

 魏の曹操がある日劉備に向って、「今天下の英雄はただあなたと私とだけですね」と曰うと、董承と共に曹操を誅そうとしていた劉備はちょうど食事をしていたが、驚いて匕(さじ)と箸を取り落し、雷(いかずち)が鳴ったので、詭(いつわ)って「聖人が、『迅雷風烈必ず変ず』と云われましたが、まことにわけのあることですね」と曰ったことがある。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 君と余だ!

先主伝第二

 まだ先主が(袁術迎撃に)出発する前、献帝の舅に当る車騎将軍董承が恩賜の御衣の帯の中に入れられた密勅――曹公を誅殺すべしという――を受けたことを告げた。(勅命にあずかった)先主はまだ行動をおこさないでいた。このとき曹公はくつろぎのあい間に先主に、「今、天下に英雄といえば、御身と私だけだな。本初(袁紹)のような連中は、ものの数にも入らぬ」といった。先主はちょうどものを食べようとしていたが手にした箸を取り落としてしまった*1。かくて董承や長水校尉の种輯(ちゅうしゅう)、将軍の呉子蘭・王子服らと計画をねったが、ちょうど(袁術迎撃の)役をおおせつかり、行動をおこすに至らぬうちに、ことが発覚し、董承らはことごとく処刑された。

陳寿 裴松之注 井波律子訳『三国志5 蜀書』ちくま学芸文庫

 本文には登場しないのですね。

*1:『華陽国志』にいう。このときちょうど雷がとどろきわたった。劉備は、それにかこつけて曹操に向っていいた、「聖人が、『突然の雷、激しい風に対しては必ず居ずまいを正す』(『論語』郷党篇)といっておりますが、なるほどもっともなことです。それにしても雷鳴のすごさが、これほどまでとはね。」

2009-11-15

[][][][]郷党第十を読む(その13) 19:58 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

朋友死して

 郷党第十(236~253)

250 朋友死。無所帰。曰。於我殯。朋友之饋。雖車馬。非祭肉不拝。

(訓)朋友死して帰する所なければ、曰く、我において殯(ひん)せよ、と。朋友よりの饋(おくりもの)は、車馬と雖も、祭肉に非れば拝せず。

(新)朋友が死んで近親者が居ない時には、私の家に棺をお預かりしましょう、と言った。朋友からの贈物は、車や馬のような高価なものでも、拝して受取ることはしなかった。拝するのは、ただ祭に供えた肉のお裾分けの時だけであった。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

「殯(かりもがり)」は、没してから埋葬するまでの間、遺体を棺に納めて安置し、一定の儀式を行うことをいう。その期間については諸説あるが、中国古代では、天子は七ヵ月、諸侯は五ヵ月、大夫は三ヵ月、士は二ヵ月という長期であったとされるが、十三世紀の宋代の朱子以後では、一般人は三日間ぐらいの短期間になっていた。今日の(臨終から出棺までの期間)に当たる。殯のあと、仮の埋葬をする。正式の埋葬はさらに一定期間を要する。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 友人に身寄りがなければ、身寄りになる。贈物は当然のこととして贈り、また贈られる。いちいち大仰に構えたりしない。そういう交わりが君子には求められる、と。

2009-11-14

[][][][]郷党第十を読む(その12) 22:15 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

太廟に入りて

 郷党第十(236~253)

249 入太廟。毎事問。

(訓)太廟に入りて、事ごとに問えり。

(新)前出55と重複している。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 これ礼なり。

2009-11-13

[][][][]郷党第十を読む(その11) 20:05 はてなブックマーク - 郷党第十を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

君、食を賜えば

 郷党第十(236~253)

248 君賜食。必正席。先嘗之。君賜腥。必熟而薦之。君賜生。必畜之。侍食於君。君祭先飯。疾。君視之。東首。加朝服。拖紳。君命召。不俟駕行矣。

(訓)君、食を賜えば、必ず席を正して先ずこれを嘗む。君、腥(せい)を賜えば、必ず熟してこれを薦む。君、生を賜えば、必ずこれを畜(か)う。君に食に侍するに、君祭れば先ず飯す。疾ありて、君、これを視れば、東首し、朝服を加え紳を拖く。君、命じて召せば、駕を俟(ま)たずして行く。

(新)君主から料理を分配された時は、必ず居ずまいを正した上で、自分が先ず試食する。君主から生肉のままで頂いたときは、必ずそれを煮たきして、先祖に供える。生き物を賜った時は、必ずそれを飼育する。君主に陪食する時、君主が先ず一箸をとって祭(そなえ)としたのを見ると、すぐ食べにかかる。病気にかかり、君主から見舞を受けた時は、東枕に寝ね、夜具の上に礼服をかけ、帯をのせる。君主から呼出しの命を受けた時は、馬車の準備を命ずると同時に歩き出す。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 祭は食事ごとに先ず一箸の飯を備えとして、わきへ取りのけておく。水戸斉昭のお百姓人形はこの用のために造られた。禅宗にもこの習慣があるという。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 さてこの章句、孔子の行動は宮崎先生の解釈で分かりますが、その意味するところは分かりませんね。加地先生の説明を引きます。

「君賜食。必正席。先嘗之。」

 (下がりものとして)君公から料理されたものが家に届いたとき、老先生は(君公を前にするように)必ず席を正しくして、まずお味わいになり、それから一族に分け与えられた。(その料理が君公の餞余(くいあまり)かも分からないので、祖先の供物とはされなかった。)

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 君主から分けられた料理がすえてしまうなんていうことがあるのでしょうか? 儀礼用のお供えぶんなのかもしれませんね。

 君が食物を賜った時、まず己が食べて父祖の霊に薦めないないのは、それが食い餘りであるかもしれないからである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 ご先祖様、不孝をお許し下さい。食べ残しはお供えにしませんよね。そりゃそうですよね。


 「君賜腥。必熟而薦之。君賜生。必畜之。」

君公から生肉をいただいたときは、必ず煮て祖先の供物とされた。君公から生き物をいただいたときは、必ずお飼いになった。(祭祀のときの犠牲(いけにえ)にするためである。)

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 やはり、実際に食べるためというよりも祭礼に使いなさい、と下賜されるのですね。

 生きた動物を賜って殺さないのは君の仁恵を動物に推及ぼすのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 この説は、動物が羊なのか馬なのかによるのではないでしょうか。


 「侍食於君。君祭先飯。」

 君公のお側でお相伴されるとき、君公が(膳の食物を少しずつ取って、その食物を最初に作った神への供物として膳の端、食器の間に置いて)祭られたとき、孔先生はその供物で毒味をされた。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 ここは解釈の分かれるところです。君主が自分の膳から供物のぶんを取り分ける、というところはいいのですが、そのとき孔子は、宮崎説「それを見るなり自分のぶんを食べ始めた。」、加地説「席を立って(でないと届かないでしょうから)君主の膳まで進み、毒味した。」となります。加地説、もし臣下がみな順繰りにこんなことをしていたら会食が出来ないでしょうから、孔子が毒味を命ぜられたとかなんとか、もう少し説明がほしいところです。

 君主が、めしやおかずに手をつけようとして、まずそれをやりはじめると、孔子は、もはやめしを食いはじめた。君主のために、食物の毒味をする形になりうるからである。

吉川幸次郎『論語』上 朝日選書

 これは何となく分かります。「先」の意味をきちんと採っているといえましょう。君がめしに箸をつけたらめしを先に食べ、菜に箸をつけたら菜をたべるので、かなり君に注目していなければいけませんな。

 君の陪食をする時祭らないでまず食べるのは君のために毒味をするのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 君が祭っている間にもう「毒味」として食べ始めてしまう。

 某県の北部では「レンシュウ」という風習がありまして、飲み会などで早めに会場に着いた人たちでがんがん飲みはじめてしまい、時間通りに「開会の挨拶を所長が」「乾杯の音頭を事務長が」などとやる頃にはもうみんな真っ赤っかなのですが、こういうところに、儒教の礼式が今でも生きているのかもしれません、ん。