蜀犬 日に吠ゆ

2010-05-21

[][][][]陽貨第十七を読む(その16) 21:01 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

君子は義、もって上と為す

 陽貨第十七(435~460)

457 子路曰。君子尚勇乎。子曰。君子義以為上。君子有勇而無義為乱。小人有勇而無義為盗。

(訓)子路曰く、君子は勇を尚(とうと)ぶか。子曰く、君子は義、もって上と為す。君子、勇ありて義なければ乱を為し、小人、勇ありて義なければ盗を為す。

(新)子路曰く、先生は勇気を大事なこととお考えですか。子曰く、諸君はそれよりも、やっていいか悪いかの判断力の方を尊重してもらいたい。諸君がもし勇気だけあってその判断力を欠けば武闘を始めるようになるだろうし、ましてや諸君に及ばぬ人たちが勇気だけあって、判断力を欠けば盗賊をもやりかねない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 伊焞(いんじゅん)は「義を上として尚べばその勇は大である。子路は勇を好むから、孔子がこれをもってその失を救ったのである。」と曰い、胡寅(こいん)は「疑うらくはこれは子路が初めて孔子に見えた時の問答であろう」という。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 中島敦でいうところの、「ガアガアブウブウ」ですね。


君子も亦た悪むことあるか

 陽貨第十七(435~460)

458 子貢曰。君子亦有悪乎。子曰。有悪。悪称人之悪者。悪居下流而訕上者。悪勇而無礼者。悪果敢而窒者。曰。賜也亦有悪乎。悪徼以為知者。悪不孫以為勇者。悪訐以為直者。

(訓)子貢曰く、君子も亦た悪むことあるか。子曰く、悪むことあり。人の悪を称する者を悪む。下流に居りて上を訕(そし)る者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒(ふさ)がる者を悪む。曰く、賜や、亦た悪むことあるかな。徼(むか)えて以て知と為す者を悪む。不孫にして以て勇と為す者を悪む。訐(あば)いて以て直と為す者を悪む。

(新)子貢曰く、先生にも人を悪むことがおありですか。子曰く、それはあるさ。人の欠点を人の前で披露する者を悪む。自分の劣ったことを棚にあげて、優れている人を悪くいう者を悪む。向う見ずで無礼を行う者を悪む。決断するそばから腰くだけになって逃げ出す人を悪む。曰く、そう仰れば私も悪む者のあることを申してよいでしょうか。先取りして頭の良いという顔をする者を悪みます。傲慢に振舞うことを勇気のある証拠だと思う者を悪みます。人の嫌がることを言うのを正直だと思う者を悪みます。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章の三番目の曰くの下、賜也亦有悪乎、を孔子が改めて子貢に聞きかえした、と解するのが従来の説であるが、むしろこの所は、子貢の言葉とした方がよいと思う。亦有悪乎、は疑問文によくある形であるが、しかし、乎という字があっても必ずしも常に疑問形とは限らない。子貢が遠慮しながらの発言と解するのがよさそうである。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この章句は深いですね。「子貢、人を方ぶ」から子貢がはっきり成長していることを示しているわけですから。普通孔子の弟子たちは、始めに設定されたキャラクタから動くことが少ないのですが、子路と子貢は複雑な扱いを受けています。

 子貢のセリフは、具体的な孔子の列挙をすこし高い視点から言い直したような印象を受けますが、そのあたりの、師弟の丁々発止ができるのは子貢くらいのものでしょうね。


 しかし、普段は「苟くも仁に志さば、悪むなきなり」とか言っておいて、子貢とだけはこういう会話ができてしまうのですから、封建主義と民主主義の折り合いが悪いわけですね。啓蒙主義は民主主義を生み出すもとになりましたが、儒教に近いのではないでしょうか。


女子と小人とは養い難し

 陽貨第十七(435~460)

459 子曰。唯女子与小人為難養也。近之則不孫。遠之則怨。

(訓)子曰く、唯だ女子と小人とは養い難しと為すなり。これを近づくれば不孫、これを遠ざくれば怨む。

(新)子曰く、妾と奴隷とは使いにくいものだ。大事にすればつけあがるし、よそよそしくすれば恨みに思う。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 まあ、儒教の男女差別をあげつらうときによく引用される章句ですね。「女子」は「小人」に対応する語であるということに、気づかないのでしょうか。中国の対句の発想に思いが及ばないものでしょうかね。

 「論語」の教えの全部が、現代には通用しないことを、示す条のように思われる。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 吉川先生、いかにも悔しそうですね。この章句を引用されてさんざん「戦後民主主義者」からいじめられたのでしょうねえ。

 しかし、女性蔑視は中国でも同じであったようで、

 女子の場合、一般論であって、すぐれた女性もいるとする(『疏』)。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 のように注釈をつけなければならなかったようです(『疏』は宋代の注釈)。

 しかし、教育のないところで、「人治」のまかりとおるところでサバイブするためには、こうした機微をわきまえなければならないという現実も実際あるわけで、為政者の側がそれに寄りそったのが『韓非子』でしょう? その「二柄」篇などは、バカどもとの距離感をどうやってとるべきなのかを延々論じているわけで、蒙一歩進んで、本当は韓非子だって考えられたはずなのにねえ。

 そういう感想自体、私が平和な昭和・平成時代に生きてきたからなのかもしれませんがね。


年四十にして悪まるるは、其れ終らんのみ

 陽貨第十七(435~460)

460 子曰。年四十而見悪焉。其終也已。

(訓)子曰く、年四十にして悪まるるは、其れ終らんのみ。

(新)子曰く、年が四十歳にもなって悪しざまに人の口に上るなら、もう悪い評判は一生つきまとうものだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この悪という字は、あるいは非常に形の似た感という字の誤りではないかという気がする。夫子自身は四十になって惑わない自信ができてこの関門を突破している。孔子の考えでは単に悪まれるということでは、不肖である証拠にはならなかったはずである。326406の条参照。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫


 以上で、学問を志すものが尊ぶ『論語』下論、内に陪臣が政を専らにすることが三つある。性を言う者が三章ある。その他は皆学を為し身を修めることで警戒言切の辞(じ)が多い。(熊禾(ゆうか)による)「陽貨第十七」はおわる。

2010-05-20

[][][][]陽貨第十七を読む(その15) 20:48 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

博奕なるものあらずや

 陽貨第十七(435~460)

456 子曰。飽食終日。無所用心。難矣哉。不有博奕者乎。為之猶賢乎已。

(訓)子曰く、飽食して日を終え、心を用うる所なし。難いかな。博奕なるものあらずや。これを為すは猶お已むに賢(まさ)れり。

(新)子曰く、腹いっぱい食べて一日中、頭を働かせることのない人は、問題にもならぬ人間だ。博奕なという勝負ごとの遊戯があるだろう。あれをしてでも遊ぶほうが、まだ何もしないよりはましだろうな。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 デカンショ節でよく「「論語」「孟子」を読んではみたが 酒を飲むなと書いてない」「酒を飲むなと書いてはないが 酒を飲めとも書いてない」とかいいますが、「飽食終日」は駄目だ、とあるではないですか。駄目ですよ。


 また、

「博」は、すごろく。「奕」は、囲碁。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 ばくちのたぐい。

2010-05-19

[][][][]陽貨第十七を読む(その1419:29 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

三年の喪は、期して已に久し

 陽貨第十七(435~460)

455 宰我問。三年之喪。期已久矣。君子三年不為礼。礼必壌。三年不為楽。楽必崩。旧穀既没。新穀既升。鑽燧改火。期可已矣。子曰。食夫稲。衣夫錦。於女安乎。曰。安。女安則為之。夫君子之居喪。食旨不甘。聞楽不楽。居処不安。故不為也。今女安。則為之。宰我出。子曰。予之不仁也。子生三年。然後免於父母之懐。夫三年之喪。天下之通喪也。予也有三年之愛其父母乎。

(訓)宰我問う。三年の喪は、期して已に久し。君子、三年礼を為さざれば、礼必ず壌(やぶ)れん。三年楽を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀既に没(つ)きて、新穀既に升(みの)る。燧(すい)を鑽(き)り火を改め、期にして已むべし。子曰く、夫(か)の稲を食い、夫の錦を衣(き)る、女(なんじ)において安きか。曰く、安し。(曰く)女安ければこれを為せ。夫れ君子の喪に居るや、旨きを食えども甘からず、楽を聞けども楽しからず、居処して安からず、故に為さざるなり。今女安ければこれを為せ。宰我出づ。子曰く、予の不仁なるや。子生れて三年、然る後に父母の懐より免がる。夫れ三年の喪は天下の通喪なり。予や、其の父母において三年の愛あるか。

(新)宰我が尋ねた。親に対する三年の喪というのは、一年すんでから更にずっと先まで続きます。為政者が三年間も喪に服して、礼式を行わずにおれば礼式が壊れてしまい、三年音楽を行わずにおれば音楽も駄目になってしまいましょう。前年の穀物が消費された頃には、今年の新穀が丁度よく稔りをつげます。燧石を鑽って新しい火をつけ、古い火に代えて用いるのも一年ごとですから、喪においても期、すなわち一年でやめた方がよくはありませんか。子曰く、親が死んで一年たったら、旨い米を食べ、美しい着物を着る普通の生活に返って、それでお前は気が咎めないかね。曰く、別に何ともありません。子曰く、お前が何とも思わぬなら、好きなようにするがよい。いったい昔の人は喪に服している間は、旨いものを食べても味がなく、音楽を耳にしても楽しくなく、安逸に耽ろうとしても気が気でないから、始めからそういうことをしないのだ。ところがお前はそれで別になんともないなら、好きにするがよい。宰我が退出した。子曰く、宰予は何と不人情な男だ。子供は生まれてから三年たって、やっと父母の懐から離れる。だから父母のために三年の喪に服するのは、天下の至るところで通用している原則だ。宰予はその父母に対して、三年の恩を返す人情がないのだろうか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 学而篇「三年無改」、里仁篇「三年無改」にありますように、三年は足かけ三年。「にあります」とか書きましたが、書いてなかったので、書き加えておきました。


 さて、不人情な宰我ですが、実際にはこの問答は、「机上の空論」といいますか、宰我が極端な議論を吹っかけたように見えますね。「おまえはそれで安らかなのかい?」とか聞かれて、「全然平気です」と返すあたり、宰我自身というよりは、「世の中には、そういう人も結構いるではないですか?」という挑発的な印象さえ、読み取れなくもありません。

 そういう点で、八佾篇「告朔の餼羊」の、子貢の議論と似ている部分があります。ただしかし、宰我の議論は、人間のなかでも低俗な部類を、まるで標準であるかのように強弁する点で孔子に「不仁」と叱責されてしまうわけであり、合理主義に基づく子貢の議論とは次元が違う、とでもいえましょうか。

2010-05-18

[][][][]陽貨第十七を読む(その13) 19:11 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

孺悲、孔子に見えんと欲す

 陽貨第十七(435~460)

454 孺悲欲見孔子。孔子辞以疾。将命者出戸。取瑟而歌。使之聞之。

(訓)孺悲、孔子に見えんと欲す。孔子、辞するに疾を以てす。命を将(おこな)う者、戸を出づ。瑟を取りて歌い、これをしてこれを聞かしむ。

(新)孺悲が孔子に面会を求めて来た。孔子は病中であるから、と口実を設けて断わった。取次の者が孔子の部屋を立ち去るや否や、大きな琴をひきよせてかきならし、表まで聞こえよがしに高い声でそれにあわせて歌ってみせた。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 性格悪いですねえ。しかし、何一つ非礼な振る舞いはしていないわけでして、礼を使いこなせばこう言うこともできる、ということでしょう。陽貨の時の丁々発止と比べると、孺悲はずいぶん格下であることが分かります。

 というか、孺悲は、広い意味では孔子の弟子です。

 なぜ孔子が面会しなかったのか、その理由に定説はない。ただ、孺悲は魯国の君主の哀公に命ぜられて孔子のところに行き、士喪礼(士階級の喪礼)を学んでいる(『礼記』雑記篇)。広い意味では弟子である。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 ということで、孔子としては、「会わないこと」で何かを教えようとしたのかもしれません。


 あと、「疾シツ」を理由に断り、「瑟シツ」をかき鳴らす当たりは、ダジャレの可能性も捨てきれません。

2010-05-17

[][][][]陽貨第十七を読む(その12) 20:09 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

予れは言うこと無からんと欲す

 陽貨第十七(435~460)

453 子曰。予欲無言。子貢曰。子如不言。則小子何述焉。子曰。天何言哉。四時行焉。百物生焉。天何言哉。

(訓)子曰く、予れは言うこと無からんと欲す。子貢曰く、子もし言わずんば、小子何をか述べん。子曰く、天何をか言わんや。四時行われ、百物生ず。天何をか言わんや。

(新)子曰く、私はもう物を言うまいかな。子貢曰く、先生が物を仰らねば、私どもは何と言って弟子たちに取次ぎましょうか。子曰く、天を見たまえ、何も言わぬ。それでいて、四時は滞りなく運行するし、万物はちゃんと生育している。天は何も物言わぬではないか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 孔子学園の生活において、先輩の弟子は後輩の弟子を指導すること、日本の江戸時代における塾生活のごときものがあったと思われる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 ほんとうかなあ。子路は政事や人事にあけくれ、顔回は若手の指導もしなそうです。子貢とか、若い子張とかそういうメンバーは限られていたでしょうと妄想。ですから、先輩が後輩を指導するのは、そういうシステムはなくて、各々の適性や力量に任されていたのではないでしょうか。

 あるいは、「述べて作らず」のように歴史編纂の指導をしてくださらなければ、『春秋』の編集作業が進みません、という風に解釈するなら、子貢が格さんだったということになるかもしれません。そうして、孔子は本来「北辰」のようになりたかったのに、手取り足取り教えてあげねばならない弟子たちを見て、そして老い先長くない自分の衰えを見て、つい悲観的なセリフを呟いてしまったのかもしれません。

2010-05-16

[][][][]陽貨第十七を読む(その11) 19:12 はてなブックマーク - 陽貨第十七を読む(その11) - 蜀犬 日に吠ゆ

紫の朱を奪うを悪む

 陽貨第十七(435~460)

452 子曰。悪紫之奪朱也。悪鄭声之乱雅楽也。悪利口之覆邦家者。

(訓)子曰く、紫の朱を奪うを悪む。鄭声の雅楽を乱すを悪む。利口の邦家を覆す者を悪む。

(新)子曰く、紫が朱だと思われて通っていることがあるから警戒せよ。鄭国の淫らな俗曲が、礼式に用いる雅楽の中に混じりこんでいることがある。口達者な人間が国家を滅ぼしかけながら忠信らしく振舞っていることもあるぞ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 まがいものを憎む。という点で郷原は徳の賊と共通する、と孟子が解説しております。


 孟子の解説。

巻第十四 尽心章句下

三七

(万章曰く)孔子は我が門を過ぎて我が家に入らざるも、我憾みざる者は其れ惟郷原か。郷原は徳の賊なりと曰まえり。曰う、何如なれば斯ち之を郷原と謂うべき。(曰く、)斯の世に生まれては斯の世(の為す所)を為さんのみ。善(嘉よみ)せらるれば斯ち可なりと(曰いて)、閹然として世に媚ぶる者は、是れ郷原なり。万子(万章)曰く、一郷皆原人と称し、往(行おこ)なう所として原人たらざるなきに、孔子以て徳の賊となせるは、何ぞや。曰く、之を非(そし)らんとするも挙(言い)うべきなく、之を刺(そし)らんとするも刺るべきなし。流俗に同じくし汙世(おせい)に合わせ、之に居ること忠信に似、之を行うこと廉契(廉潔)に似たり。衆皆之を悦び、自らは以て是となさんも、而も与(以もっ)て堯・舜の道に入るべからず。故に徳の賊と曰うなり。孔子曰く、似て非なる者を悪む。莠を悪むはその苗を乱るを恐るればなり。(便)佞(くちさときひと)を悪むはその義を乱るを恐るればなり。利口(ことばたくみなるひと)を悪むはその信を乱るを恐るればなり。鄭声を悪むはその(雅)楽を乱るを恐るればなり。紫を悪むはその朱を乱るを恐るればなり。郷原を悪むはその徳を乱るを恐るればなり。君子は経(つねのみち)に反るのみ。経正(治おさ)まれば則ち庶民興る。庶民興れば斯(則すなわ)ち邪慝(邪悪)なし。

小林勝人『孟子』(下) 岩波文庫

巻第十四 尽心章句下

三七

(万章がまた改めてたずねた)。「孔子の言葉に『私の家の門前を通りながら、私の家に寄ってくれなくとも、少しも残念に思わないのは、郷原(村の君子)だけであろうか。郷原こそは正しい徳を賊(そこ)なう村の偽善者(くわせもの)だからだ』とありますので、おたずねしますが、いったい、どんな人物ならば、郷原といってよいのでしょうか。」(孟子はこたえられた)。「彼らは『この世に生まれたら、この世の人らしく暮らし、世間の人から評判さえよければ、それで結構(よい)ではないか』といって、自分の本心を掩いかくしてひたすら世間にこびへつらう者、それがつまり郷原なのだ。」万章がなおもたずねた。「村中の人がみな謹直な人だと評判しており、また何を行っても慎しみ深く素直な人柄なのに、孔子が『徳の賊だ』と非難されたのは、なぜなのでしょうか。」孟子はこたえられた。「(この連中は偽善者ではあるが、表面(うわべ)をつくることが上手で)非難しようにもとりあげて言うほどの欠点もなく、攻撃しようにも攻撃するほどの材料が見つからない。そして世間並みの人と違ったところもなく、汚れた世の中と調子を合わせ、いかにも忠信の人らしく身を処し、廉潔の士らしく事を振舞うので、世間の人たちもみな好意をもち、自分でもまたそれでよいつもりでいるが、しかし、とうてい堯舜の道には入ることのできぬ人間たちである。だkらこそ、孔子も彼らを『徳の賊だ』といわれたのである。孔子はまた『似てはいるが、真物(ほんもの)とはちがう贋物(まがいもの)をにくむ。たとえば、莠(はぐさ)をにくむのは、穀物の苗にまぎらわしいからであり、口先の上手な者をにくむのは、その言葉が義にまぎらわしいからであり、利口をにくむのは、信実にまぎらわしいからであり、みだらな鄭の国の音楽をにくむのは、正統な雅楽にまぎらわしいからであり、紫(のような間色)をにくむのは、(正色である)朱にまぎらわしいからである。それと同じく、世に媚びる郷原をにくむのは、真の徳ある人にまぎらわしいからおそれるのである』といわれた。およそ、君子たるものは、ただひたすら万世不易の常道に立ちかえるばかりである。(どうして世俗に媚びおもねることがあろうか)。この常道さえ正しく行われたなら、庶民は必ずこれに奮い起ち、庶民がいっせいに奮い起てば、郷原のような邪悪な者は必ず影をひそめてしまうものだ。」

小林勝人『孟子』(下) 岩波文庫

 吉川先生の解説。

 本ものとまぎらわしい偽ものこそ、憎悪さるべきであることを、教える。古注の孔安国の注に、「朱は正色、紫は間色の好き者」。また「鄭声」は、河南省鄭州を首都とする鄭のくにの音楽であるが、それは今日のジャズのごとく、さわがしいものであった。さきの衛霊公第十五に、「鄭声は淫」。それに対し「雅楽」は、古典音楽を意味する。「利口」の二字、諸注ともくわしい訓詁をあたえないが、口さきの達者さを意味するにちがいない。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 軽音楽=ジャズ、というあたりに時代が……


 正色と間色については、加地先生の解説。

五行(世界の五つの要素)の相勝説(相勝つ)に基づく色の配当がある。

加地伸行『論語』講談社学術文庫

 図を適宜改変して引き写します。ちなみに、相勝では土→水→火→金→木→土の順に勝ちます。

五行正色間色
 
  駵黄色(黄黒)
 
  紫色(黒赤)
朱(赤) 
  紅色(赤白)
 
  碧(白青)
 
  緑色(青黄)