蜀犬 日に吠ゆ

2010-01-18

[][][][]顔淵第十二を読む(その17) 20:44 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その17) - 蜀犬 日に吠ゆ

忠告して善くこれを導く。可かざれば止む

 顔淵第十二(279~302)

301 子貢問友。子曰。忠告而善道之。不可則止。毋自辱焉。

(訓)子貢、友を問う。子曰く、忠告して善くこれを導く。可(き)かざれば止む。自ら辱められるるなかれ。

(新)子貢が友人と交際する道を尋ねた。子曰く、相手の為になるように教えて、善い方へ導いて行く。向うがそれを受けつけなければあきらめる。深入りしすぎると自ら恥辱を招く結果になる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 子貢が、友人との付きあい方を尋ねました。しかし、孔子の答えは少し不思議ですね。子貢が友人から学ぶ、という視点はぬけているのでしょうか。

 おそらく、この質問は孔子晩年、子貢が孔子教団の中核的存在になった頃のものなのでしょう。ですから「友」とはいうものの、子貢から見れば年下の弟子たちが想定されているのだと思います。孔子としては、子貢の能力を充分に認めつつも、その才気の勝ちすぎるところが目についたことでしょうから、「善くこれを導く」は当然として、「可かざれば止む」、あまりしつこく多弁に説得してはいけないよ、と押しとどめたものと思われます。子貢は自分が能弁なだけではなく、相手にも才気煥発なところを要求するような、おせっかいな部分が(佞者子路ほどではないにせよ)あったのかもしれません。

 孔子が教団の長であれば、フォローもできますが、子貢が大将になるのであれば、おめおめ恥辱にまみれるような行為は厳に慎まなければならない、この章はそんな孔子の忠告なのでしょう。


文を以て友を会し、友を以て仁を輔く

 顔淵第十二(279~302)

302 曾子曰。君子以文会友。以友輔仁。

(訓)曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。

(新)曾子曰く、諸君は趣味を中心としてグループを造り、グループが出来たらその力を出しあって仁の道へ進むがよい。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 文はおそらく単なる趣味ではなくて経書の研究のことでしょうから、同じ理想をもつ者同士でなければ友情はありえない、そうして集まってお互いに研鑽し合うのだということでしょう。


 以上で、学問を志す者が尊ぶ『論語』下論、二十四章から成る「顔淵」という第十二は終わる。

2010-01-17

[][][][]顔淵第十二を読む(その16) 17:26 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その16) - 蜀犬 日に吠ゆ

仁を問う。子曰く、人を愛す

 顔淵第十二(279~302)

300 樊遅問仁。子曰。愛人。問知。子曰。知人。樊遅未達。子曰。挙直錯諸枉。能使枉者直。樊遅退。見子夏曰。郷也吾見於夫子而問知。子曰。挙直錯諸枉。能使枉者直。何謂也。子夏曰。富哉言乎。舜有天下。選於衆。挙皐陶。不仁者遠矣。湯有天下。選於衆。挙伊尹。不仁者遠矣。

(訓)樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す。知を問う。子曰く、人を知る。樊遅未だ達せず。子曰く、直きを挙げてこれを枉(まが)れるに錯(お)き、能く枉れる者をして直からしむ。樊遅退く。子夏を見て曰く、郷(さき)にや吾れ夫子に見えて知を問うに、子曰く、直きを挙げてこれを枉れるに錯き、能く枉れる者をして直からしむ、と。何の謂いぞや。子夏曰く、富めるかな、言や。舜、天下を有(たも)ち、衆より選んで皐陶(こうよう)を挙げて、不仁者、遠ざかる。湯、天下を有ち、衆より選んで伊尹を挙げて、不仁者、遠ざかれり。

(新)樊遅が仁とは何かを尋ねた。子曰く、人を愛することだ。次に知とは何かを尋ねた。子曰く、人を知ることだ。樊遅には合点がいかない。その様子を見て、子曰く、正直な人間を登用して、曲がった人間の上に据えると、曲がった人間が正直になってくるものだ。樊遅が退出した。後に兄弟子の子夏にあって話した。この間、私は先生にお目に掛って、知とは何かを尋ねた。先生が仰るには、正直な人間を登用して、曲がった人間の上に据えると、曲がった人間が正直なってくるものだ、と言われたが、どういう意味でしょうか。子夏曰く、それは大いに意味深い言葉だ。恐らく舜が天子になって、大勢の中から選択して皐陶を登用すると、悪者どもが逃げ出した。殷の湯王が天子になって、大勢の中から選択して伊尹を登用すると、悪者どものが逃げ出したようなことを言われたのだろう。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 樊遅がつづけて二つの質問を行う。「仁とは何でしょう」「人を愛することだよ」「知とは何でしょう」「人を知ることだよ」。

 樊遅の理解が及ばなかったので、孔子が付け加えた、としますが、宮崎先生はじめ多くは、「人を知る」がわからなかった、という文脈で取りますが、宇野先生は、仁と知の整合性に悩んだとし、そのほうがわかりやすいかも知れません。しかしそうなると、あとで子夏に「知」の方だけ引用して尋ねなおした部分とは合わなくなってしまいますが。

樊遅は人を愛するというのは徧(ひろ)く人を愛することであり、人を知るというのは人を区別することであって、徧く愛することとは衝突するようであると思われて、まだよく理会できなかった。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 孔子から説明を受けても、

樊遅は孔子の言葉を知のことだけだと思って、「能く枉(まが)れる者をして直からしむ(能使枉者直)」が仁を兼ねていることを暁(さと)らなかったのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 よくわからなかったまま退出してしまったのはまずかったのですが、その後で子夏に尋ねなおしたことは立派ですね。


 はじめの孔子のシンプルな答え、「愛人」「知人」だけでも論語の章句としては成立しそうですが、この章はすこし詳しく説明がなされ、またそれにたいして子夏の解説が付いています。儒学というものがどのようにして発達したのかの端緒をうかがい知ることができるかもしれませんね。


 まあ、それはともかく、孔子の言わんとするところは、「人の置かれた立場やその才覚、能力などを推し量り(ここまでが知)、その人の能力を十分発揮でき、またまわりの人にもよい感化を及ぼせるような地位につけてあげる(これが仁)、そういう為政者がいれば理想的だね」と言うことなのでしょう。


 「未達」はさすがに「ずばぬけていない」とはしませんね。

2010-01-16

[][][][]顔淵第十二を読む(その15) 20:06 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その15) - 蜀犬 日に吠ゆ

敢て得を崇び、慝(とく)を脩め、惑いを弁ずる

 顔淵第十二(279~302)

299 樊遅従遊於舞雩之下。曰。敢問崇徳。脩慝。弁惑。子曰。善哉問。先事後得。非崇徳与。攻其悪。無攻人之悪。非脩慝与。一朝之忿。忘其身以及其親。非惑与。

(訓)樊遅、従って舞雩(ぶう)の下に遊ぶ。曰く、敢て得を崇び、慝(とく)を脩め、惑いを弁ずる、を問う。子曰く、善いかな、問いや。事を先にして得るを後にす。徳を崇ぶにあらずや。其の悪を攻め、人の悪を攻めず。慝を脩むるにあらずや。一朝の忿(いか)りに其の身を忘れ、以て其の親に及ぶ。惑いにあらずや。

(新)樊遅が孔子に従って、舞雩(あまごい)の台の下の広場で休んだ。曰く、徳を崇び、慝(あ)しきを祓い、惑いを弁ずるの三箇条の意味をお尋ねしたく思います。子曰く、なかなかいい質問だ。先ず働いて、報酬は期待しない。それが修養の第一要件だと悟ることだ。自分の過失をば強く咎めるが、他人には人身攻撃を行わない。それが慝しきを祓うことになる。一時のふとした腹立ちから、我が身を忘れるのみか、その親にまで迷惑をかける。そういうことが惑いだと悟るのが弁感だ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 勉強ずきの御者こと樊遅が登場。なにしろ御者ですから孔子の出かけるところにはついて行きます。舞雩に出かける、というのは曾晢が「舞雩あたりに出かけるのも、ちょいとオツじゃござんせんか」といったことでもおなじみのお出かけスポット。

舞雩は、まえの先進第十一の終りに見えたように、雨乞いの祭りをする祭壇であり、魯国の首都曲阜の郊外にあったが、そこには林があり、散歩の場所でもあった。樊遅が孔子の散歩のお供をして、そこの林の下をあるいていたときの問答である。孔子はいつもよりも、質問のしやすい気やすい状態であったであろう。樊遅の問いが、敢えて問う、で始まっているのも、この想像を強める。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 わたしは、樊遅はあまり他の弟子の前では質問できなかったのではないかと想像します。前にも帰りの車の中で質問したことがありましたからね。


 で、その質問とは、「崇徳。脩慝。弁惑。」。子張がすでに崇徳弁惑を問うていますから、これは宮崎先生が言いますように、「崇徳弁惑は何かの古典に出た語であろう」と考えるのがいいのでしょう。

なお、劉宝楠の「正義」では、この質問が、舞雩の下で発せられたことから発想し、崇徳、脩慝、弁惑は、雨乞いの祝詞につかわれる言葉であった、という説を、提出している。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 しかし出典はない、と。

 子張のように抽象論、名分論に陥りがちな弟子に対して孔子は普段の心構えを教えました。その点で言えば、樊遅にたいしても似たような教えですね。

 崇徳とは、先に行動して、利得は後にする。損得勘定というのは不思議なもので、算数がニガテであってもこういう計算は下手なりに最優先で脳が計算を始めてしまうのですよね。何かものごとを行うとき、打算をぐっと呑み込んで行動を始める、ということは本当に大切です。

 脩慝とは、自分の悪をとがめ立てして、他人のことはとやかく言わない。これも、放っておくと人間を暗黒面に突き落とす、悪い癖になりがちですよね。岡目八目といいますか、他人のアラはよく見えるんですよねえ。もちろん教育を含む儒学ですから悪に見て見ぬふりをするわけではないのですが、葉隠でも

聞書第一 一四 人に意見をして疵を直すと云ふは大切の事、(略)大かたは、(略)人に恥をかゝせ、悪口すると同じ事なり

和辻・古川校訂『葉隠』上 岩波文庫

 などというように、「アタシはただ、よかれと思って……」などという軽い了簡では「攻人之悪」はできません。できないことはしない、それが脩慝(欠点の除去)につながる、というわけですね。

 弁惑は、なぜか子張の時は矛盾の実例で終わりましたが、ここでは怒りに身を任せて親にまで迷惑をかけるという、思慮を欠いた状態のことを説明しています。判断力を失ってはいけない、つねに戦戦兢兢、周りを見て行動しなさい、ということなのでしょう。

2010-01-15

[][][][]顔淵第十二を読む(その1422:32 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その14) - 蜀犬 日に吠ゆ

士は何如にして斯にこれを達と謂うべきか

 顔淵第十二(279~302)

298 子張問。士何如斯可謂之達矣。子曰。何哉爾所謂達者。子張対曰。在邦必聞。在家必聞。子曰。是聞也。非達也。夫達也者。質直而好義。察言而観色。慮以下人。在邦必達。在家必達。夫聞也者。色取仁而行違。居之不疑。在邦必聞。在家必聞。

(訓)子張、問う。士は何如(いか)にして斯にこれを達と謂うべきか。子曰く、何ぞや、爾の所謂る達とは。子張対えて曰く、邦にありても必ず聞こえ、家にありても必ず聞こゆ。子曰く、是れ聞こゆるなり。達にあらざるなり。夫れ達なるものは、質直にして義を好み、言を察して色を観る。慮(はか)りありて以て人に下る。邦にありても必ず達し、家にありても必ず達す。夫れ聞こゆるとは、色は仁を取りて行いは違い、これに居りて疑わず。邦にありても必ず聞こえ、家にありても必ず聞こゆ。

(新)子張が尋ねた。学徒たる者はどの程度に修養したらこれをずばぬけた人、達人といえますか。子曰く、何かね、君の言うずばぬけた、とは。子張対えて曰く、邦に用いられれば用いられたで名が知れ渡り、家に居れば居ったで名の知れわたる人のことです。子曰く、それなら名が売れると言うべきだ。ずばぬけたのとは違う。本当にずばぬけた人なら、実直で正義を愛し、人の言葉は裏まで読み、人の顔色で心の奥底まで見抜く。しかも思慮深くて人に先を譲るものだ。そのようなら国に用いられればずばぬけた成績をあげ、用いられなくて家の居ればずばぬけた個人生活を送ってみせる。これに反して名を売る方は、表面は仁を装おいながら実行は全く逆で、しかもそれを当然の行為だと信じて疑いをもたぬ。そのようならなるほど、国に用いられれば用いられたで名が知れ渡り、家に居れば居ったで名が知れ渡るものなのだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「ずばぬけ個人生活」ってどういうものなのか興味が湧きます。

 「師也辟」でおなじみの見栄っ張り先生、子張が「達人になる方法」を教えて貰いに来ました。

 夫子はゆっくり聞きかえします。「達人になりたいというが、おまいさん、いったい達人とはどんな人のことだと思っているのじゃ」そして子張の見栄っ張りがひとしきり非難されてしまうわけですね。

 ここで夫子が「達」を定義するのですが、

達というのは、知られようと求めるのではない。心が質朴正直で行うところは義に合することを好み、人に接するときは人の言語を察し人の顔色を観て己の是非得失を知り、又熟慮して事を処し、謙遜して人に下り、自ら誇ることなく、このように自ら徳を修めて、人に知られることを求めないけれども、徳が己に備わって人がこれを信じ、邦に在れば誠が邦に通じ、家に在れば家に通じ、行うところに自ら障礙(しょうがい)が無いのである。達とはこのようなのをいうのである。

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

 どうもよくわかりません。(もちろん、ははは宮崎先生の「ずばぬけた」という解釈はさっぱりわからないんですよ。)

 「辞は達するのみ」であれば「伝達」の意味ですから、「聞」は中身が無いのに名声だけが知られる。「達」はその中身こそが知られる、というふうに解釈すると、いちおう意味は通りますが、わざわざ子張が効くほどのこともないような気もします。


 吉川先生は「自由闊達」の達で意味を取ります。

君の希求する「達」、自由なよき社会人であること(略)。君の希求する「達」、それは次のような条件によって生まれる。素朴で正義を好む。人と接する場合には、相手の言葉をよく噛みしめて、相手の感情をよく観察する。またつねに熟慮的であって、人にへりくだる。そうすれば一国にあってもきっと自由であり、家中においてもきっと自由であるだろう。

吉川幸次郎『論語』下 講談社学術文庫

 達人とは自由人ですか。もちろん、自由とは森博嗣先生のおっしゃるタイプのやつであることは論をまたないでしょう。それは吉川先生の「つねに熟慮的であって、人にへりくだる」と対応します。現代人は「自由」と「放埒」の区別もついていない人が多くて辟易します。しかしこういう解釈ですと、また新たな疑問が湧いてしまうので保留。


「史記」の「弟子列伝」の子張の条によれば、この問答は、のちの衛霊公第十五「子張行われんことを問う」とともに、陳蔡の法難の中でかわされたとする。

吉川幸次郎『論語』下 講談社学術文庫

 えー。陳蔡に従いし者、すなわち孔門十哲に子張が入れてもらえないのは可哀想。この点では朱子に同意。



ゲームの達人 <上>

ゲームの達人 <上>

ゲームの達人 (下)

ゲームの達人 (下)

2010-01-14

[][][][]顔淵第十二を読む(その13) 20:58 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その13) - 蜀犬 日に吠ゆ

政なる者は正なり

 顔淵第十二(279~302)

295 季康子問政於孔子。孔子対曰。政者正也。子帥以正。孰敢不正。

(訓)季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政なる者は正なり。子、帥いるに正を以てすれば、孰(た)れか敢て正からざらん。

(新)季康子が政治のありかたを孔子に尋ねた。孔子対えて曰く、政治とは正義のことです。貴方が身をもって先んじて正義を行えば、どこに不正をあえてするものがありましょうか。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 季康子が孔子に三度問いかけます。この質問を一連のものとして、また順番にも意味があるとして読んでみます。

 季康子といえば、魯国で絶賛専横中。君君臣臣である通り、「分」を守ることを重視する孔子の、これは皮肉なのでしょう。政治を云々前に、まずおのれの身をただせ、と。


 「政」と「正」は、当然音通でしょう。

 季康子が、政治とは何であるかを、たずねたのに対し、こたえとして、政とは正なり。政・正の二字は、いまの北京語でもともにzhengの去声であり、全く同じ発音であるが、古代音でも、そうであった。同一の発音の言葉、もしくは似た発音の言葉が、いわゆる word family として、連関した意味をもつことは、中国語を支配する大きな法則であるが、この場合、孔子はそれを利用して、こたえとしたのである。日本語に訳すれば、まつりごととは、ただしさである、となり、両者の言葉としての密接な関係が消滅するが、原語でいえば、政(zheng)とは、正(zheng)である、は、充分に人を納得しうべきひびきをもつ。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

これを賞すと雖も窃(ぬす)まざらん

 顔淵第十二(279~302)

296 季康子患盗。問於孔子。孔子対曰。苟子之不欲。雖賞之不窃。

(訓)季康子、盗を患えて、孔子に問う。孔子対えて曰く、苟(いやし)くも子の欲せざらんか、これを賞すと雖も窃(ぬす)まざらん。

(新)季康子が盗賊の多いのをもてあまして、孔子に対策を尋ねた。それについて孔子曰く、もしも貴方が本当に欲しないことならば、(人民もそれを欲しなくなり、)誰かが懸賞で誘っても盗みをしなくなるに違いありません。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 季康子、ちょっと考えたのでしょうね。今度は政治の具体策を問うてくることにしました。孔子はまるきり同じ答え。「為政者が盗賊の親分なのだから、国民がちっこく盗むのは仕事のうちだよね。」質問が具体的であるゆえに、もはや皮肉ではなくて返答も具体的。

 季康子の家は既に魯の政権を竊(ぬす)み、又康子は嫡子の位を奪っている。上の行うところは下がこれに傚(なら)う道理で、民が盗みを行うのは当然である。自ら反省してその源を清めなければならないのである。孔子が「不欲」ということで彼の意(こころ)を啓いたのは深い意味のあることである。(胡寅による)

宇野哲人『論語新釈』講談社学術文庫

「苟」の字は、もし本当に、という強い仮定である。イヤシクモ、という旧訓は、いまでは耳どおい日本語になっているけれども、適当な新訓を思いあたらない。また異字の問題として、苟子之不欲を、日本の本には、苟子不欲、もしくは苟不欲、とするものがある。リズムとしては、つぎの句の、雖賞之不竊が、五字すなわち五音であるから、上の句も、苟子之不欲と、五字五音であるのが、ふさわしいであろう。もっとも逆に、苟子之不欲、雖賞之不竊と、まんなかに、ひとしく「之」を含んだ対句のかたちは、やや後の時代の韻文、すなわち「楚辞」や漢代の賦のリズムに近づきすぎるおそれが、あるかも知れない。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 つまり、「現実には、おまえさん(季康子)の強欲が、民衆に「殿様が外道なんだから、おれらだって法を犯したってよかんべい」という気持ちを持たせてるんだよ」、と言いきってしまったわけで、夫子、仕官をあきらめてしまったのでしょうか。魯の上卿にこのおっしゃりようはかなり過激。


如し無道を殺して有道を就さば何如

 顔淵第十二(279~302)

297 季康子問政於孔子曰。如殺無道。以就有道。何如。孔子対曰。子為政。焉用殺。子欲善而民善矣。君子之徳風。小人之徳草。草上之風必偃。

(訓)季康子、政を孔子に問うて曰く、如し無道を殺して有道を就(な)さば何如。孔子対えて曰く、子、政を為すに焉(な)んぞ殺を用いん。子、善を欲すれば民善なり。君子の徳は風にして、小人の徳は草なり。草はこれに風を上(くわ)うれば必ず偃(ふ)す。

(新)季康子が政治のあり方を孔子に問うて曰く、如し無道の悪者を殺して、有道の善人だけの社会にすることができるでしょうか。孔子対えて曰く、貴方が政治ということをなさるつもりならば、人を殺す必要はありません。貴方が本当に善を欲するならば、人民は善くならぬはずはありません。為政者の本質を風とすれば、人民の本質は草のようなものです。草は風に吹かれれば、必ず靡くものです。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 季康子も、さすがに面と向かって孔子に非難されては鼻白んだことでしょう。孔子を困らせるような質問をしてみます。「無道の悪人を処刑することには反対できまい」という発想で提案をしてみます。

 孔子は、この三つの質問に対してすべて同じ答えを返していますね。「人のことはいいからまず自分の身をただせ」、と。今回も同じ。

 ただここで孔子の考えの一端が明確になっているのは、孔子にとって「無道」「有道」というのが人間を構成する特性としてではなくて、状況に応じて簡単に変わる現象でしかないということ。「小人の徳」というのも不思議な話(徳がないのが小人なのに)ですが、小人というものは上の人次第でどうにでも変わるのだ、という発想があるからこそ、君子は重い責任に耐えなければならないのですね。


 前条296の不欲の語を、従来は無欲と解するのが普通である。すなわち季康子が無欲ならば、人民も無欲になって盗みがなくなる、と解釈するのであるが、本条とあわせ読むと、人民は為政者の好悪に従うものであるから、季康子が盗を欲しなければ、人民も盗をしなくなる、という意味にとる方がよいと思う。さらにこの条が孔子の真意とすれば、孔子が魯に用いられて政を為すの始めに、少正卯を誅(ころ)したという話もどうやら事実が疑わしくなってくる。少正卯の説話は法家の学が成立してから後に、孔子に附会されたものであろう、というのが私の考えである。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 そういえば孔子は無道の少正卯を処刑していましたね。これこそ「権」ではないかと思います。

2010-01-13

[][][][]顔淵第十二を読む(その12) 20:00 はてなブックマーク - 顔淵第十二を読む(その12) - 蜀犬 日に吠ゆ

博学於文

 顔淵第十二(279~302)

293 子曰。博学於文。約之以礼。亦可以弗畔矣夫。

(訓)子曰く、博く文を学び、これを約するに礼を以てすれば、亦た以て畔(そむ)かざるべし。

(新)144とほとんど同文である。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 顔淵も、子罕第九で喟然として言っていました。


君子は人の美を成し

 顔淵第十二(279~302)

294 子曰。君子成人之美。不成人之悪。小人反是。

(訓)子曰く、君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是に反す。

(新)子曰く、諸君は他人の長所を長所として尊敬し、他人の短所を短所として同情して欲しい。これに反したことはしてもらいたくない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 「論語」の言葉のうち、私の最も好むものの一つである。

 「成」の字は、つねに完成の意味である。君子は他人の美事善事を援助し完成するが、他人の悪事は、援助し完成しない。小人はその逆であって、人の悪事の尻押しをし、人の美事を妨げる。

吉川幸次郎『論語』下 朝日選書

 その善し悪しを見わけるのも、もちろん君子に求められる能力ということになるのでしょう。