蜀犬 日に吠ゆ

2009-04-09

[][][][]為政第二を読む(その8) 20:01 はてなブックマーク - 為政第二を読む(その8) - 蜀犬 日に吠ゆ

学んで思わざれば

 為政第二(17~40)

31 子曰。学而不思則罔。思而不学則殆。

(訓)子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば殆(あや)うし。

(新)子曰く、教わるばかりで自ら思索しなければ独創がない。自分で考案するだけで教えを仰ぐことをしなければ大きな落とし穴にはまる。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 宮崎先生による解説

 この言葉は教育、研究の妙諦を言いあてたもので、千古に通ずる真理である。教育とは要するに全人類が進化してきた現在の水準まで、後生を引上げてやる手伝いをするということである。言いかえれば個体が系統発生を繰返すに助力することである。もしこういう助手の存在意義を無視して、全く独自の力でやろうとすれば、大きな時間と精力のロスに陥る危険がある。

 むかしある農村の青年が非常に数学が好きで、小学校を終えたあと、農業に従事しながら十年かかって数学上の大発見をしたと、町の中学の教諭に報告してきた。何とそれは二次方程式の解き方であった。中学へ入って習えば一時間ですむことなのだ。独力でそれを発明する力をもっと有効に使えば本当に有益な研究ができたかも知れない。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 この「解の公式」の話は他でも読んだ記憶があります(呉智英夫子だったかも)が、出典が明らかでないので困ります。わたしは創作ではないかと疑っているのですが。


 それはさておき、儒教では学ぶ理由ははっきりしていて、経世済民といいますか天下に道を広めるために日々研鑽を積んでいるわけです。だからといって金儲けとか出世の近道とかそういうことを学ぶわけではないことは「温故知新」のところで話題が出ました。現実に発生する問題に対処するときに、人類はどうしても過去の蓄積を活用することしかできないので、問題が発生してから騒ぐのではなくて、つねに学ぶ姿勢、そしてそれを生かす姿勢をたもっていたいものです。


 たくさんの知識を得ても、それを活用できなければ何も知らないのと一緒ですし、小手先のテクニックで世の中を渡っていこうとしても付け焼き刃のやり方では永続きしない、ということでしょう。


異端を攻むるは

 為政第二(17~40)

32 子曰。攻乎異端。斯害也已。

(訓)子曰く、異端を攻(おさ)むるは、斯(こ)れ害なるのみ。

(新)子曰く、新しい流行の真似をするのは、害になるばかりだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 流行の思想だのライフハックだのというのは、あっというまに廃れてしまいますからね。そんなものに身を入れる暇があったら、温故知新。


これ知るなり

 為政第二(17~40)

33 子曰。由。誨女知之乎。知之為知之。不知為不知。是知也。

(訓)子曰く、由(ゆう)や、女(なんじ)に之を知るを誨(おし)えんか。之を知るをば之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知るなり。

(新)孔子が子路に向かって言った。由や、お前に知るということを教えようか。知っていることを知っているとし、知らぬことを知らぬとする。それが知っていることだ。

宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫

 よくソクラテスの「無知の知」とも比較される章句です。東西の奇妙なシンクロですよね。

 自分が何を知っているのかはまあ普通にわかっているのでしょうけれども、「何を知らないか」に気づくことは難しい。いつだって補集合のほうが大きいわけですからね。

 儒教では、「だから謙虚になりなさい」という教えになります。ものを知れば知るほど、自らの至らなさに気づくであろう、という話です。